「為すすべが あるかないかで 天地の差」
最近気がついたことがあります。それは、ある瞬間に同時に一つ以上見ることができないということです。人間は昆虫の複眼のように同時にいろいろなものを見ることは出来ません。なので今見る一つを自分で選択します。
それに反して自分でどうしようも出来ないことがあります。歳をとるというこは自分ではどうしようもなりません。だから歳をとることに為す術もなくただ不安しかありません。
でも、歳をとるのは仕方の無いことだとして、常に誰かが何かがそばにいてくれたらどうにか耐えられるのではないかな、とずっと思っています。だから、誰かって何かって何なんだろうと、一番切実な問題としてずっと考えていました。
その何かって、歳をとることはどうしようもないことだけれども、一瞬一瞬は何をみるか選択は自分に委ねられていると言うことではないかと思ったのです。歳をとることは自分ではどうしようもありません。でも何をみるかは、自分の為す術があります。
自分が今何を見ていればいいのか、なんて、途方もなく難しい問題だけれども、私が今見ているべきものを決めるすべが私のそばにあると思えば、老いも耐えられるかもしれません。
選択は歳を取ることに勝るなにかを生み出すかもしれない。