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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

[つぶやき] 鳩山首相が辞めてもね・・

2010-06-01 12:50:56 | ブログ情報(News Release)
またしても総理辞任騒動が起きちょります。

まさか4人連続短期間総理を求めちゅうのですか。

なんと言葉にしたらよいのか、どうしようもない程に情けのう動きたい。

原因は様々あろうかと思うが、ワシが危惧しちょるのはそういうことでなか。

誰もが「またか!」と嘆いとるゆうのに、どこからも「そうならないための仕組み」のための議論が聞こえてこんっちゅーことや。

ワシは以前から「直接選挙制による首相指名」と「衆議院の議員定数100」を提言しちょるのだが、誰も聞いてくれもはん。

確かに、日本人の中にある悲惨な戦争体験と既存の仕組みを変えるっちゅう恣意的さ、あと憲法を変えるっちゅう禁忌に触れるっちゅうのはわかっとんやけど、そやかて、変えなあかんとわかっていることを黙ってみているわけにもいかん。

ワシが「直接選挙制による首相指名」を推すのは、政治に責任を持つのは国民やいうことを皆で共有する必要があると思っちゅうからや。

「誰々がだめや、こっちにせい」いうて、次から次へと変えたがるのは、選ぶ時にちゃんと考えとらんからやないか。

人間っちゅうのは、反省の上に立たんと、しっかり物事を考えんもんやとワシは思うちょる。

ばってん、反省は問題を自分のコトとして認識せん限り出来んことや。

責任っちゅうのは「そうせねば、そのもの本来の目的を果たすことはできん認識」いう意味たい。

責任を理解してこそ、人は問題を自分のコトとして認識し、反省できちゅう。

だから、国民は首相に変ってほしい思うんやったら、首相に期待しちゅうわけやから、首相の選び方に気をつけなあかん思うわけや。

「衆議院の議員定数100」っちゅうのは、国会議員は政党じゃのうて自分の名前で選挙してもらいたいからと思っちゅう。

政党政治の弊害は、政治活動が政党に強く制約されゆうことと思っちゅう。

広く意見求めるゆうがは、国会議員が少なくても、それを支援する仕組みあればできる思うたい。

より多くの意見の一致も大事いうがはわかっとんやが、それを実現しとう思っちゅうなら、全ての法案は国民投票で行うべきやと思うねんや。

ワシは政治家いうがは、国民のえいじぇんとやと思ちゅう。

国民自身が判断した方がえい思うなら、そうしたらええし、誰かに判断を任せたい思うがやったら、政治家というえいじぇんとに任せたらええと、ワシは思っちゅう。

いいたいことらいっぱいあるけんど、今日はこのぐらいにしといてつかぁさい。


そんでも仕組みいじって小手先の技術で誤魔化そうとする邪道や言われもす。

ばってん、こげな意見出てこんばおかしい思うやけんど。



たまに関西弁で説得力ありそうな御高説を見る機会がありますが、なぜか私はあれに腹が立ってしまいます(笑)
どことなく上から目線に感じるからのような気がします。
そういう意味では、本エントリは最悪かもしれません(笑)