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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

富と幸福の関係性について 再考

2010-08-23 21:46:02 | 社会
先週のエントリが(いつものように・・)わかりにくかったようだ。

富と幸福の関係性について(進化する魂)
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/6954933a40239bb011c6f446bce045ba

まず、次のBlogで触れられている内容は前提である。
ある水準までは富が増加することが幸福度と関係している。

「お金は人を幸福にしない」には前提がある(投資十八番)
http://stockkabusiki.blog90.fc2.com/blog-entry-1140.html

お金は人を幸福にはしないが、それは最低水準の富があることが前提だ

幸福は所得で決まらない - 『日本の幸福度』(池田信夫)
http://agora-web.jp/archives/1071134.html


特に本書でくわしく調べているのは、労働との関係である。労働が「不効用」をもたらすという新古典派経済学の想定は実証的には否定され、同じ所得を得ていても働いている人の幸福度は失業者より高い。したがって失業者に所得を再分配するバラマキ福祉より、新しい職を与えたほうがいいということになる。労働が幸福度に及ぼす影響は日本で特に強く、失業率と自殺率には強い相関がある。

他方、所得格差や地域格差が幸福度に影響するかどうかについては、ほとんど有意な差は見出せない。幸福に最大の影響を与えるのは、実は離婚・就職・死別などの個人的な「ニュース」であり、所得は幸福の要因の中ではマイナーなものだ。したがって成長率を上げることは不幸を減らす役には立つだろうが、幸福度を上げるとは限らない。

日本人の所得は、相対的には下がったといっても、まだ絶対的には高い。その自殺率が主要国で最悪なのは、所得とは別の深刻な問題があると考えざるをえない。それは大ざっぱにいうと「意味の喪失」ではないだろうか。かつては会社のために働き、それが出世や社会的地位という形で報われることが生きがいだったが、そういう価値が失われ、かといって欧米的な個人主義にもうまく順応できない。日本人がこの変化に適応するには、まだまだ長い時間がかかるだろう。


私が述べた「物語」と「相対性」というのは、「意味の喪失」これである。
その意味で前回のエントリを読み進めていただけると理解できるだろう。

また、「物語」と「コミュニティ」は不可分ではなく、別のモノだ。
単に「コミュニティ」が「物語」を提供してくれるだけの話で、
自分で「物語」を紡ぎ出せる者は「コミュニティ」が必須ではない。
ただ、なんらかの「物語」に一切触れることなく、
自分だけの「物語」を奏でられる者が存在することはできないので、
その意味では厳しくか緩くかは別として、
何らかの形で何らかの「コミュニティ」と関わって生きていかなくてはならなない。

「生きていかなくてはならない」と書くと誤解されてしまうのだが、
本来的な意味でいえば、「コミュニティ」に関わらないで生きていくことはできない。
なぜかといえば、あなたが「あなた」なのは、
何らかのコミュニティに属しているからに他ならない。
いつもの「相対性」の議論だ。
他者がいて、あなたがいるのだ。
あなただけなら「あなた」は存在できない。

屁理屈でも何でもなく、これは本当の話だ。
あなたの親の子供として「あなた」がいるのは、あなたの親がいるからだ。
あなたがサラリーマンとして働くのは、あなたを雇う人がいるからだ。
あなたが社会の中で孤独を感じるのは、社会というものがあると思うからだ。
あなたが幸せについて考えるのは、不幸と呼ばれるものがあるからだ。
あなたが生きているのは、死があるからだ。
「あなた」が存在するために、相対的な価値から逃れることはできない。

あなたが社会の中にいて、「あなた」の幸せや不幸について考えるとき、
必ずあなたは社会というものの中に「あなた」を置いている。

では、あなたが社会から距離を置き、孤独に生きる時の「あなた」はどうなるか。

時間切れ。
また明日・・。

最大の敵は日本人の驕り

2010-08-23 12:10:20 | 経済
なぜ日系企業でストが起きるのか
本当の理由を話します(日経ビジネスオンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100819/215871/?P=1

