粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

竹富町の国防意識の欠如

2014-04-18 18:47:42 | 沖縄の虚像と実像

沖縄の竹富町が地区協議会の決定に反して、採用すべき中学校の公民教科書でない別のものを使用しているという異常事態が続いている。政府が今年なって本来の教科書を使用するよう竹富町に直接勧告したが、町の教育行政の責任者である慶田盛教育長はこれを断固拒否している。

地区を構成する3自治体のうち石垣市、与那国町は採択された育鵬社の公民教科書を使用しているが、竹富町は東京書籍のものを使っている。したがって本来無償配布される教科書だが、竹富町は有志の寄付で購入して授業で教える状況だ。

普通、教科書の選択は各自治体が単独で行なうが、自治体が小さな離島で周辺の島々と諸島を構成しているような場合は、地区協議会として合同で協議することになっている。したがって、地区協議会の決定に従うべきは当然であり、竹富町の行為は違法といわれても仕方がない。

ところが、沖縄の地元紙ばかりか中央の左翼メディアまでが竹富町の立場を擁護している。協議会の決定が密室でおこなれて不透明だとか、本来は各自治体が決める性格のものだとか。さらには授業を受けている生徒に取材して「この教科書が問題とは思わない」などと発言させている。

しかし、この教科書問題の本質は国防・外交を中心とした国の根幹を巡る対立といってよい。やはり、安部政権が標榜する「戦後レジームからの脱却」に対する攻防戦の一環ともいえる。それは、採択された育鵬社と竹富町が「採用」している東京書籍の公民教科書の記述にも如実に現れている。沖縄県民のブログ「狼魔人日記」の本日の記事で尖閣諸島の記述の相違が指摘されている。

「尖閣諸島」の記述

 ■育鵬社   沖縄県八重山諸島北方の尖閣諸島は、日本の領土です。 しかし中国は1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするようになりました。 ただし、中国が挙げている根拠はいずれも領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な根拠とはいえません。

 ■東京書籍 沖縄県先島北方に位置する尖閣諸島は日本の領土ですが、中国がその領有を主張しています。

これを読めば尖閣諸島に対する教科書の見識の違いがはっきりしている。問題は石垣市、与那国町、竹富町で構成される八重山地区は尖閣諸島を含んでいることだ。

つまり、尖閣諸島は「地元」であり、教科書採択の時点で漁船衝突事件が発生して日中関係がその領有を巡り緊張が高まっていた。採択の翌年は野田政権が尖閣諸島を国有化して悪化は決定的なっている。現在中国の挑発行為が常態化しているのはいうまでもないし、この地区が日中抗争の最前線になっているのだ。

こういう状況で「中国が領有を主張しています」といった記述がいかにも浮世離れしていることがわかる。そもそも地区協議会が育鵬社の教科書を採用したのは、そんな国防の危機感を強く自覚した上でのものだった。しかし、竹富町はそうした自覚を軽視し、従来からの沖縄特有の反基地感情を貫こうとしている。

東京書籍の公民では逆に普天間基地移設問題が沖縄県民の反対で迷走していることを詳細に記述している。もちろんこの問題を軽視する訳にはいけないが、これに拘泥し国防を軽視することが中国に間違ったメッセージを送り結果的に中国を利することにもなる。これが次世代を担う地元の子どもたちに誘導されるとしたら非常に危険で深刻といわざるを得ない。 

 

中国政府の自滅しかない

2014-04-17 07:28:58 | 厄介な隣国

本日17日、産経の記事だ。

中国で深刻化している微小粒子状物質「PM2.5」などによる大気汚染が、北半球における異常な巨大嵐や大量降雨、大寒波などの重大な気候変動の原因になっているとする研究論文が16日までに、全米科学アカデミー紀要に発表された。

さもありなんだろう。それでいくと昨年日本で起こった豪雨や豪雪などの異常気象も中国の大気汚染が原因ということになる。それでなくとも、春ともなれば黄砂とともにこのPM2.5が日本に飛来して人の呼吸器系に影響を及ぼしている。

困った国である。東シナ海でやりたい放題領海侵犯し、勝手に領空識別圏を設定する。そのくせ、安倍首相の靖国参拝を批判して日本は歴史を反省していない、右傾化し、軍国主義が復活していると騒ぐ。挙げ句は日本は日中戦争で中国人民を3000万人死傷させた、南京で一度に30万人大虐殺したと虚構をでっち上げて大騒ぎする。

これまで隣国の横暴が許されたのは、中国が経済成長を続け、その経済力を武器に世界を萎縮させてきたことが背景にあるだろう。韓国は極端としても米国やEUがそれに「ほだされた」と考えられる。日本の経済界も例外でない。世界が中国を増長させたといえるし、今回の世界的異常気象も例外でない。

