がっつり真剣に話がしたいわけではないです(笑)
地球上に人間として生まれると、ほぼ間違いなく何がしかのコミュニティに組み込まれる。
人間はある年齢に到達するまで一人で生きていくことはできない。
誰かに(狼かもしれないが)自立支援をしてもらわねばならない。
また、人間は子供を作るのに、異性と出会わなければならない。
種として生き残っていくためには、絶えず誰かと出会う必要がある。
(生き残っていくためにというより、生き残らないのならこの話をする必要はない)
人間は、人間としてあるために、明らかに誰かに依存していかなければならない。
ロンリーウルフのような生き方も可能だが、それは個として許されるのであって、全体として依存関係を断ち切ることができるわけではない。
断ち切れば人間というものはなくなるからだ。
「人間は社会的な生き物である」というような言葉もある。
人間は総体としてコミュニティに貼り付けられた存在だ。
そして、多くの場合、そのコミュニティには、道徳や規範、規則といったものが存在する。
コミュニティというものが生まれると、コミュニティを維持していく必要性が生じるからだ。
コミュニティには目的があるからだ。
それは自覚的かもしれないし、無自覚的かもしれないが、コミュニティには目的がある。
逆から言った方が正しいだろう。
目的のためにコミュニティはできる。
だが、その目的に基づいて必要性もまた生まれる。
ここで少し説明しておこう。
必要性が生じないところには、価値も規則も道徳も生まれない。
「必要とすること」から全ての価値は生まれてくる。
あなたが経済的に豊かになりたいのは、貨幣で交換できる何かに価値を見出しているからだし、それは、あなたがその何かを欲しているからだ。
もし、あなたがその何かを欲しないのであれば、あなたは経済的に豊かになることを望まないかもしれない。
あなたがオシャレな服装をしたがるのは、その姿を誰かに、自分かもしれないが評価されることを欲するからだ。
もし、誰も服装に関心を示さないなら、あなたはオシャレをすることに価値を見出さない。
あなたが、少し野蛮な考え方かもしれないが、あなたが付き合い始めの彼氏/彼女のために、少し高給なアクセサリーをプレゼントしようとするのは、あなたが彼氏/彼女から何かを引き出したいからだし、それは彼氏/彼女がアクセサリーを必要としている、という前提に立っている。
もし、彼氏/彼女がアクセサリーに興味を示さない人だと事前にわかっているなら、あなたはアクセサリーをプレゼントしたりはしない。
キリがないので、もう一つ例を挙げてこの説明を終えよう。
もし、仮に、あなたが生きていないのだとしたら、あなたは生きていくための努力をする必要がない。
もちろん、世の中には様々な人がいるので、あえて生きていくための努力を断る人もいるだろう。
しかし、多くの人々は、生きていく努力を、一生懸命行う。
こんなに物質的に豊かな日本という国にいても、死ぬまで食べていけるのかを気にしている人は大勢いる。
あなたは、食べないと生きていけないから、食べていけるということに価値を見出す。
あなたは、最低限でも、この食べていけることに努力をする。
それが、生きていくのに必要だからだ。
しかし、もし、あなたが生きていく必要がなければ、食べていけることに価値を見出さないだろう。
ここで、先の話に戻ろう。
ここまでで、必要性のあるところに価値は見出されるという説明をした。
そして、その必要性は目的ができると、それと同時に生まれるということも先に話した。
まとめれば、こういうことだ。
生きるということを目的としなければ、食べる必要性は生まれない。
コミュニティには目的がある。
そして、人間は生まれながらにしてコミュニティに組み込まれている。
つまり、人間は、守らなければならないものを、人間として生まれたがゆえに背負う。
この考えは、我々に非常に重要な示唆を与えてくれる。
次回は、「守らなければならないもの」をどうやって守るのか
という点について述べようと思う。
地球上に人間として生まれると、ほぼ間違いなく何がしかのコミュニティに組み込まれる。
人間はある年齢に到達するまで一人で生きていくことはできない。
誰かに(狼かもしれないが)自立支援をしてもらわねばならない。
また、人間は子供を作るのに、異性と出会わなければならない。
種として生き残っていくためには、絶えず誰かと出会う必要がある。
(生き残っていくためにというより、生き残らないのならこの話をする必要はない)
人間は、人間としてあるために、明らかに誰かに依存していかなければならない。
ロンリーウルフのような生き方も可能だが、それは個として許されるのであって、全体として依存関係を断ち切ることができるわけではない。
断ち切れば人間というものはなくなるからだ。
「人間は社会的な生き物である」というような言葉もある。
人間は総体としてコミュニティに貼り付けられた存在だ。
そして、多くの場合、そのコミュニティには、道徳や規範、規則といったものが存在する。
コミュニティというものが生まれると、コミュニティを維持していく必要性が生じるからだ。
コミュニティには目的があるからだ。
それは自覚的かもしれないし、無自覚的かもしれないが、コミュニティには目的がある。
逆から言った方が正しいだろう。
目的のためにコミュニティはできる。
だが、その目的に基づいて必要性もまた生まれる。
ここで少し説明しておこう。
必要性が生じないところには、価値も規則も道徳も生まれない。
「必要とすること」から全ての価値は生まれてくる。
あなたが経済的に豊かになりたいのは、貨幣で交換できる何かに価値を見出しているからだし、それは、あなたがその何かを欲しているからだ。
もし、あなたがその何かを欲しないのであれば、あなたは経済的に豊かになることを望まないかもしれない。
あなたがオシャレな服装をしたがるのは、その姿を誰かに、自分かもしれないが評価されることを欲するからだ。
もし、誰も服装に関心を示さないなら、あなたはオシャレをすることに価値を見出さない。
あなたが、少し野蛮な考え方かもしれないが、あなたが付き合い始めの彼氏/彼女のために、少し高給なアクセサリーをプレゼントしようとするのは、あなたが彼氏/彼女から何かを引き出したいからだし、それは彼氏/彼女がアクセサリーを必要としている、という前提に立っている。
もし、彼氏/彼女がアクセサリーに興味を示さない人だと事前にわかっているなら、あなたはアクセサリーをプレゼントしたりはしない。
キリがないので、もう一つ例を挙げてこの説明を終えよう。
もし、仮に、あなたが生きていないのだとしたら、あなたは生きていくための努力をする必要がない。
もちろん、世の中には様々な人がいるので、あえて生きていくための努力を断る人もいるだろう。
しかし、多くの人々は、生きていく努力を、一生懸命行う。
こんなに物質的に豊かな日本という国にいても、死ぬまで食べていけるのかを気にしている人は大勢いる。
あなたは、食べないと生きていけないから、食べていけるということに価値を見出す。
あなたは、最低限でも、この食べていけることに努力をする。
それが、生きていくのに必要だからだ。
しかし、もし、あなたが生きていく必要がなければ、食べていけることに価値を見出さないだろう。
ここで、先の話に戻ろう。
ここまでで、必要性のあるところに価値は見出されるという説明をした。
そして、その必要性は目的ができると、それと同時に生まれるということも先に話した。
まとめれば、こういうことだ。
生きるということを目的としなければ、食べる必要性は生まれない。
コミュニティには目的がある。
そして、人間は生まれながらにしてコミュニティに組み込まれている。
つまり、人間は、守らなければならないものを、人間として生まれたがゆえに背負う。
この考えは、我々に非常に重要な示唆を与えてくれる。
次回は、「守らなければならないもの」をどうやって守るのか
という点について述べようと思う。