少し日が長くなったね。5時でも、まだ、明るいよ。
積み重なる日は、いつもと変わらないけど、着実に冬を削って春に向かっているね。
人生も、こういう展開なら希望が持てるんだけどね。
あれ? なにげに呑んでる発泡酒キリン淡麗が、いつしかアサヒのクリアに変わってるよ。
「これ、どう?」 なんて奥さんが、一時、聞いてたのを「極端な違いは感じないよ」って応えたもんだから、淡麗より安いクリアに変えよったなあ。
発泡酒自体が安いのに、まだ、それ以上に安いのに変えるなんて、男の拘(こだわ)りを馬鹿にしとんなあ。
今のところ、淡麗を越える発泡酒はない。解ってないねえ、これって決めるってことは、自分が認めることなんだよ。
認めたものを裏切ってどうする? なんでも安けりゃいいってもんじゃないよ。
味への拘りは、自分の味覚を研ぎ澄ますんだよ。だから、あんたの料理は、いつまで経っても〇〇〇んだよ。
美味いものには妥協がないんだよ。妥協は、どこまでも妥協なんだよ。美味いものを見失うよ。
云っても解んないんだね。だから、奥さんは、なんでも美味いって云う。なんでも美味いなんて有り得ないんだよ。
そんなの養豚場の豚の味覚じゃないか、こんなの云ったら怒りよるだろうね。「そらあ、怒るわ」
でも、「なんでも食べられるだけ結構なんやっ」と、よく云われてるうちに、そう云えばそうかも知れんと反省したね。
それから、腹が大きくなればええかと言い聞かせて、ごちそうさんを続けてたら、いつしか文句が消えたね。
でも、どこかで、そうかあ~?って、疑う気が抜けないよ。こんなの食感の衰退じゃないの? 五感のひとつの放棄じゃないの? 「此処までは、昨日書いたの」
深夜、煙草が切れたのでコンビニに買いに行く。いつものおじさんと、レジーで二言三言話しつつ、お釣りを仕舞って外へ出る。
空は、晴れて星が輝いてる。中国の光化学スモッグは、見たぶんには来てないね。
中3の連中が、タムロしてる。「こんな時間に、なにしてんの?」 えへへへって笑ってる。
未明の4時前だったかな? 寝ようかって席を立ち、何気にポケットに手を入れると畳んだ3千円が、別のポケットにそれぞれ入ってる。「?」
煙草買いに行くときは、5千円持って出た。「あれえ?」煙草4個買って1640円、「お金が増えてるよ」 お釣りを2回貰ったなあ?
めんどいけど仕方ない、またコンビニのおじさんに返しに行く。レジーの時は、話したらあかんね、どちらもボケておるわ。
『 この、ゴタゴタした狭い一角が、オレの唯一の憩いの場所なの。ここに座ると、オレの世界が拡がるの 』
朝のコーヒーを呑みながら、ユーチューブで「王様と私」を検索して音楽を聴いてたの。
当時、映画館で観たときの雰囲気が蘇ったね。デボラ・カー、久しぶりだね、ユル・ブリンナーがいいね。
デボラ・カーの歌に合わせユル・ブリンナーが、
Oh もしかしたら、最後の小さな星が空から去った時
Oh [perchance], when the last little star has left the sky
って、少し歌うんだけど盛り上がるね、最高だわ。 何度、聴いてもいいねえ。
オレの中では、1950年代半ばから1960年代ってのは、映画全盛の時代だったね。そんな時代の匂いが蘇ってくるよ。
単純だけれど、アメリカは、日本人に夢をくれたね。感性を刺激する大きな夢をくれたと思うよ。
目は口ほどにものを云う、大きな銀幕に映し出される異国の人の瞳は、美しく碧く輝いて、未来に繋がる虹の橋を架けてくれたね。
今日もいい天気に恵まれた。ポカポカ陽気で暖かい。
今日は節分だね、今年の恵方は南南東らしい、その方向に向いて手巻き寿司黙って丸ごと食べきれば、いい年を迎えられるらしい。
誰が、こんなの云って広めたの? 寿司屋か? 海苔業者か? 黙って丸ごと食べきるって、意外としんどいんだよ。
手巻き寿司は福をまくと捉え、縁を切らずにということで手巻き一本丸ごととなったらしい。
節分は立春の前日をいい、立春を1年の始まりと考えていた昔では、今日は年末の大晦日と同じくらいの考えだったらしいよ。
じゃあ、明日は、立春か? 暦の上では、明日から春だね。
黙って苦しい思いで毎年、恵方に向かって食べきってるけど、べつに選(と)り立てていいことってないよ。
取り立てて、何も変わったことがないってことが、幸せなのかも知れないけどね。
夕食時間って各家庭、そんなに変わらんだろうから、其の時間帯ってのは、大方の人たちが、南南東を向いて黙って手巻きを食していることになる。
なんか、気持ち悪いね。「なんでやねん?」 揃って迷信に従う国民、其れを笑う寿司屋、嘘八百で儲ける詐欺商法じゃないのかよ。
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