前半は想定通りの試合展開だが、後半開始早々のスナイデルに得点を許したのは誤算だったろう。
当Blogで懸念した通り、サイドをえぐられてデフェンス・ラインをゴール前まで下げられた後、ボールをトップに当てて一つ後ろにいるスナイデルへ。
日本からすれば気をつけていたものだし、オランダからすれば狙い通りだった。
そこまでは計算通りだが、計算外だったのは後半開始早々のもたつきを狙われたところだ。
前半の守備がよくできていたからこそ、逆に相手の攻勢に慌てたのだろう。
本来ならば、あそこでスナイデルのフリーを許すわけにはいかなかったが、サイドをえぐられたせいで注意がそれてしまった。
しかし、あの失点を責めるのも酷だ。
あの位置から決めれるのはさすがスナイデルと言ったほうがいい。
ボールがGKの若干手前で変則的な動きをした可能性があるし、GKからすれば接触後のボールが予想外の軌道でゴールに入っていった可能性もある。
さて、岡田監督からすればオランダを0点で抑えることが最も優先度が高かったと思われるが、1点取られてしまった以上、勝ち点1をとりにいきたくなる。
あの時点ではデンマークvsカメルーン戦の結果がわからないので勝ち点を狙いに行くのが合理的だろう。
後半の後半は日本の攻める時間になったが、攻め手を書いた。
最もおしかったのは岡崎のシュートであったが、あれを決めれるなら一流の選手であり、むしろあれを決めれないのが日本の弱さなのだから、あれを責めるのも酷だ。
日本人選手のシュートが枠に飛ばないことは、もう何十年も前から指摘され続けている弱さでもある。
ただ、あのシーンを自分に重ねて見てしまった。
優れた戦術の下、最後の一歩手前まで演出することについて日本人は結構巧い。
だが、最後の一歩がヘタクソなのだ。
まるで自分を見ているようだった。
私も、あーでもないこーでもないと散々考えて、素晴らしい演出をするところまではよいのだが、いつも最後のワンピースをはめることができない。
ありきたりの言葉で言えば、勝負に弱い。
ありったけの計画を検討したとして、あらゆる問題に手を打っても、最後の最後で失敗する。
実は、自分なりに原因はわかっている。
そもそも計画や検討に時間をかけるのは、失敗について考慮するからだ。
こうなったらあーする、もしこうならこっち、などといってアメリカ人からすれば馬鹿みたいに非合理的なケーススタディを繰返すのだ。
私を含めて日本人は失敗しないための方策を一生懸命に練る。
これが勝負弱い最大の原因だ。
最後の最後、勝負の時に、失敗することを考えるからだ。
失敗したら・・などといって自分にプレッシャーがかかってパフォーマンスを発揮することができない。
クイズ番組で本番になると答えられないのと似ている。
人は、自分責任を認識すると急にうろたえる。
失敗を恐れてしまうからだ。
私は、自分自身でこのことに気づいたのは大学受験の時だった。
勝負の時に、何かを考えるようではだめなのだ。
そのために何が必要なのか。
それは自分が納得できるという意味での努力以外にないのだ。
準備の段階で、勝負がはじまる時点で既に勝負はついている。
スポーツ選手や武道における無私とは、そういう意味なのである。
当Blogで懸念した通り、サイドをえぐられてデフェンス・ラインをゴール前まで下げられた後、ボールをトップに当てて一つ後ろにいるスナイデルへ。
日本からすれば気をつけていたものだし、オランダからすれば狙い通りだった。
そこまでは計算通りだが、計算外だったのは後半開始早々のもたつきを狙われたところだ。
前半の守備がよくできていたからこそ、逆に相手の攻勢に慌てたのだろう。
本来ならば、あそこでスナイデルのフリーを許すわけにはいかなかったが、サイドをえぐられたせいで注意がそれてしまった。
しかし、あの失点を責めるのも酷だ。
あの位置から決めれるのはさすがスナイデルと言ったほうがいい。
ボールがGKの若干手前で変則的な動きをした可能性があるし、GKからすれば接触後のボールが予想外の軌道でゴールに入っていった可能性もある。
さて、岡田監督からすればオランダを0点で抑えることが最も優先度が高かったと思われるが、1点取られてしまった以上、勝ち点1をとりにいきたくなる。
あの時点ではデンマークvsカメルーン戦の結果がわからないので勝ち点を狙いに行くのが合理的だろう。
後半の後半は日本の攻める時間になったが、攻め手を書いた。
最もおしかったのは岡崎のシュートであったが、あれを決めれるなら一流の選手であり、むしろあれを決めれないのが日本の弱さなのだから、あれを責めるのも酷だ。
日本人選手のシュートが枠に飛ばないことは、もう何十年も前から指摘され続けている弱さでもある。
ただ、あのシーンを自分に重ねて見てしまった。
優れた戦術の下、最後の一歩手前まで演出することについて日本人は結構巧い。
だが、最後の一歩がヘタクソなのだ。
まるで自分を見ているようだった。
私も、あーでもないこーでもないと散々考えて、素晴らしい演出をするところまではよいのだが、いつも最後のワンピースをはめることができない。
ありきたりの言葉で言えば、勝負に弱い。
ありったけの計画を検討したとして、あらゆる問題に手を打っても、最後の最後で失敗する。
実は、自分なりに原因はわかっている。
そもそも計画や検討に時間をかけるのは、失敗について考慮するからだ。
こうなったらあーする、もしこうならこっち、などといってアメリカ人からすれば馬鹿みたいに非合理的なケーススタディを繰返すのだ。
私を含めて日本人は失敗しないための方策を一生懸命に練る。
これが勝負弱い最大の原因だ。
最後の最後、勝負の時に、失敗することを考えるからだ。
失敗したら・・などといって自分にプレッシャーがかかってパフォーマンスを発揮することができない。
クイズ番組で本番になると答えられないのと似ている。
人は、自分責任を認識すると急にうろたえる。
失敗を恐れてしまうからだ。
私は、自分自身でこのことに気づいたのは大学受験の時だった。
勝負の時に、何かを考えるようではだめなのだ。
そのために何が必要なのか。
それは自分が納得できるという意味での努力以外にないのだ。
準備の段階で、勝負がはじまる時点で既に勝負はついている。
スポーツ選手や武道における無私とは、そういう意味なのである。