※これは雑談です。たぶん、同じ話を過去何度も書いてるのですが・・ついしたくなるというか
『真なる問いは「恋愛禁止条例」の是非ではない。 是非論の先にある本質論。』の補足です。
昨夜はもう眠かったので不足分をここで。
あるところでは、「批判」は「解決案」や「代替案」の提案に比べて、10倍は簡単だと言います。
実際、何事に対しても批判をするのは容易です。
なぜなら、この宇宙が相対的で完璧なものなど存在しないからです。
問題の大小にこだわらなければ、どんな話にも必ず問題の一つや二つはあります。
「神の不在証明」という言葉がありますが、問題があることは1つでも問題があれば言及できますが、問題がないことはどれだけ説明を尽くしても証明できません。
不毛とは言わないけれど非生産的な政治的論争もマスコミ議論も似たような要素が多分にあります。
万人に遍く優しい政治を標榜する限り、自己矛盾は避けられません。
問題を追及する側は、一つでも問題があればそこを突くことができます。
1つ問題を見つけては、極論をぶつけてパフォーマンスする。
政策というのは、構造的にそういうパフォーマンスができてしまうものだから。
野党が万年野党的なのは、そういうところに依存しているという側面もあるのかもしれません。
だからといって、批判には意味がないというわけではありません。
世の中にどのような問題が起きているのか、またその認識すべき内容を知らしめる効果がありますし、そのことによって議論が強化され、新しい解決案に繋がる可能性もあります。
ただ、全ての批判を先回りして考慮にいれることは不可能だということです。
(もちろん、出来得る限りの配慮をすることは必要ですし、なんにせよバランス感覚のお話になってしまいます。)
限られた時間制約の中で、様々な葛藤の中で、問題の一つ一つに答えを出していく作業は、骨の折れる作業です。
だから往々にして、批判するだけの人の話は受け入れてもらえません。(「それはお前のことだ」と言われても反論できませんが・・汗)
現実を理解しようとしていない可能性が高く、役に立たない意見だからです。
ある問題を解決しようとすれば、他の問題が、予期されていたものも、全く考えてもいなかったものも発生します。
(一つ前のエントリで書きましたが)
ここで注意しなければならないのは、問題が起きないことによる問題(見えない問題)もあるということです。
例えば、何もしなければ問題が起きませんが、その代わり何も得ることができないという問題が発生します。
しかも何をやっても問題が発生するわけなので、全ての批判を受け入れることができません。
批判を解決 → 問題発生 → 批判を解決 → 問題発生 → (無限ループ)
そういうことで、批判だけする人の言葉は歯切れはよくカッコいいのですし、多くの支持を得るのですが、実際には聞いてもらえません。
DPさんからコメントでもらった、いきものがかりの水野氏のツィートに関してそんなことを考えました。
https://twitter.com/mizunoyoshiki/status/171408679546007552
自分という存在を商品化することに、私生活や人生の多くの部分を賭けてまで真正面から向き合い、各方向にオールマイティプレーヤーであろうとする。”アイドル”と呼ばれるひとたちを本当に尊敬しています。モノつくってたり、人前に出るひとで「アイドルなんて」って簡単にいう人は僕は信用できない。
だからといって「みんなで提案しよう!」と言ってるわけではなく、どうすれば意見を聞いてもらえるか、という話です。
私もニワカ論評するのは好きですし、AKB48はニワカ論評家にとって天国みたいな世界です。
『真なる問いは「恋愛禁止条例」の是非ではない。 是非論の先にある本質論。』の補足です。
昨夜はもう眠かったので不足分をここで。
あるところでは、「批判」は「解決案」や「代替案」の提案に比べて、10倍は簡単だと言います。
実際、何事に対しても批判をするのは容易です。
なぜなら、この宇宙が相対的で完璧なものなど存在しないからです。
問題の大小にこだわらなければ、どんな話にも必ず問題の一つや二つはあります。
「神の不在証明」という言葉がありますが、問題があることは1つでも問題があれば言及できますが、問題がないことはどれだけ説明を尽くしても証明できません。
不毛とは言わないけれど非生産的な政治的論争もマスコミ議論も似たような要素が多分にあります。
万人に遍く優しい政治を標榜する限り、自己矛盾は避けられません。
問題を追及する側は、一つでも問題があればそこを突くことができます。
1つ問題を見つけては、極論をぶつけてパフォーマンスする。
政策というのは、構造的にそういうパフォーマンスができてしまうものだから。
野党が万年野党的なのは、そういうところに依存しているという側面もあるのかもしれません。
だからといって、批判には意味がないというわけではありません。
世の中にどのような問題が起きているのか、またその認識すべき内容を知らしめる効果がありますし、そのことによって議論が強化され、新しい解決案に繋がる可能性もあります。
ただ、全ての批判を先回りして考慮にいれることは不可能だということです。
(もちろん、出来得る限りの配慮をすることは必要ですし、なんにせよバランス感覚のお話になってしまいます。)
限られた時間制約の中で、様々な葛藤の中で、問題の一つ一つに答えを出していく作業は、骨の折れる作業です。
だから往々にして、批判するだけの人の話は受け入れてもらえません。(「それはお前のことだ」と言われても反論できませんが・・汗)
現実を理解しようとしていない可能性が高く、役に立たない意見だからです。
ある問題を解決しようとすれば、他の問題が、予期されていたものも、全く考えてもいなかったものも発生します。
(一つ前のエントリで書きましたが)
ここで注意しなければならないのは、問題が起きないことによる問題(見えない問題)もあるということです。
例えば、何もしなければ問題が起きませんが、その代わり何も得ることができないという問題が発生します。
しかも何をやっても問題が発生するわけなので、全ての批判を受け入れることができません。
批判を解決 → 問題発生 → 批判を解決 → 問題発生 → (無限ループ)
そういうことで、批判だけする人の言葉は歯切れはよくカッコいいのですし、多くの支持を得るのですが、実際には聞いてもらえません。
DPさんからコメントでもらった、いきものがかりの水野氏のツィートに関してそんなことを考えました。
https://twitter.com/mizunoyoshiki/status/171408679546007552
自分という存在を商品化することに、私生活や人生の多くの部分を賭けてまで真正面から向き合い、各方向にオールマイティプレーヤーであろうとする。”アイドル”と呼ばれるひとたちを本当に尊敬しています。モノつくってたり、人前に出るひとで「アイドルなんて」って簡単にいう人は僕は信用できない。
だからといって「みんなで提案しよう!」と言ってるわけではなく、どうすれば意見を聞いてもらえるか、という話です。
私もニワカ論評するのは好きですし、AKB48はニワカ論評家にとって天国みたいな世界です。