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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

ほんとに凄けりゃ名前は必要ない

2010-06-05 01:30:04 | TV・書籍
似てるとかいう以前に凄い・・感動すら覚える。

本質的に研ぎ澄まされたものは、モノマネかどうかなんて関係ないってことか・・

理屈じゃない領域って確かにあるし、「名前」なんか関係ない世界だ。

名としてではなく、実態として支配する。

老子師匠の「無名」が思い出される。

そして、自分をちょっと反省した。

青木隆治 ものまね - 美空ひばり


今年、歌手デビューしたそうです。

CDバージョンより、このVideoがいいです。

気のせいかMr.Childrenの桜井さんに見える・・

青木隆治   『言葉』  金曜バラエティー☆

[つぶやき] なぜ人間は夏に弱いの?

2010-06-04 13:12:30 | ブログ情報(News Release)
気温が高くなったかと思えば、寒い日々が続き、そしてまた熱くなってきた。

今日は間違えて長袖を着てしまったので電車の中で汗をかくはめになった。

ふと思うと、自分の周りには「暑さに弱い人」が多い気がする。
(女性には寒さに弱い人も多いが)

で、確かに考えてみると、人間は寒さに対しては着込むことで容易に対応できるが、服装に関していえば裸になるのが限界なのだから、暑さへの対応力は非常に低いことがわかる。
なぜ、人間は夏に苦しまねばならない体に適応してしまったか?という点だ。


そう考えると、平均気温と平均体温との関係性が気になってくる。

人間の体は、平均体温が平均気温より高めだ。
気温の高い方にマージンが少なく、低い方にマージンが多い。
つまり、気温の変動に対して上方硬直性を持っている。

一つのアイディアとして考えられるのは、免疫系の機能を維持するためや、悪性の病原菌などの発生を抑えるのに現在の平均気温くらいがちょうどいいというものだ。
風邪なんかを引くと発熱するのはこのためだし、がん細胞は低体温で発生しやすい。

また、氷河期を乗越えてきたというアイディアもありだろう。
長らく氷河期を生き抜かねばならなかったし、寒冷地域が安全地帯だったというのものだ。
日本人の顔は、寒冷地域に適応して面の顔が熱くなっていて、歳をとっても崩れにくい。

地球温暖化も、現在の環境に適応してしまっている生態系に影響を与えるというのが問題だ。
やはり、地球環境に適応した結果というのがありがちな説明だろうか。
細菌の観点からの説なんかもありそうな予感がするな。

たぶん、進化生物学的な有力な説なんかがあったりするのだろうが、生物に関する知識が全くないのでさっぱりわからない。
ググる気力もない。
誰か知っていたら教えてください。

[つぶやき] ほどほどマッチョ

2010-06-03 15:36:05 | 経済
以前、当Blogで取上げた話題『[つぶやき] 介護って人海戦術以外ないのかしら』についてだが、アゴラで池尾和人氏が関係の深い話題を取上げていたのでピックアップ。

外需依存ではなく、逆輸入代替を目指そう--池尾和人
http://agora-web.jp/archives/1022544.html

やはり当Blogの問題意識通り、単純に医療・介護産業に資本を投入したんでは日本にはジリ貧が待ち受けていると池尾氏も指摘する。


もし医療・介護・健康産業といった分野への資源投入を増やさないならば、日本人の多くが、その高齢期において惨めで不満足な状態におかれるということになる。換言すると、そうした悲惨な状態を回避しようとする限りは、医療・介護・健康産業といった分野以外で使える経済資源の量は減っていかざるを得ないということである。そうであれば、医療・介護・健康産業といった分野の生産性を高める努力をできるだけ行うとともに、残された資源の配分の効率性を改善しないと、われわれの生活水準は低下してしまうことになる。


で、どうすべきか、だが。
池尾氏は次のように述べる。


したがって、資源配分の観点からは、医療・介護・健康産業といった分野以外は、日本では比較優位がある活動しか行わないことにすべきである。そして、資源を比較優位のある分野に集中して、それで外貨を稼いで、必要なものの大半は輸入する。要するに、これまで輸入していたものを国内生産に切り替えていくことを「輸入代替」というが、いまの日本にはその逆、いわば「逆輸入代替」が求められているといえる。そして、貯蓄率の低下とともに外貨を貯め込む余裕は段々となくなっていくだろうから、貿易依存度は高まるが、外需依存度は縮小する。