むぅ・・耳が痛いというか、
やっぱりさ、日本人って中国人を少し見下しているような気がするのね。
「新興国」という見方ではなくて「後進国」を見る目だよね。
日本が中国に勝っていたのは、ほんのここ100年足らずの話でしかないのにさ。
中国の経済力を煽る人々も日本には大勢いるけど、口先だけなんだと感じる。
本心のところでは、下に見てるのさ。
経済的の前に、社会的、文化的に劣ったものとして。

これはさ、実は明治から太平洋戦争の終戦まであった考えと同じだと思うね。
自分達が、明治維新に成功して日露戦争に勝利するまでになったことを驕り、
アジア諸国を劣等国として見るようになったあの時代の日本と同じ。

その後の日本がどうなったのかは言うまでもない。

辿り着いたのは「焼け野原」だった。

結婚制度を規制緩和して自由恋愛市場を拡大せよ

2010-08-23 11:59:00 | 社会
さきほどのエントリの続き。

結婚と恋愛のレート (Chikirinの日記)
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100822

これは非常に、その通りなのだけれども。
私が思うに、このChikirinのエントリになんとも言えない煮え切らない感が漂っているのは、
「結婚」を脱構築できていないからなのだな。

Chikirinが問題提起している「結婚と恋愛のレート」って「結婚」と関係ないんだよ。
結局は。
「結婚」だって一過性のものでしかないから、
その恋愛が「結婚」に至るかどうかの部分について分析することにはとても意味があるのだけど、
(少子化とかいろいろ叫ばれているからね)
「結婚」に着目すると本質的な問題意識を失ってしまう。

「結婚」したからといって人間の何かが変るわけではないよね。
生活が変るし、法的や社会的な責任が増すことによって、考え方は変るかもしれない。
けれど、人間そのものに何らかの影響力を行使し得ないわけ。

よく「あいつは結婚して変った。」などというけれど、
それは単に、法的、社会的、そして文化的に「結婚して変ること」を要請されるからであって、
人間そのものが変るからではないよね。

「変らなければならない。」もしくは「仕方がないから変る。」ということがあるためで、
例えば「結婚」が遺伝的に影響を及ぼすなんて聞いたことないよね。
「結婚」って人間が作った制度だから当り前なんだけどね。


で、私が何を言いたいかっていうと、次の問題提起なのだよね。
(これは以前からの私の主張の繰り返しなのだけど)


お姫様になった女性達は「妥協する必要はない。私らしさを諦める必要はないんだ!」と理解する。ドラマに後押しされた女性達は、男性がついてこれなくなっても諦めなくなった。

著者はこれを「女性が恋愛のレートを上げた」と呼び、このため男性は「ゲームに参加できなくなった」と言います。すばらしい洞察と言葉のセンスだよね。


というわけで、経済力のない男性は恋愛市場から閉め出されてしまった。また、「なんでここまで女性に尽くす必要があるのか」と疑問に感じた男性は勝負から降りた。

そして現実の女性についていけなくなった男性は、AVやヘアヌード、二次元に逃げた。堀井氏の分析によると、この頃からAVにめちゃめちゃかわいい子が登場して本番をするようになった。信じられなかった、こんなかわいい子がカメラの前で本番をしているなんて!・・・とのこと。

かくして圧倒的な勝ち組の男女以外は結婚できなくなり、そうでない女性はトレンディドラマの世界に、そうでない男性はヴァーチャルの世界に逃げ込んだ。


そもそも「結婚」というワーディングにこだわるから、上記の問題が出てくるわけだよね。
(問題かどうかわからないけれど)
そうではなくて、「結婚」にこだわらない自由恋愛市場を拡大しようよってことです。

「結婚」制度を失くして、民間に委ねるとかね。
そもそも国家が「結婚」制度を奨励する理由ってどこにあるのかねと。
「結婚」なんてものが公的なものだから、話がおかしくなるのです。
そうではなくて、「結婚」なんか自由にしちゃえばいいのさ。
結婚したい人は、町の教会や神社、祭事場でやればいいじゃないか。

税制や手当てなんて、いくらでも他のやり方あるはずだしね。
子供そのものに手当てすればいいわけだし。

で、こういうこと言うと、必ず出される反論に、
「そんなことしたら、子供を産んでも顧みもしない、無責任な親が増える。」と言われるわけです。
実は、これがさ、日本の少子化の最大の要因であると私は想う。

