粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

赤旗の明快で具体的な領土解説

2014-04-05 15:40:26 | 反原発反日メディア

小学校の教科書が来年度から「尖閣諸島と竹島が日本の固有の領土である」ことが明記されるようになった。これまで記述が疎かになっていたこと自体が異常だったといえる。

当然ながらというか、理不尽というか中韓が日本の教科書検定を批判してきた。これは予想されてきたことで特に問題にしても始まらない。そして日本のメディアの反応も然りだ。読売新聞、産経新聞が日本の検定を歓迎したのに対して朝日新聞、毎日新聞、がこれに異議を唱える。

朝日に至っては双方の主張をふまえ、自分の頭で冷静に考えられる力を養うことをめざしたい。」(4月5日社説)何をか言わんやである。相手方の言い分を聞いて自分の頭で考えろ、もっともらしい言い分にも思えるが小学生にそんな頭を要求するのが現実的なのか。国の根幹をなす領土問題でまず日本の立場を教え込むのが基本ではないか。

ところでこの左翼新聞にとっては「本家」かもしれない日本共産党機関紙「赤旗」はこの領土問題はどう認識しているのか。ネットでの解説にはっきり尖閣諸島も竹島も日本の領土であるこを解説している。

1、まず尖閣諸島について

…尖閣諸島を探検した日本人の古賀辰四郎氏が1885年に同島の貸与願いを日本政府に申請。政府は沖縄などを通じた現地調査のうえで、1895年1月の閣議決定で尖閣諸島を日本領に編入しました。歴史的には、この措置が尖閣諸島に対する最初の領有行為でした。

 これは「無主の地」を領有の意思をもって占有する「先占」にあたり、国際法で認められている領土取得のルールです。

…中国は1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議も行っていません。実際、53年1月8日付の中国共産党機関紙「人民日報」は「尖閣諸島」という日本の呼称を使って同諸島を日本領土に含めて紹介していました。

「無主の地」の貸与を日本人が日清戦争前の9年前に日本政府に申し出たのが発端で1895年に閣議決定で日本の領土になった。その間清国政府が何ら異議を唱えなかった。さらに第二次大戦後も中国は人民日報ではっきりと日本の呼称で尖閣諸島を日本の領土に含めて紹介した…赤旗の論拠が明確で納得のいく説明となっている。

2、竹島について

竹島は日本海航海者の好目標であったため古くから日本人にも知られ、「松島」の名で日本の文献にも表れ、アワビやサザエなどの漁に利用されていました。しかし、この島の帰属は、文献的には必ずしも明確ではありませんでした。

 1905年、竹島でアシカ猟に従事していた隠岐島の中井養三郎氏から10年間の貸し下げが出されたのを受け、日本政府は同年1月の閣議決定で同島を日本領として島根県に編入しました。

 竹島はこれ以来、日本領とされてきました。51年のサンフランシスコ平和条約第2条a項も、竹島を、朝鮮に対して放棄する島の中に含めていません。それは条約作成の過程からも明らかです。

韓国が竹島の領有を主張したのは、1952年の李承晩ラインにおいてであってそれまでその領有権を主張したことがない。李承晩ラインもサンフランシスコ講和会議で否定されているし、アメリカ政府高官の書簡でも裏付ける記述が見られる。赤旗もこうした事実をふまえて日本領有の正当性を主張している。

こうした赤旗の領土認識を「分家」の朝日新聞はどう考えているのだろう。領土について中韓の立場を尊重する朝日にとっては、赤旗の言説は「ナショナリスト」の主張にも映るのではないか。朝日は日本の新聞ではない?

もっともやはり赤旗だと思うところは、こうした領土問題解決の方法論だ。「あくまでも歴史的事実と国際法上の道理にのっとり、冷静な外交交渉によって解決を図ることが大事」という立場だ。特に竹島については「まず日本が韓国に対する過去の植民地支配の不法性と誤りをきちんと認めることが不可欠」と主張している。

なによりも話し合いで解決だ。韓国については過去の植民地支配を反省して謙虚に臨め、といった感じだ。その点では「後輩」の朝日とは同一といえるかもしれない。ただこの道理が中韓で通じるかと問われれば別問題である。中国の南沙諸島での高圧的態度や韓国の慰安婦問題での一方的な要求を見れば大いに疑わしい。「平和を愛する諸国民」と赤旗も朝日新聞も現在の憲法を金科玉条のごとく崇めているが、その実態は決して生易しいものではない。