結局は、基本的な認識に戻るということだ。

優位な部分を延ばす。
新しい優位な部分を創造する。
劣位な部分から優位な部分へと転換を図る。
といった経済構造の変革を行うこと以外に答えはないだろうということだ。
無駄を削ぎ落として筋肉質な構造に変革する必要があるのは、企業でも国でも変らない。

ただ、これは何についても同様だが、遊びの全くない構造というのは環境変化に弱い。
だから目指すのはごりマッチョでもなければほそマッチョでもなく、ほどほどマッチョなのである。
市場原理を重視した経済政策を主張すると、全く遊びのない構造を求めているかのように捉えられる場合があるが、必ずしもそうではないことだけは誤解されないようにしておく必要があるだろう。

当り前のことを当たり前に

[つぶやき] 民主党が勝つ唯一の方法

2010-06-03 11:14:29 | 政治
鳩山首相の後継は誰かみたいな話で盛り上がっているが、誰がなっても既存路線から変更はできない。

方針を変えたら、衆議院を解散して民意を問えという話になるからだ。
それは、かつて民主党が自民党に対して主張してきたことに他ならない。
解散しない以上、誰がやっても鳩山首相時の方針から大きく変えることはできない。

しかし、民主党からしてみれば解散するのは政権を手放す可能性が高い自殺行為なので、できない。
つまり、次の総理は鳩山首相の方針から変えられない。
内閣のメンバも変えられない。
誰がなっても同じ。
つまり、誰がなっても政権運営は楽にはならない。
次の内閣も短期間に崩壊するのは見えている。
それがわかっているから、若手は立候補しない。

次期民主党政権が、国民の支持を得て、また説得力を持つための唯一の方法は、首相就任後直ちに衆参ダブル選挙に打って出ることを宣言することだ。
そして、選挙までの間に、民主党の新しい政権構想を練り上げることだ。

だが、それは今の民主党にはできない。
参院選に向けて走ってきたサンクコストを諦められないし、最も根本的な問題は、民主党の新しい政権構想を練り上げることができないことだ。
様々な利権集団からの寄せ集めだからだ。

だから、もし民主党が再生を望むのであれば、次の民主党のトップになった人は、次を実行することだ。
衆参ダブル選挙
新政権構想を提示することを宣言
新政権構想に賛成できない議員は民主党を離党させる
同時に野党から新政権構想に賛同する議員を集結させる

負けがわかっていながら玉砕を望む。
旧日本軍が辿った道だ。
やはり日本を支配しているのは「空気」なのだ。

ここでケーススタディだ。

どうすれば、あの終戦間近まで悲惨な戦闘を繰り広げなければならない事態を回避できたのか。
あなたが、もし太平洋戦争末期の日本に、政府の行動に影響力を持つ権限をもってタイムスリップしたなら、どうすればよいだろうか。
焼け野原願望をお持ちの方は「何もしない」というかもしれないが、そうではない人はどうすべきであっただろうか。

さぁ、今がまさにその時だ。
どうすればこの状況を変えることができる?

[責任シリーズ][01] これからの「責任」について話をしよう 導入

2010-06-03 10:16:45 | 社会
昨日、『これからの「責任」について話をしよう Part-1』を書いた。
当Blogでは「責任」という言葉を深堀りすることで、今日本を覆っている不信の嵐が何なのかという点について一つの問題提起を行おうとしている。
ハーバード白熱教室みたいに「道徳」や「契約」と行ったことを取り扱った方が議論は深みを帯びるかもしれないが、そういう言葉は一般ウケしないし、しばしば自分とは関係のないことと思われがちだ。

そこで、私は、「責任」という言葉を用いたい。
我々がいつも、例えば政治家とか、夫とか、親とか、商談相手とかに使うあのフレーズだ。

我々は至るところで誰かに向かってこういう。
「責任をとれ」
「あなたには責任があるだろう」
と。

しかし、この「責任」とは何だろうか。
我々は、一体この「責任」という言葉をどういう意味で使っているのだろう。
そして、この「責任」という言葉には、なんらかの有効性のある意味が込められているのだろうか?
また、「責任」という言葉には、どのような拘束力があるのだろうか。

