子が親を殺す。親が子を殺す。新聞の三面記事に当たり前のように載っている。
一昔前なら一面にデカく載るようなショッキングな事件のはずが、
最近では些細な事故と同じ扱いで紙面の脇に追いやられる程度の事件で報じられている。
他人同士の怨恨事件より骨肉のそれのほうがドロドロして最悪の結果に至ると云うことは、昔から言い伝えられてはいる。
伝えるということは昔にも子殺し、親殺しの事件はあった。しかし、現代のように日常茶飯事なんて尋常ではない。
こういうのを鬼畜の所業って云うんだろうね。こういう事件を眼にする度に「もっと耐えて自分の魂を大事にしろよっ」って腹が立つ。
人間の誇りってのが希薄になっているんだろうね。「感謝」が欠落して「当たり前」が先にくる時代の哀しさかも知れない。
私はどちらかと云うと無宗教派の類に属するかと思う。「単に諸々の宗派の教えに無知だからってのが其の理由なんだけど」
しかし、神さんや仏さんの人智を超えた存在があると信じている。「人間は生かされている」ってのが念頭にある。
前世を生きた者の魂を受け継いで生まれて来たと自分の存在を解釈している。「人は此の世で試されている」んじゃなかろうかと思う。
「さあ、この魂を持っておまえはどう生きる?」って此の世に送り出されたと解釈している。
そう解釈すれば人それぞれ千差万別の謎が解けそうに感じる。
前世に生きた者の功罪を背負った魂を引き継ぎ、生まれ出でた境遇や環境、幸運や不運など、
他の魂を持って生まれた者たちと比べる「不公平」と称する因縁から生きて往くものなんだろうと思える。
恩恵に救われる場合もあれば不運に泣く場合もある。人は背中に因果を背負って生まれ、そして生きねばならない宿命なのかも知れない。
そう解釈すれば、今世で自分が受け持つ魂を高めることは叶わずとも、せめて汚さぬよう生きねばならないと思えてくる。
次に引き継ぐ者のより善い人生を思い遣れば、この魂の背負った汚点の贖罪は「オレが引き受ける」とも思えてくる。
今世の社会からではなく、自分の価値とは、自分の誇りとは、己の所在を認識するところから生じてくると思えてくる。
そして、それらを背負って生きている全ての人々がいとおしく思えてくる。
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「輪廻転生って、魂のバトンリレーなんじゃないのかなぁ?」聖書だったかな?「罪を憎んで人を憎まず」なんか頷けるような気もしないではない。
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