進化する魂

フリートーク
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『従業員』の誕生 ~時代遅れになった経営管理思想~

2012-07-01 22:59:16 | AKB48_経営戦略・組織論系
まったく時間をつくれず・・
今ようやく落ち着いたところ。

ふぅ・・いろんなものが手に余る。
はたしてどうしたものか。
急に疲れた。

・・などと考えていると時間だけが過ぎる。
もし人生をシミュレーションすることができたなら、自分の都合のよい道だけを選ぶのだろうか。

もし私が望むものが結果なのだとすればそうだろう。
だが、人が心の奥底で望んでいるものが、結果などではないということは、ほとんど立証されている。

だから、もし私が遠い未来のことまで見通す能力を持っていたら、未来に目を閉ざす道を選ぶだろう。

まぁ・・こんな話はおいおいするとして、


AKB48宮澤佐江がチーム4に苦言(AKB48まとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51829537.html


当Blogでも何回かチーム4について語ってきたけれども、今一度語り直そうかなという気持ちになっています。
この件は語り甲斐のある話題であることに間違いありません。

ただ、その前に準備も必要かなと思います。
やはり議論するにも、ある程度に認識なり言葉を合わせておくとスムーズになります。

そこで事前知識として、数回にわけて「次世代の組織論」についての導入をやりたいと思います。

参考図書はゲイリー・ハメル『経営の未来』です。
「当代随一の事業戦略家」と名高いゲイリー・ハメルの言葉をお届けしたいと思います。




この件は、私の中でも旬なトピックでありまして、いろんな人に説いて回っては様々な壁にぶち当たっています。
その内容が、多くの人の頭の中に刷り込まれた常識に挑戦するものだからです。
実に多くの人たちのね。

こびりついた常識を疑うところからはじめたいと思います。
(何度か語ってきている内容ではありますが、今回は違う視点から述べます。)


◆◆◆◆◆◆


「自己管理するする社員についての知識を誰に対して説くのだろう。管理職に対してか?」

参りましたというしかない。

(ゲイリー・ハメル)



■顧客との分離


工業化以前は、農民や職人は顧客と密接なつながりを持っていた。常連客から日々与えられるフィードバックは、タイムリーで間に人を介さないものだった。だが、産業組織の規模が拡大していく中で、何百万人もの従業員が最終顧客とのつながりを失っていった。直接的なフィードバックを奪われた彼らは、顧客により近いところにいる人々に、自分の努力の有効性を測定してもらい、どのようにすれば顧客をより満足させるかを教えてもらわなければなくなったのである。


■最終商品との分離


企業が部門や職能グループに分かれていく中で、従業員は最終製品からも切り離されていった。仕事がより狭くなり、より専門化されたため、最終製品との感情的つながりを失ったのである。その結果、製品の品質や効能に対する責任感は低下した。労働者は誇りある職人ではなくなり、自分たちの力ではほとんど制御できない産業マシンの歯車と化した。


■仲間との分離


規模の拡大は従業員を仲間の労働者からも切り離した。それぞれが半ば孤立した部門で働いているため、彼らはもはや生産プロセス全体を見渡すこともできなくなった。そのシステムが最適ではなくても、それを知る術も、是正する術もなくなったのである。


■事業主と労働者との分離


工業化は労働者と事業主の隔たりも拡大した。19世紀の見習い工は自分の考えを事業主に聞いてもらえただろうが、20世紀のほとんどの従業員は低レベルの監督者に報告するだけとなった。組織の規模が拡大したことで、何十年もそこで働いているのに、重要な方針決定を行う権限を持つ誰かと1対1で話したことは一度もないという下っ端社員も見受けられるようになった。


■情報との分離


その上、業務の複雑さが増したことで、従業員が入手できる情報は細切れになった。小さな事業所では、財務記録は単純かつリアルタイムで、会社の業績についてわからないことはほとんどなかった。工業化時代の大企業では、従業員に与えられるデータは部分的なものになった。そこからは自分自身の業績は把握できるが、会社全体の業績はほとんど読み取れない。会社の財務モデルを節穴から除くことしかできなくなり、結果に対して負わされる責任が極めて小さくなったことから、従業員が会社の業績について心から責任を感じるのは難しくなった。


■創造性との分離


最後の、そして最悪の点として、工業化は従業員をおのれの創造力から切り離した。工業化された世界では、作業の方法や手順は専門家が決めるようになり、いったん決められたら簡単には変えられなくなった。従業員がどれほど創造力豊かだろうと、その能力を発揮する範囲は厳しく制限されたのである。


■意欲の喪失


簡単に言うと、規模や効率の追求は、労働者を工業化以前には彼らがほぼ自己管理できていた基本的な情報から切り離し、そうすることで管理職クラスの拡大を不可避にしたのである。従業員に管理職が必要なのは、13歳の子供に親が必要なのとほぼ同じ理由からだ。つまり、自己管理できないからなのだ。成長ホルモンの為に頭が混乱し、おまけに限られた人生経験しかない少年期の子供は、一貫して賢明な選択を行うだけの認識力に欠けている。だから賢明な父母は彼らの自由を制限するわけだ。それに対し従業員は、知恵や経験は不足していないが、えてして顧客や同僚、最終製品や事業主や財務の全体図から切り離されているので、情報と背景知識は間違いなく不足している。自ら管理する力を奪われているがゆえに、上からの管理を受け入れなければならないのである。その結果は、意欲の喪失である。


■ついには


そしてついには、13歳の、あるいはそれ以下の子供のように扱われることを喜ぶようになるのである。


■歴史を変える、これまで行われてきたように


意欲のない社員。抑圧されているイノベーション。柔軟性のない組織。新しい世紀になったにも関わらず、我々は依然として、ほぼ100年前に生み出された経営管理モデルの副作用に悩まされている。だが、歴史は代えられない定めである必要はない。過去に遡って、他の多くの人が今なお何の疑いも持っていない遠い昔の選択を評価し直す気があるなら、間違いなく変えられるのだ。


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