以前、当Blogで取上げた話題『[つぶやき] 介護って人海戦術以外ないのかしら』についてだが、アゴラで池尾和人氏が関係の深い話題を取上げていたのでピックアップ。
外需依存ではなく、逆輸入代替を目指そう--池尾和人
http://agora-web.jp/archives/1022544.html
やはり当Blogの問題意識通り、単純に医療・介護産業に資本を投入したんでは日本にはジリ貧が待ち受けていると池尾氏も指摘する。
もし医療・介護・健康産業といった分野への資源投入を増やさないならば、日本人の多くが、その高齢期において惨めで不満足な状態におかれるということになる。換言すると、そうした悲惨な状態を回避しようとする限りは、医療・介護・健康産業といった分野以外で使える経済資源の量は減っていかざるを得ないということである。そうであれば、医療・介護・健康産業といった分野の生産性を高める努力をできるだけ行うとともに、残された資源の配分の効率性を改善しないと、われわれの生活水準は低下してしまうことになる。
で、どうすべきか、だが。
池尾氏は次のように述べる。
したがって、資源配分の観点からは、医療・介護・健康産業といった分野以外は、日本では比較優位がある活動しか行わないことにすべきである。そして、資源を比較優位のある分野に集中して、それで外貨を稼いで、必要なものの大半は輸入する。要するに、これまで輸入していたものを国内生産に切り替えていくことを「輸入代替」というが、いまの日本にはその逆、いわば「逆輸入代替」が求められているといえる。そして、貯蓄率の低下とともに外貨を貯め込む余裕は段々となくなっていくだろうから、貿易依存度は高まるが、外需依存度は縮小する。
結局は、基本的な認識に戻るということだ。
優位な部分を延ばす。
新しい優位な部分を創造する。
劣位な部分から優位な部分へと転換を図る。
といった経済構造の変革を行うこと以外に答えはないだろうということだ。
無駄を削ぎ落として筋肉質な構造に変革する必要があるのは、企業でも国でも変らない。
ただ、これは何についても同様だが、遊びの全くない構造というのは環境変化に弱い。
だから目指すのはごりマッチョでもなければほそマッチョでもなく、ほどほどマッチョなのである。
市場原理を重視した経済政策を主張すると、全く遊びのない構造を求めているかのように捉えられる場合があるが、必ずしもそうではないことだけは誤解されないようにしておく必要があるだろう。
当り前のことを当たり前に
外需依存ではなく、逆輸入代替を目指そう--池尾和人
http://agora-web.jp/archives/1022544.html
やはり当Blogの問題意識通り、単純に医療・介護産業に資本を投入したんでは日本にはジリ貧が待ち受けていると池尾氏も指摘する。
もし医療・介護・健康産業といった分野への資源投入を増やさないならば、日本人の多くが、その高齢期において惨めで不満足な状態におかれるということになる。換言すると、そうした悲惨な状態を回避しようとする限りは、医療・介護・健康産業といった分野以外で使える経済資源の量は減っていかざるを得ないということである。そうであれば、医療・介護・健康産業といった分野の生産性を高める努力をできるだけ行うとともに、残された資源の配分の効率性を改善しないと、われわれの生活水準は低下してしまうことになる。
で、どうすべきか、だが。
池尾氏は次のように述べる。
したがって、資源配分の観点からは、医療・介護・健康産業といった分野以外は、日本では比較優位がある活動しか行わないことにすべきである。そして、資源を比較優位のある分野に集中して、それで外貨を稼いで、必要なものの大半は輸入する。要するに、これまで輸入していたものを国内生産に切り替えていくことを「輸入代替」というが、いまの日本にはその逆、いわば「逆輸入代替」が求められているといえる。そして、貯蓄率の低下とともに外貨を貯め込む余裕は段々となくなっていくだろうから、貿易依存度は高まるが、外需依存度は縮小する。
結局は、基本的な認識に戻るということだ。
優位な部分を延ばす。
新しい優位な部分を創造する。
劣位な部分から優位な部分へと転換を図る。
といった経済構造の変革を行うこと以外に答えはないだろうということだ。
無駄を削ぎ落として筋肉質な構造に変革する必要があるのは、企業でも国でも変らない。
ただ、これは何についても同様だが、遊びの全くない構造というのは環境変化に弱い。
だから目指すのはごりマッチョでもなければほそマッチョでもなく、ほどほどマッチョなのである。
市場原理を重視した経済政策を主張すると、全く遊びのない構造を求めているかのように捉えられる場合があるが、必ずしもそうではないことだけは誤解されないようにしておく必要があるだろう。
当り前のことを当たり前に