一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

猫は後片づけをしない(好き嫌い)

2009年02月24日 | Weblog
 猫を見ていて猫が楽そうでうらやましいなと思い、後片づけをしない楽な日常生活を目指そうと猫をみていてあることに気が付きました。

  私は人の話を聞くだけでも、自分に都合の悪い話は聞きたくないと強い嫌悪感がが起きいらいらしてきます。いやな仕事の電話がはいれば、できればやりたくないと嫌悪感が起きます。でも猫をみていると何か行動するときに嫌悪感がないようなのです。

 日向ぼっこしてるのに知らない人が入ってきたときは、なんで日向ぼっこの邪魔するんだよと、いらいらして逃げるのではなく、自分が安全な場所に逃げることだけしか考えていません。そこには嫌悪感はなさそうです。

 私は、人の話を聞くだけでも、自分に都合の悪い話しは聞きたくないとこころにブレーキをかけてエネルギーを消費し、自分が褒められる話は耳をダンボにして聞こうとしてまたエネルギーを消費します。

 このエネルギーを消費する好き嫌いというのは「頭」の好き嫌いです。「自分全体」の好き嫌いとは違います。「自分全体」の好き嫌いはとても大切です。ところが「頭」だけで好き嫌いを求めると、求めすぎる。「体」が求める好き嫌いを「頭」は押しのけて別の好き嫌いをを求めます。「体」が好きと感じないものまで求め、「体」が嫌いと感じないものまで嫌ってしまいます。

 「頭」の好き嫌いでエネルギーを消費すると人や自然が本来もっている美しさがみえなくなると思います。まわりの友達を見てもみんなひとりひとりまねできないような美しさをもっていると感じます。

 いままで私が相手の欠点ばかりに目がいっていたのは、欠点のある相手が悪いのではなく、「頭」の好き嫌いでエネルギーを消費して本来の美しさをみれなかった自分が悪かったのです。

 相手の欠点ばかりに目がいっていたのでは、相手との距離が広がり、自分が寂しい思いをしなければなりません。そうすればその寂しさを紛らわすためにまた後片づけをしなければなりません。