最近、イノベーションの話題が多かったので、たまに政治について語りたい。
「選挙が全て。」
有識者が語る小沢一郎に対するイメージだ。
小沢は政策論的にはボロボロに叩かれる。
「あいつは政策に興味がない。選挙に勝つことだけ。」
「だからポピュリズム的政策ばかりなのだ。」
そういって批判するのだ。
なぜか?
そう考えなければ、理解できないからだ。
小沢一郎という男を。
こんな見方もある。
例えば、いつも政策についてインサイダー的な明晰な分析を行う高橋洋一氏だが、彼も民主党の政策について小沢の影響に言及する。
「小沢陰関数」という形で。
鳩山由紀夫の政治を科学する (帰ってきたバカヤロー経済学)(高橋 洋一, 竹内 薫)
先に挙げた両者の立場に共通するのは、「民主党がよくわからない政策(みえみえの利益誘導政策)に偏るのは、小沢一郎がいるからだ。」
という点だ。
なるほど。
だが、言葉は悪いが、実に馬鹿馬鹿しい考え方だ。
私は「それが何なのだ?何が悪いのだ?」と言いたい。
何を分かりきったことを言っているのだ。
当Blogでは繰り返し説明していることだが、小沢一郎が選挙にこだわって見えるのは、それが日本の民主主義の実力だからだ。
小沢がいうように「国民のレベル以上の政治家は生まれない」のだ。
そして、政治家は、ただ、その国民の要求に応えているだけだ。
より多くの国民が同意する政策を導入する。
それを「選挙を基準とした政策決定手法」というのなら、そうなのだろう。
しかし、それこそ民主主義ではないのか?
国民の多くが望んではいないが、一部の政治家や官僚や有識者が正しいと思うことを実行することが民主主義なのだろうか。
何度もいうように、小沢一郎がやろうとしているのは「特定の政策」ではなく「日本の民主化」である。
それを「衆愚政治」「ポピュリズム」といって批判することはできるだろう。
しかし、それなくして、どうやって、将来的にみた日本の民主主義を高めることができるのか。
むしろ逆なのだ。
国民の意見をもっとダイレクトに反映する仕組みがないから、国民が国家に対する責任を認識できないのだ。
もっとポピュリズムが可能な仕組みを導入しないから、日本に民主主義が根付くことがない。
多くの政治家や官僚や有識者と呼ばれる人々が、国民を信じていないから、国民は自律しない。
小沢は、そういうことを見切っている。
彼は、日本にいる唯一の民主主義政治家だ。