我々は、「責任」について、どう考えるべきで、今後どう使っていくべきなのか。
そういうことをここでは議論したい。

ただ、普通「責任」という言葉を持ち出す場合、必然的に「自由」という言葉や「権利」といった概念にも追求していかざるを得ないが、ここでは極簡単に、誰にでも理解できる形で話を進めたいと思う。
また、ここで述べる「責任」とは、「法的な責任」や「政治的な責任」といった個別の概念や制度のことではない。
我々は「責任」について、どう考えるべきで、どう使っていくべきなのか、という「目的論的」な捉え方をしていく。

これからの「責任」について話をしよう Part-1

2010-06-02 17:00:15 | 社会
がっつり真剣に話がしたいわけではないです(笑)

地球上に人間として生まれると、ほぼ間違いなく何がしかのコミュニティに組み込まれる。
人間はある年齢に到達するまで一人で生きていくことはできない。
誰かに(狼かもしれないが)自立支援をしてもらわねばならない。
また、人間は子供を作るのに、異性と出会わなければならない。
種として生き残っていくためには、絶えず誰かと出会う必要がある。
(生き残っていくためにというより、生き残らないのならこの話をする必要はない)

人間は、人間としてあるために、明らかに誰かに依存していかなければならない。
ロンリーウルフのような生き方も可能だが、それは個として許されるのであって、全体として依存関係を断ち切ることができるわけではない。
断ち切れば人間というものはなくなるからだ。

「人間は社会的な生き物である」というような言葉もある。

人間は総体としてコミュニティに貼り付けられた存在だ。
そして、多くの場合、そのコミュニティには、道徳や規範、規則といったものが存在する。
コミュニティというものが生まれると、コミュニティを維持していく必要性が生じるからだ。
コミュニティには目的があるからだ。
それは自覚的かもしれないし、無自覚的かもしれないが、コミュニティには目的がある。
逆から言った方が正しいだろう。
目的のためにコミュニティはできる。

だが、その目的に基づいて必要性もまた生まれる。


ここで少し説明しておこう。
必要性が生じないところには、価値も規則も道徳も生まれない。
「必要とすること」から全ての価値は生まれてくる。

あなたが経済的に豊かになりたいのは、貨幣で交換できる何かに価値を見出しているからだし、それは、あなたがその何かを欲しているからだ。
もし、あなたがその何かを欲しないのであれば、あなたは経済的に豊かになることを望まないかもしれない。

あなたがオシャレな服装をしたがるのは、その姿を誰かに、自分かもしれないが評価されることを欲するからだ。
もし、誰も服装に関心を示さないなら、あなたはオシャレをすることに価値を見出さない。

あなたが、少し野蛮な考え方かもしれないが、あなたが付き合い始めの彼氏/彼女のために、少し高給なアクセサリーをプレゼントしようとするのは、あなたが彼氏/彼女から何かを引き出したいからだし、それは彼氏/彼女がアクセサリーを必要としている、という前提に立っている。
もし、彼氏/彼女がアクセサリーに興味を示さない人だと事前にわかっているなら、あなたはアクセサリーをプレゼントしたりはしない。

キリがないので、もう一つ例を挙げてこの説明を終えよう。

もし、仮に、あなたが生きていないのだとしたら、あなたは生きていくための努力をする必要がない。
もちろん、世の中には様々な人がいるので、あえて生きていくための努力を断る人もいるだろう。
しかし、多くの人々は、生きていく努力を、一生懸命行う。
こんなに物質的に豊かな日本という国にいても、死ぬまで食べていけるのかを気にしている人は大勢いる。
あなたは、食べないと生きていけないから、食べていけるということに価値を見出す。
あなたは、最低限でも、この食べていけることに努力をする。
それが、生きていくのに必要だからだ。
しかし、もし、あなたが生きていく必要がなければ、食べていけることに価値を見出さないだろう。


ここで、先の話に戻ろう。

ここまでで、必要性のあるところに価値は見出されるという説明をした。
そして、その必要性は目的ができると、それと同時に生まれるということも先に話した。

まとめれば、こういうことだ。
生きるということを目的としなければ、食べる必要性は生まれない。

コミュニティには目的がある。
そして、人間は生まれながらにしてコミュニティに組み込まれている。
つまり、人間は、守らなければならないものを、人間として生まれたがゆえに背負う。