しかし、もはや中国の経済成長は終わったと考えてよいのではないか。これまで中国国民も経済成長のおこぼれで少しは預かれたが、もはやそれも望めない。一部の大資本家や政府の役人、共産党幹部と一般国民との経済格差は是正されるどころか開く一方だ。

しかし、中国には政治的自由はほとんどないといってよい。苦情をいう言論の自由もない。ネット規制に300万人の監視員が投入されているほど徹底した国民監視がなされている。

したがって、環境汚染の不満を政治に反映させて解決させる手段がない。大気汚染の引き起こしている国営企業や有力資本家は政府や共産党と癒着が酷く、根本的な規制は困難とされている。結局、大衆が犠牲になるだけで汚染は深刻になっていく。いずれ大きな暴動になるか、共産党政権自体が幹部が海外逃亡して朽ちていくか。共産党政権の最後はそう遠くではないと思う。傲慢中国の自滅を待つしかない?


モーツアルト「夕べの想い」

2014-04-16 15:09:45 | 音楽

縁起でもない話だが、自分の葬儀でこの曲「夕べの想い」を流して欲しいと思っている。モーツアルトが31歳の晩年?(享年35年)に作曲された歌曲でピアノの伴奏とともにソロで歌われるシンプルな曲だ。自分のブログのタイトルに借用するくらい大好きな曲であるが、モーツアルトの歌曲の中ではゲーテの詩による「すみれ」とともに最高傑作といってよい。

テーマは、自分の葬儀に集まった友人への旅立ちのメーセージであり、日本の歌でいえば「千の風になって」に近いといえるかもしれない。(歌詞の字幕付きの動画がある)事実、曲の中で「おお友よ、私も姿を現し天上の香りをきみに伝えよう」といった、風を連想する歌詞が出てくる。

そして、最後は「一粒の涙を捧げておくれ。そしてああ、決して恥ずかしがることなく、涙を流して欲しいのだ。おお、君の涙は私の身を飾る物の中で最も美しい真珠となるのだから」と、切々と友の胸中に訴えかけるものになっている。

やはり、「夕べの想い」もモーツアルトの曲に象徴される世俗を離れた天上の澄み切った響きで満ちている。この曲を世界的に有名なクラシックの男女の歌手が歌っているが、女性歌手の美しい歌唱が安心して聴ける。多くの女性歌手が美人だ、特にモーツアルトの場合はそうだといったら明らかに贔屓が過ぎるだろうが。

最初CDで聴いたのは日本のメゾソプラノ歌手白井光子のもので、ずっと自分にとってこの曲がベストだと思っていた。しかし、最近これをしのぐかもしれない歌手に出会った。今は本当に便利な時代で、ネットで検索すればいくらでも「夕べの想い」を歌う世界的な本格派歌手の動画を鑑賞することが出来る。

その中で自分にとって二人の女性歌手がベストだと思っている。アーリーン・オジェー(1938~1993)とバーバラ・ボニー(1956~)だ。共にアメリカの歌手だが、年代的には18年の開きがあり、既にオジョーは故人だ。

オジェーは、控え目ながら心を込めて切々と歌っている。母性で包み込むような暖かみと優しさに満ちている。一方、ボニーは透明感があって色彩が鮮明で明快な響きがある。しかし冷たさはなくセーブされた情熱がストレートに伝わってくる。いかにも現代的な響きでオジョーとの世代の違いを感じる。

この「夕べの想い」は、父親の死の直後に書かれている。神童といわれるモーツアルトだが、父親のレオポルトは、幼児の内から息子の天才性を見抜き、その才能を開花させるために自分の人生を捧げてきた。いつか息子が成長するにつれて音楽での生き方に対立が生まれて父子は決別していった。しかし、モーツアルトからは音楽の師、人生の師である父親が脳裏から離れなかった。そんな父親への鎮魂歌がこの「夕べの想い」だとされている。

しかし、この作曲を終えてそれを振り切るかのようにあの明るい名曲が誕生する。モーツアルト好きいやクラシックファンでなくても、日本人ならいや世界中で親しまれる代表曲だ。セレナード「アイネ・クライネ・ナハトムジーク(小さな夜曲)」である。名前は知らなくても聴けばなるほどというあの曲だ。鎮魂の世界からの新たな生の飛翔、二つの名曲に非常にドラマチックな変遷を感じる。

話は余談になるが、モーツアルト家の有名な肖像画がある。姉とピアノの連弾をするモーツアルト、側で父親がその演奏を聴いている。壁には数年前に他界した母親の肖像画が掛けられている。ここでかつての人気アニメを思い出す。梶原一騎の「巨人の星」だ。姉弟の父子家庭、息子への時に厳しい英才教育、父と息子の決別…。巨人の星のモデルはモーツアルト一家ではないかと密かに推測している。

家族

 

 


