粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

朝日新聞ご愁傷様?

2014-04-02 14:04:30 | 反原発反日メディア

「チャンネル桜」という保守論壇の動画配信サイトがある。最近では東京都知事選挙で田母神俊雄候補の選挙活動を主導したのが、このネットを運営する人々だったことはよく知られている。

このサイトでは専属のキャスターやゲストが絶えず保守的な主張を発していて、自分自身も最近良く視聴する。なかには少し過激と思える論者もいるが、普通のメディアでは取りあげない問題の核心部分に焦点を当てて解説していて興味深い。

このサイトに登場するキャスターたちは個性派揃いであるが、特に好きなのは大高美貴さんと三輪和雄氏だ。大高さんは話し方がシニカルだが、どこか小気味がよい。そこは美人の品の良さが得をしている。三輪氏は直情的で熱血漢だが、ストレートに切り込むところが清々しい。

こうしたキャスターたちは毎週自分のコラムコーナーを担当しているが、今週の三輪氏のコラムは痛快そのものだった。題して「朝日新聞よ、長い間ご苦労様でした」。もちろん左翼紙の筆頭朝日新聞の痛烈批判だ。

 

…自由主義国のどの新聞も権力には批判的だが、その国を否定するということとは全然別だ。たとえば反体制的と思われているニューヨークタイムズも時の権力は批判しても、アメリカの新聞である以上アメリカの建国の精神やアメリカ自体は否定しない。当然反米ではなくアメリカ人が大好きだ。フランスの新聞ならフランス人が大好きだ。しかし、権力は別物だから権力を批判する。これが普通の意味でのジャーナリズム精神だ。

ところが朝日新聞に代表される日本の左翼新聞は反権力ではない。反権力に名を借りた反日本だ。この違いは実に大きい。かつて谷沢永一氏が世界の左翼は皆愛国者だが日本の左翼は違うということをいったがメディアの世界も全くそうだ。

朝日は反日本だ。もっといえば日本人自身が嫌いだ。自分たちは薄ぺらな識見のくせに何か高見で遅れた日本人を指導してやろうという思い上がった精神がある。そして朝日を読んでいる人たちも何か朝日を読んでいることにある種ステータスを感じている人が多い。

東京ではさすがにそうした人はあまりいないが、地方に行くとそこの県紙をとらずに朝日をとっていて、「私はちょっとそこら辺の田舎者とはちがったインテリだもんね」という大馬鹿野郎が結構いる。

かつて「ではの神」というのがいた。「欧米では」とか「アメリカでは」とかかならず「なんとかでは」と言う人々だ。「ではの神」をいまだ引きついでいる古古色蒼然たる田舎新聞が朝日新聞だ。朝日新聞は左翼新聞というより「ではの神」だ。

朝日はとにかく遅れている日本人が大嫌い、それは何も政治だけではない。文化面とか女性面でもそうだ。こういうところに遅れている主婦に啓蒙しようというように。

その思い上がった朝日の薄っぺらな精神が今インターネットで激しく批判されている。本能的に朝日のいかがわしさというものを感じている人々が増えている。朝日新聞の余命はいくばくもない。寿命は尽きかけている感じがする。

NHKは色々と批判はあるが技術力とかナットワークとかは必要だ。しかし、朝日はなくなっても痛くも痒くもない。左翼が好きな人は毎日新聞でも東京新聞でもある。もう朝日新聞は歴史の表舞台から去っていってもなんら痛痒も感じない。朝日の歴史的使命は完全に終わった。


三輪氏が指摘するようにかつては朝日新聞はインテリが好む新聞というイメージがあって何か「ステータスシンボル」のように崇められていた時期もあった。大学の入試問題に朝日の「天声人語」が出題されるといった伝説も朝日自体が喧伝していた。

しかしインターネットの普及でこうしたエリート新聞としての神話もすでに過去のものになりつつある。残ったのは日本人蔑視とも思われる反日姿勢だ。「ではの神」はその神通力を失ってしまった。なぜ素直に日本を好きになってはいけないのか。そんな朝日への逆風によって「ではの神」も今の日本から消え去る運命。ご愁傷様?