リンク先のブログの内容よりも、テーマに注目してしまった。
若者が節約志向になった理由(日本経済をボロボロにする人々)
http://blog.livedoor.jp/nnnhhhkkk/archives/65469571.html
「なぜ若者が節約志向になったのか?」
経済に詳しい人々はこういう。
「若者世代の相対的貧困化と世代間不均衡が原因だ」と。
確かに、主要因の一つなのであろう。
しかし、私は違う見方をしている。
そもそも私はこう見ている。
そもそも「なぜ若者が節約志向になったのか?」という問題設定がおかしい。
どういうことか?
説明しよう。
人類的スケールで眺めてみれば、若者は節約志向になんかになっていない。
人類学的に見てみれば、むしろ節約志向が正常であり、いや、それでもまだ日本の若者は異常なほど豊満人生を暮らしており、我々が「正常な消費性向を持つ若者」だと思っている若者こそ異常なのだ。
たったそれだけのことだ。
いいかな。
人類はずっと飢餓に近い状態を生き抜いてきた種だ。
人間の身体的構造も精神的構造も、節約志向に最適化されている。
そうしなければ生きてこれなかったからだ。
そういう視点に立ってみれば、近代の多消費生活は人類にとって不自然なほど不慣れなものだった。
そんな不自然な状態を生きていれば、生きるために必要な様々なシグナリング機能が狂うのは当り前である。
悪い例えかもしれないが、近代の人間達はドラッグ・ハイに浸っている状態で、次から次へと現れる問題を前にして、さらなるハイを求めているようなものだ。
シグナリング機能が狂うから、近代的な人々は、自分達の考え方や暮らし方が、自分達にどの程度破滅的な影響力を持つかわかっていない。
我々がまだ原始的な生活をおくっていた頃は、暮らしの中に発生する異常さや違和感に敏感に気づけただろう。
起きていることが、将来の自分や、自分達の家族、部族に与える影響についてのシグナルを察知して、反応できていたことは多かったかもしれない。
現代科学とは違って、気候変動や自然現象による化学的影響の変化などには気づけなかったかもしれないが。
ある意味で、我々はシグナル察知機能とトレードオフにして多消費生活を手にしていると言えるかもしれない。
上記の文脈で語るとすれば、若者は、今後来るであろう不安定な社会の予兆を察知して、それに向けて対応を始めているということだ。
若者からすれば当り前のことである。
それがわからない若者ではない人達は、シグナル察知機能が狂ってしまったからだろう。
消費することが正しいというイデオロギーは、資本主義のせいでもなければ、自由主義のせいでもない。
物事の本質を見ようとせずにひたすら走ってきた若者ではない人々の虚栄である。
自分達の信じる価値観が絶対だと思う時点で、彼らの環境適応能力は既に瀕死なのであろう。
はてさて
若者が節約志向になった理由(日本経済をボロボロにする人々)
http://blog.livedoor.jp/nnnhhhkkk/archives/65469571.html
「なぜ若者が節約志向になったのか?」
経済に詳しい人々はこういう。
「若者世代の相対的貧困化と世代間不均衡が原因だ」と。
確かに、主要因の一つなのであろう。
しかし、私は違う見方をしている。
そもそも私はこう見ている。
そもそも「なぜ若者が節約志向になったのか?」という問題設定がおかしい。
どういうことか?
説明しよう。
人類的スケールで眺めてみれば、若者は節約志向になんかになっていない。
人類学的に見てみれば、むしろ節約志向が正常であり、いや、それでもまだ日本の若者は異常なほど豊満人生を暮らしており、我々が「正常な消費性向を持つ若者」だと思っている若者こそ異常なのだ。
たったそれだけのことだ。
いいかな。
人類はずっと飢餓に近い状態を生き抜いてきた種だ。
人間の身体的構造も精神的構造も、節約志向に最適化されている。
そうしなければ生きてこれなかったからだ。
そういう視点に立ってみれば、近代の多消費生活は人類にとって不自然なほど不慣れなものだった。
そんな不自然な状態を生きていれば、生きるために必要な様々なシグナリング機能が狂うのは当り前である。
悪い例えかもしれないが、近代の人間達はドラッグ・ハイに浸っている状態で、次から次へと現れる問題を前にして、さらなるハイを求めているようなものだ。
シグナリング機能が狂うから、近代的な人々は、自分達の考え方や暮らし方が、自分達にどの程度破滅的な影響力を持つかわかっていない。
我々がまだ原始的な生活をおくっていた頃は、暮らしの中に発生する異常さや違和感に敏感に気づけただろう。
起きていることが、将来の自分や、自分達の家族、部族に与える影響についてのシグナルを察知して、反応できていたことは多かったかもしれない。
現代科学とは違って、気候変動や自然現象による化学的影響の変化などには気づけなかったかもしれないが。
ある意味で、我々はシグナル察知機能とトレードオフにして多消費生活を手にしていると言えるかもしれない。
上記の文脈で語るとすれば、若者は、今後来るであろう不安定な社会の予兆を察知して、それに向けて対応を始めているということだ。
若者からすれば当り前のことである。
それがわからない若者ではない人達は、シグナル察知機能が狂ってしまったからだろう。
消費することが正しいというイデオロギーは、資本主義のせいでもなければ、自由主義のせいでもない。
物事の本質を見ようとせずにひたすら走ってきた若者ではない人々の虚栄である。
自分達の信じる価値観が絶対だと思う時点で、彼らの環境適応能力は既に瀕死なのであろう。
はてさて