進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

「AKB48」の旗を掲げよ

2013-02-06 14:16:32 | AKB48_心の叫び




どうした。


旗が降ろされたままだぞ。


誰か旗を手に取り、掲げるんだ。


そして、旗に集うんだ。


たとえ夢やぶれたとしても、仲間が次から次へと倒れたとしても、去っていく者がいたとしても、


最後の瞬間まで旗を掲げ続け、信じた道を突き進む。


それがAKB48たる所以であり、誇りだろう?


それとも、東京ドーム公演の夢を果たしたことで、目的を失って進むべき道がわからなくなったのか。


旗に集う覚悟のない者は去ればいいし、


新しい旗を掲げたかったら掲げればいい。


旗を掲げるんだ。



【追記】

読み返すと、ずいぶん精神論だなぁと思ったが、

これは、たぶん最近『レ・ミゼラブル』を観た影響だな(笑)

今朝山手線が止まってた間、ずっとサントラ聴いてたからなぁ・・

映画『DOCUMENTARY of AKB48 NO FLOWER without RAIN』 ~ それぞれの真実 ~

2013-02-06 12:45:45 | AKB48_軽ネタ



新予告「DOCUMENTARY OF AKB48 NO FLOWER~」リクエストアワーVer. / AKB48[公式]



仕事を早めに切り上げてレイトショーで『DOCUMENTARY of AKB48 ~少女たちは涙の後に何を見る~』を観て来た。

昨年の『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』より面白かった。

私の感覚がおかしいのか(たぶんおかしい部分あるのだろうけど)、ネットでの評判と自分が感じたことがずいぶん異なったので、

映画の余韻に浸りながら、思うことをツラツラと書こうと思う。


映画『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on』 私たちはそれでも夢を見る
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/9a35eb8489365152db81d031affb51f5


まず、昨年に比べて悲壮感はない。

昨年は題名に「少女たちは傷つきながら、夢を見る」とあるように、傷つきながらも夢に向かって進む彼女達の姿が映し出されていた。

今回は、これまた題名に「涙の後に何を見る」とあるように、彼女たち1人ひとりが夢を追いかける過程、もしくはその結果、何を見て、何を感じるのか、という部分に焦点があたっている。

昨年はAKB48の「がんばる姿」を表現したのだが、今回はメンバー達の「生き様」を表現したのだと思う。

AKB48という活動によって生み出される様々な「結果」それ自体を判断するのではなく、結果がどうあれ、その良し悪しに関係なく、AKB48という類稀なるアイドルグループの中で、若い彼女たち1人ひとりが何を見て、何を感じ、何を考え、何を信じ、どこへ向かおうとしているのか、というところを掘り下げようというドキュメンタリー作品である。

もっとわかりやすくいうと、昨年はメンバー達のがんばる姿を見せて「AKB48とはこういうものです。」というプロモーション的な要素が強かったのに対し、今年はAKB48という題材をテーマにしたヒューマン・ドキュメンタリー映画になっている。



今回の一番大きなキーワードは「センター」だろう。

これは、やはり前田敦子の卒業と関係している。

絶対的エースであった前田敦子の卒業によって「センター」の価値に混乱が生じ、メンバーやファン、スタッフなど皆にとって「センター」というものが何なのかが解釈し直されることになった。

メンバー1人ひとりにとって「センター」が何なのか、この各々の様々な価値観が錯綜する混沌の中で、つまり、どうすればよいのかということを誰もがわからない中で、メンバー1人ひとりが何を考え、その結果、どうAKB48というグループは動いているのか、その様が見て取れる。


他の重要なキーワードは「AKB48ではないもの」かもしれない。

理由は様々だが、AKB48(AKB48らしいもの)以外の選択肢を選ぶ/選んだメンバーが何を思うか、という部分に注目するのは新しい部分だと思う。

これまでは知りたくても知れなかった部分でもある。

AKB48という「組織」が存在する以上、どれだけ巨大組織だとしてもAKB48の「内(AKB48らしいもの)」と「外(AKB48らしくないもの)」というものがある。

もちろん「外」であっても関連性を断ち切れるわけではないが、AKB48の外の世界も確かに存在するのであり、この映画は、その「外」の世界からAKB48を捉えなおす一つの機会となっている。

それは、どんな選択をしたとしても、それは1人ひとりにとって否定できない確かな現実なのであり、AKB48の内においては無価値かもしれないが、外の世界においては、1人ひとりにとっては価値のあるものなのである。



AKB48そのものがそうなのだが、キーワードや材料はあっても明示的な答えは何も提供されない。

この映画の何を見て、何を感じ、その結果何を考え、何を信じ、どうするのかはあなた次第だ。

いつも通り、結論がないのが結論である。