この考えは、我々に非常に重要な示唆を与えてくれる。

次回は、「守らなければならないもの」をどうやって守るのか
という点について述べようと思う。

[つぶやき] 急がば回れ

2010-06-02 14:13:24 | 政治
よくない流れだ。

自民、民主党ともに議席が取れず、みんなの党が躍進、自民および民主党から渡辺総理の座を差し出されて、自民-みんな/民主-みんな連立政権が発足。
当初は大いに盛り上がるが、みんなの党の政権基盤が弱いことと、また渡辺総理の行政改革一本槍政策への霞ヶ関からの反発も必至であり、リーク、スキャンダル攻勢にあい政権瓦解みたいな筋書きが見える。
いかにもマスコミが好きそうな展開である。
彼らは日本がどうなるかよりネタの方がずっと大事なのである。

みんなの党は行政改革や一部の経済政策以外のところでは、民主党以上に政策のない政党だ。
政権与党になるにはまだ早い。
党基盤を確立するまでに政権与党に組み込まれれば潰されるのは必定だ。

民主/自民から改革派をみんなの党に集結させるのはいいが、政策として練り上げる前に時間が必要である。
潰れるのがわかって手を差し伸べる人々がいるからたちが悪い。
脅威になる前に才能の早摘みをやって潰すのは、新手つぶしの常套手段だ。

長い間生き抜いてきた猛者を甘くみてはいけない。


ちなみに「自民-みんな」はダブル選挙があった場合の話です。
ないですけどね。

[つぶやき] 鳩山首相が辞めてもね・・

2010-06-01 12:50:56 | ブログ情報(News Release)
またしても総理辞任騒動が起きちょります。

まさか4人連続短期間総理を求めちゅうのですか。

なんと言葉にしたらよいのか、どうしようもない程に情けのう動きたい。

原因は様々あろうかと思うが、ワシが危惧しちょるのはそういうことでなか。

誰もが「またか!」と嘆いとるゆうのに、どこからも「そうならないための仕組み」のための議論が聞こえてこんっちゅーことや。

ワシは以前から「直接選挙制による首相指名」と「衆議院の議員定数100」を提言しちょるのだが、誰も聞いてくれもはん。

確かに、日本人の中にある悲惨な戦争体験と既存の仕組みを変えるっちゅう恣意的さ、あと憲法を変えるっちゅう禁忌に触れるっちゅうのはわかっとんやけど、そやかて、変えなあかんとわかっていることを黙ってみているわけにもいかん。

ワシが「直接選挙制による首相指名」を推すのは、政治に責任を持つのは国民やいうことを皆で共有する必要があると思っちゅうからや。

「誰々がだめや、こっちにせい」いうて、次から次へと変えたがるのは、選ぶ時にちゃんと考えとらんからやないか。

人間っちゅうのは、反省の上に立たんと、しっかり物事を考えんもんやとワシは思うちょる。

ばってん、反省は問題を自分のコトとして認識せん限り出来んことや。

責任っちゅうのは「そうせねば、そのもの本来の目的を果たすことはできん認識」いう意味たい。

責任を理解してこそ、人は問題を自分のコトとして認識し、反省できちゅう。

だから、国民は首相に変ってほしい思うんやったら、首相に期待しちゅうわけやから、首相の選び方に気をつけなあかん思うわけや。

「衆議院の議員定数100」っちゅうのは、国会議員は政党じゃのうて自分の名前で選挙してもらいたいからと思っちゅう。

政党政治の弊害は、政治活動が政党に強く制約されゆうことと思っちゅう。

広く意見求めるゆうがは、国会議員が少なくても、それを支援する仕組みあればできる思うたい。

より多くの意見の一致も大事いうがはわかっとんやが、それを実現しとう思っちゅうなら、全ての法案は国民投票で行うべきやと思うねんや。

ワシは政治家いうがは、国民のえいじぇんとやと思ちゅう。

国民自身が判断した方がえい思うなら、そうしたらええし、誰かに判断を任せたい思うがやったら、政治家というえいじぇんとに任せたらええと、ワシは思っちゅう。

いいたいことらいっぱいあるけんど、今日はこのぐらいにしといてつかぁさい。


そんでも仕組みいじって小手先の技術で誤魔化そうとする邪道や言われもす。

ばってん、こげな意見出てこんばおかしい思うやけんど。



たまに関西弁で説得力ありそうな御高説を見る機会がありますが、なぜか私はあれに腹が立ってしまいます(笑)
どことなく上から目線に感じるからのような気がします。
そういう意味では、本エントリは最悪かもしれません(笑)