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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

[つぶやき] ほどほどマッチョ

2010-06-03 15:36:05 | 経済
以前、当Blogで取上げた話題『[つぶやき] 介護って人海戦術以外ないのかしら』についてだが、アゴラで池尾和人氏が関係の深い話題を取上げていたのでピックアップ。

外需依存ではなく、逆輸入代替を目指そう--池尾和人
http://agora-web.jp/archives/1022544.html

やはり当Blogの問題意識通り、単純に医療・介護産業に資本を投入したんでは日本にはジリ貧が待ち受けていると池尾氏も指摘する。


もし医療・介護・健康産業といった分野への資源投入を増やさないならば、日本人の多くが、その高齢期において惨めで不満足な状態におかれるということになる。換言すると、そうした悲惨な状態を回避しようとする限りは、医療・介護・健康産業といった分野以外で使える経済資源の量は減っていかざるを得ないということである。そうであれば、医療・介護・健康産業といった分野の生産性を高める努力をできるだけ行うとともに、残された資源の配分の効率性を改善しないと、われわれの生活水準は低下してしまうことになる。


で、どうすべきか、だが。
池尾氏は次のように述べる。


したがって、資源配分の観点からは、医療・介護・健康産業といった分野以外は、日本では比較優位がある活動しか行わないことにすべきである。そして、資源を比較優位のある分野に集中して、それで外貨を稼いで、必要なものの大半は輸入する。要するに、これまで輸入していたものを国内生産に切り替えていくことを「輸入代替」というが、いまの日本にはその逆、いわば「逆輸入代替」が求められているといえる。そして、貯蓄率の低下とともに外貨を貯め込む余裕は段々となくなっていくだろうから、貿易依存度は高まるが、外需依存度は縮小する。


結局は、基本的な認識に戻るということだ。

優位な部分を延ばす。
新しい優位な部分を創造する。
劣位な部分から優位な部分へと転換を図る。
といった経済構造の変革を行うこと以外に答えはないだろうということだ。
無駄を削ぎ落として筋肉質な構造に変革する必要があるのは、企業でも国でも変らない。

ただ、これは何についても同様だが、遊びの全くない構造というのは環境変化に弱い。
だから目指すのはごりマッチョでもなければほそマッチョでもなく、ほどほどマッチョなのである。
市場原理を重視した経済政策を主張すると、全く遊びのない構造を求めているかのように捉えられる場合があるが、必ずしもそうではないことだけは誤解されないようにしておく必要があるだろう。

当り前のことを当たり前に

[つぶやき] 民主党が勝つ唯一の方法

2010-06-03 11:14:29 | 政治
鳩山首相の後継は誰かみたいな話で盛り上がっているが、誰がなっても既存路線から変更はできない。

方針を変えたら、衆議院を解散して民意を問えという話になるからだ。
それは、かつて民主党が自民党に対して主張してきたことに他ならない。
解散しない以上、誰がやっても鳩山首相時の方針から大きく変えることはできない。

しかし、民主党からしてみれば解散するのは政権を手放す可能性が高い自殺行為なので、できない。
つまり、次の総理は鳩山首相の方針から変えられない。
内閣のメンバも変えられない。
誰がなっても同じ。
つまり、誰がなっても政権運営は楽にはならない。
次の内閣も短期間に崩壊するのは見えている。
それがわかっているから、若手は立候補しない。

次期民主党政権が、国民の支持を得て、また説得力を持つための唯一の方法は、首相就任後直ちに衆参ダブル選挙に打って出ることを宣言することだ。
そして、選挙までの間に、民主党の新しい政権構想を練り上げることだ。

だが、それは今の民主党にはできない。
参院選に向けて走ってきたサンクコストを諦められないし、最も根本的な問題は、民主党の新しい政権構想を練り上げることができないことだ。
様々な利権集団からの寄せ集めだからだ。

だから、もし民主党が再生を望むのであれば、次の民主党のトップになった人は、次を実行することだ。
衆参ダブル選挙
新政権構想を提示することを宣言
新政権構想に賛成できない議員は民主党を離党させる
同時に野党から新政権構想に賛同する議員を集結させる

負けがわかっていながら玉砕を望む。
旧日本軍が辿った道だ。
やはり日本を支配しているのは「空気」なのだ。

ここでケーススタディだ。

どうすれば、あの終戦間近まで悲惨な戦闘を繰り広げなければならない事態を回避できたのか。
あなたが、もし太平洋戦争末期の日本に、政府の行動に影響力を持つ権限をもってタイムスリップしたなら、どうすればよいだろうか。
焼け野原願望をお持ちの方は「何もしない」というかもしれないが、そうではない人はどうすべきであっただろうか。

さぁ、今がまさにその時だ。
どうすればこの状況を変えることができる?

[責任シリーズ][01] これからの「責任」について話をしよう 導入

2010-06-03 10:16:45 | 社会
昨日、『これからの「責任」について話をしよう Part-1』を書いた。
当Blogでは「責任」という言葉を深堀りすることで、今日本を覆っている不信の嵐が何なのかという点について一つの問題提起を行おうとしている。
ハーバード白熱教室みたいに「道徳」や「契約」と行ったことを取り扱った方が議論は深みを帯びるかもしれないが、そういう言葉は一般ウケしないし、しばしば自分とは関係のないことと思われがちだ。

そこで、私は、「責任」という言葉を用いたい。
我々がいつも、例えば政治家とか、夫とか、親とか、商談相手とかに使うあのフレーズだ。

我々は至るところで誰かに向かってこういう。
「責任をとれ」
「あなたには責任があるだろう」
と。

しかし、この「責任」とは何だろうか。
我々は、一体この「責任」という言葉をどういう意味で使っているのだろう。
そして、この「責任」という言葉には、なんらかの有効性のある意味が込められているのだろうか?
また、「責任」という言葉には、どのような拘束力があるのだろうか。

我々は、「責任」について、どう考えるべきで、今後どう使っていくべきなのか。
そういうことをここでは議論したい。

ただ、普通「責任」という言葉を持ち出す場合、必然的に「自由」という言葉や「権利」といった概念にも追求していかざるを得ないが、ここでは極簡単に、誰にでも理解できる形で話を進めたいと思う。
また、ここで述べる「責任」とは、「法的な責任」や「政治的な責任」といった個別の概念や制度のことではない。
我々は「責任」について、どう考えるべきで、どう使っていくべきなのか、という「目的論的」な捉え方をしていく。