女性高校教師とミシェル夫人

2014-04-15 13:17:55 | 国際時事

埼玉県の女性高校教師が、自分の高校の入学式を欠席し息子の高校の入学式に出席したことが問題になっている。この50代の教師は新学年で1年生の担任に決まっているのでなおさらだ。保護者が県の教育委員会に匿名で通報してそれが発覚したという。端から見ても自分の職務よりもプライベートを優先でさせることは教師にあるまじき行為だと思う。

それ以前に教師から休暇願が出された時、ここの校長はどう判断したのだろうか。さらにはこの教師の家庭事情を想像してしまう。母子家庭でなければ、夫はこの妻の行動をいかに見ているのか。「あまりみっともないことはするなよ」と夫は忠告できないほどこの妻の発言力が強いのだろうか。息子は「母さんは来なくてもいいよ」なんていえなかったのだろうか。

他人の家庭なのでその内部事情は知る由もないし、こちらがそれ以上詮索しても仕方がない。しかし、これが一国の元首の家庭の場合はどうか。オバマ米国大統領のことだ。今月国賓として日本を訪問する。天皇皇后両陛下ご臨席の晩餐会にオバマさんは出席する。しかし、なんとミシェル夫人が同行せず当然晩餐会にも臨席しないという。

その理由が子どもの学期中のためというとんでもない話だ。先月は母子で中国を1週間も訪問し習近平夫人とも会見している。この時期は子どもの春休み中だったというが、今回の訪日不同行をみるとなんとも日本への非礼の度が過ぎていると思う。オバマ政権が日本より中国を重視していることの現れと見る向きもあるが、はたしてどんなものだろうか。

正直な話、ミシェル夫人の気まぐれに過ぎないのではないか。どうもこの夫人ファーストレディとしても自覚がなさ過ぎる。政治の世界でファーストレディ外交とよくいわれる。男同士の外交は、表向きの建前が先行しやすいが、夫人同士がプライベートの交流を深めることで相互の国民の親睦を高めるのに一役を買う重要な役割がある。

昨年安倍首相は米国を訪問した際には、昭恵夫人を同行させなかった。実は当時ミシェル夫人の都合で夫人同士の会談が出来ないためということだったようだ。昭恵夫人は会うつもりでいたのだが。そして今回のミシェルの不同行、結局両夫人の会談がいまだ実現していない。朴槿恵韓国大統領ばかりを責める訳にはいかなくなる。さぞかしケネディ駐日大使も気をもんでいることだろう。

しがない噂によると、オバマ夫妻の夫婦仲は芳しくないという。昨年オバマ大統領がデンマークの美人首相と談笑していたのをミシェル夫人が激怒したという報道もあった。あるいは歌手のビヨンセとオバマが不倫している噂も。それこそ仮面夫婦そのものになってしまう。

それはともかく、政務よりも子どもそして自分自身を優先させるミシェル夫人、息子の入学式に出席した女性高校教師とだぶってみえる。困惑するオバマ大統領と女性教師の夫。不信感を募らせる日本政府と日本国民、かたや担任を受け持つ生徒と保護者、規模の違いはあるが、いいようのないやり切れなさを感じているることは確かだ。

 

あざとさとかわいさ

2014-04-13 19:54:53 | 事件・事故・時事

う~ん、どうなんだろう。この女性科学者の本性は?先週のブログで自分自身かなり同情的に小保方さんの印象を書いた。しかし、花田紀凱氏が産経新聞で連載している「週刊誌ウォッチングの記事を読むと評価が二分されているようだ。それも男女によって。男たちは彼女の、時に涙を浮かべて気丈に?語る姿に同情して「かわいい」と思う。しかし、女たちは自分の悲劇を演出する「あざとさ」を見る。

「男はね、ああいう女にすぐ騙(だま)されるのよ」花田氏は周辺の女性からいわれたようだ。そういわれて自分の冴えない女性経験を思い出すと二の句が出てこない。太宰治の小説「カチカチ山」にこんな一節があった。「女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでゐるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかつてあがいてゐる。」と。

といって小保方さんがテレビでたまに出てくる、世の男をものともせず逆に尻に引く女性だったらどうか。和田アキ子、デヴィ夫人、田島陽子、西川史子…。あまり想像したくない。週刊誌も逃げていくだろう。

それにしても、論文の不備はどうでもいい。STAP細胞は存在するのか。小保方さんが200回も作成に成功したと胸を張って語っていた。ともかく、早く検証をして欲しい。時間はかかるかもしれない。日本のキュリ夫人になるか。あるいは希代の詐欺女か。

そういえば、時を同じくして男性宅に自分を呼び入れた挙げ句、睡眠薬を飲ませて昏睡強盗を繰り返した20代の女が指名手配された。テレビのインタビューで若い男性が「普段は気をつけていても、いざという時に騙されるかもしれない」と率直に答えていた。指名手配の画像を見るといかにも男好きのする妖しい女に見えた。もちろん小保方さんと全く関係ない話だが。