私なんかはそういう意見を聞くたびに首を傾げたくなる。
「少子化に悩んでるなら、それでもいいじゃないか。子供が欲しいんでしょ?」
「じゃぁ欲しいのは、子供の面倒をしっかり見る親とパッケージになった子供なの?」
「だったらさ、親を保護しないとだよね」
「でも結局さ、子供をしっかり見れる人しか親になれないのだったら、少子化止まらないよね」
「だって面倒見れる人間の数って限られているじゃない。」
「けど、今も昔も大家族って子供の面倒よく見てるっけ?見てないよね」
「つまるところさ、結婚にこだわるのもさ、面倒を起こしたくない、リスク回避したいっていう話なんだよね。」
「子供を育てるなんてリスクの塊みたいなもんだからさ、やっぱりリスクにこだわっちゃ結婚なんかできるかね。」

・・・。

見えてきたでしょ。
少子化の原因が。
結婚や少子化に留まる話じゃないよね。

続きはまた今度。
そんじゃーね。

恋愛も結婚も社会現象の一つ

2010-08-23 11:18:58 | 社会

このChikirinは秀逸ですな。
正確にはChikirinではなく堀井憲一郎氏の方なのだろうけれども。

結婚と恋愛のレート (Chikirinの日記)
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100822


“80年代に女の子が恋愛のレートをあげて、結果としてみんな不幸になった”

[中略]

つまり、“80年代に高騰し、90年代に高値安定してしまった女性の結婚レートを、適正レートまで下げましょう”というのが、婚活の本質なんですよね。なんとデフレ時代にぴったりのトレンドでしょう。
[中略]

で、80年代と90年代のプライシングの間違いに気がついて高値修正を始めたのが2000年代・・・と考えてると、今度は、次の10年くらいは婚活時代が続くけど、その後は“婚活世代、大量離婚の時代”になるかもね、と思えてきた。

[中略]

というわけで、

1980年代:暴騰

1990年代:高値安定

2000年代:下落

2010年代:投げ売り

2020年代:大規模な調整局面

次の10年は結婚も就活も、レート投げ売り気味の時代に突入するのかも・・


この解析が面白いのは、流行や社会現象には、流れと時間差があるということです。
人間という物理的実態は、鈍重なのです。

思考は非常に早いスピードで遷移できます。
想いは光の速度で巡ります。
あなたが一緒にいたいと思うあの人と、あなたが理想とするあの世界に、
あなたは一瞬にして辿り着くことができるでしょう。
思考の中で。

言葉というものもあります。
音速は光ほどの速度はでませんし、移動可能距離も短いですし、
また、どんなに文学的才能があったとしても
言葉にできない想いなどというものは存在します。
ただ、言葉は思考よりも具体的なものですから、
言葉を使って相手に想いを伝えることができます。
思考よりも遅いといっても人間が行動するよりも軽くて早いですね。

行動というのもあります。
これはとにかく鈍重です。
まず遅い。
100メートルを10秒で走れれば、かなり速いほうです。
そして移動可能距離が短いです。
行動によって影響力を行使できる距離というのは、
触れることができる距離です。


昔から「考えるだけなら誰にでもできる」などという言葉を聞くこともあります。
そうなのですね。
思考の速度は速いですから、考えることはあっという間に思考の中で実現します。
またこうもいいます。
「あいつは言葉だけ」
考えたことを、言葉にすることも、それなりの能力があれば比較的速い段階で実現できます。
言葉の世界では。
ただ、それを行動によって具現化するのは大変です。
行動というのは鈍重ですから、非常に労力と時間がかかります。
大きな仕事になればなるほど、大きな労力と、長い時間がかかります。

金融取引などではHFTの登場で、相場は電子制御による一瞬の判断で左右されるようになってしまいました。
人間の鈍重な行動の速度に合わせていたのでは、とても相手になりません。

株式市場の構造改革を議論せよ(JB Press, Financial Times)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4255


人間がつくる流行や社会現象もまた、時間がかかるのです。
実際に人間の行動に関わることというのは、
Chikirinさんの言うように10年単位でゆっくりと進行するものなのです。
流行を追う時に、思考と行動の動きは分けて分析したほうがよいでしょう。