粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

小保方さんの会見

2014-04-09 18:55:51 | 事件・事故・時事

今日の小保方さんの会見を見て、素人目にはとても「捏造」とか「悪意」という言葉にはほど遠い人物だと感じた。思うに彼女自身の特異な独創性だけで猪突猛進した結果があのような問題の多い論文になったのではないか。

STAP 細胞の作成だけにエネルギーを注ぎ込んだためにその存在を理論的にきっちり証明する作業が疎かになったと考える。彼女の独創性が天才的であった分、現実的な論理的組み立てが苦手なのかもしれない。したがって素人目に初歩的な画像の添付でさえあんな形で醜態をさらす。天才故の過ちといったら彼女を贔屓し過ぎになるだろうか。

夕方のラジオ(動画で最初の10分)で、経済学者で理学にも造詣の深い高橋洋一氏が、科学論文なんて研究者の思い込みで書かれるのが普通でしっかりして検証もなく科学雑誌に掲載されることが多いと語っていた。つまり、論文は一種のたたき台の対象であって、これに納得がいかない人がいれば批判の論文を出すだけの話だという。論文に完璧を求めるのは間違いだとも。そうした厳しい攻撃の洗礼をうけていつか歴史的発見へと認知される。

したがって、小保方論文は海のものとも山のものともいえない。ノーベル賞級の発見になるか、あるいは単なる思い込みによる大勘違いか、今後長い検証作業が必要になる。山中教授のiPS細胞が発表当時からその価値が認知され5年程度でノーベル賞の受賞になったのは、高橋洋一氏からみればあまりに早過ぎる例だともいう。

だから、論文の不備云々だけを問題にして、小保方さんを攻撃して若い科学者の独創性を潰してしまうことは慎むべきだろう。たとえ、このSTAP細胞が結果的に認知されなくてもその研究で培った学識や経験がまた別の研究でいかされ実を結ぶかもしれない。若い才能がいつか輝かしい成果となって結実するのを暖かく見守りたい。