粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

自主避難姉弟のPTSD

2014-04-22 22:33:26 | 過剰不安の先

福島県の避難区域でない地域から、県外に自主避難する家族は数万人いるといわれる。こうした家族は強制避難と違い、なかなか物心ともに支援を得られない状況にある。特に福島に仕事を持つ夫を残しての母子避難はさらに厳しい環境におかれている。

ブログ仲間「福島信夫山ネコ」さんの最新記事にそうした自主避難母子の苦悩が紹介されていた。毎日新聞の記事の引用なのだが、東京の小学校に移った11歳の長女と10歳の長男が明らかに心的外傷後ストレス症候群(PTSD)の症状に陥っているという。

二人の子どもは通い始めてすぐ「異変」が起きた。

長男は知っているはずの漢字を書けなくなり、長女は「私は将来お母さんになれる?」と不安を口にするようになった。学校では同級生らから「放射能きったない」「5年もすれば死ぬ」など、理不尽な言葉を浴びせられたという。

 2学期になると、長女は無気力で勉強が手に着かず、長男は逆に落ち着きがなくなった。女性は「震災前と別人のよう。だが、心に問題があると考えたくなかった」と振り返る。

頼りになる父親を残して、ただでさえ慣れない都会で友だちもいない環境ではさぞかし孤立感が募っていっただろう。さらに東京の子どもたちから福島出身を中傷する言葉を浴びせられれば、子どもの心は傷ついてしまう。子どもは残酷だと思う。

国は災害時の心のケア支援強化の一環で災害派遣衣料チームを被災地に派遣したが、こうした自主避難者は支援から漏れる恐れがあるという。この母親もその例外ではなく「早期にケアを受けられたらこんなに長引かなかなかったのではないか」と悔いている。

確かに早期のケアは必要だったかもしれない。また母親が子どもの体のことを心配して県外に避難させる気持ちもわからないことはない。ただ残念ながら母親の思いが結果的に「裏目」に出てしまったと思えてならない。

子どもを田舎の友だちから引き裂き、冷淡にもみえる都会っ子ばかりの閉鎖世界に追いやることのマイナス面だ。実際、記事の子どもへの「放射能きったない」とか「5年もすれば死ぬ」などと理不尽な言葉を浴びせられている。おそらくクラスでいじめやシカトに近いものがあったのではないか。

端から見ると、むしろ福島に留まっていたら、子どもたちはこんなPTSDにはならなかったのではないかと思ってしまう。放射能の被曝で子どもの将来を案じるばかりに逆に「本物の病気」になってしまう皮肉だ。想像するにこうした症状に苦しむ自主避難家族は少なくないのではないか。

母親は「早く子どもへのケアが受けらればよかった」と後悔しているが、敢えていえばケアを受けるべき相手はこの母親ではないかとさえ思えてくる。こんなに放射能被曝を過剰に心配しなければ、わざわざ夫と離れて不自由な生活をすることもなかったろう。

信夫山ネコさんの記事で最近の発表された国連科学委員会の報告が取りあげられていた。「原発事故後の福島県民分析、がん増加確認されず」と。こうした内容の報告は他の権威ある国連機関である世界保健機関や国際原子力機関でも同様に出されている。

残念ながら、こうした客観的な訴えは自主避難者の心には届きにくい。すでに「放射能恐い」という呪文が強迫観念となって彼女たちの心を覆っていて容易には取り除けない。将来国連科学委員会の報告のように、福島を含めて放射能被害が見られず杞憂に終わったら?自主避難の子どもたちは自分たちのPTSDを将来どう思うのだろうか、特に親に対して。