粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

世界が嘲笑する「憲法九条にノーベル平和賞を」

2014-04-12 12:09:56 | プロ市民煽動家

最近、朝日新聞系のメディアが盛んにこの話題を取りあげている。昨日は例のテレ朝「報道ステーション」で古館アナが楽しそうに?話していた。残念ながら、ゲストの古賀茂明氏のコメントが聞けなかったがはたしてどう感じたろうか。

日本国憲法第9条の戦争放棄の条文が世界に誇れる平和宣言だとして、一人の主婦の発案から十数人の賛同する知識人たちによって、ノーベル平和賞の推薦がなられた。なんと受賞者は日本国民だという。ノルウェーのノーベル委員会によりこの推薦が受理され、正式の候補となったようだ。しかし、この報道に接して自分自身何ともいえない不快感に襲われた。

第一に世界はこの第九条が世界平和に貢献したと思っているだろうか。あるいは人類が目指すべき理想と国際社会で認知されているのだろうか。確かに日本で行なわれる9条を擁護する集会に世界の平和活動家が出席する場面は見られる。しかし、国際社会でたとえば国連などでこれを賛美した話など聞いたことがない。世界の平和を叫ぶムーブメントで9条を「世界標準」として語られたことはあるのだろうか。

世界の人々からすれば、平和とは勝ち取るために努力するものだと考えているはずだ。そしてそれは国民の義務ともいえる。世界の歴史をみれば民族間の虐殺や略奪の繰り返しだ。各民族がこうした事態を抑止するために、暴力装置とされる軍備の整備を怠るわけにはいかない。決してこちらが平和を叫べば自然と平和が訪れると信じている国民はいないのではないか。日本の一部国民を除いて。

憲法9条を賛美している人々は、これによって日本で70年近くも平和が保たれたと胸を張っている。しかし、世界で日本の平和が決して憲法9条によって保たれたと考えている人々はほとんどいないのではないか。おそらく日米安保条約によるアメリカの核の傘によって、平和が保障されたと思っていることだろう。

結果的に、軍事力は他国に依存してその分経済発展に日本は集中できたともいえる。今日の日本の繁栄はそんな特殊な恩恵によるところが少なくない。以前よくいわれた安保タダ乗り論だ。それも戦後の冷戦構造がこれを可能にした。日本は西側陣営の橋頭堡の役目を担い米国より手厚い防衛の恩恵を受けたのだ。

したがって、自衛隊は別にして日本は平和のための「努力らしい努力」などしていない。むしろ当然なすべき義務を怠っている。それを世界は冷徹に見ている。こんな「憲法9条にノーベル賞」などというのは世界の現実を知らない人々の戯言と冷笑されるのが落ちだ。申請する相手が違っている。むしろギネスブックがふさわしいのではないか。幻想的平和を唱え続けて最長69年の国民、なんてね。