『新選組、副長助勤 三番隊組長、撃剣師範 斉藤一』 2016年7月17日
1897年(明治30年)撮影
昔は、映画の新選組と云ったら、まず、近藤勇。土方歳三などは、二の次三の次で沖田総司と一緒に居るには居るって感じだったね。
永倉新八、原田左之助、そして斉藤一に至ってはその他大勢扱いが多かった。悪の芹沢鴨、新見錦の方が幅を利かせてたよ。
一般に新選組の隊員を知らしめたのは、1965年(昭和40年)司馬遼太郎の小説を題材に制作された 新選組血風録』TV時代劇からだね。
彼ら隊士の存在を強烈に印象付けたのは、名もない東映大部屋の斬られ役の役者たちだった。何でもかんでも前に出張って
名を売っていた近藤勇は、この番組以降、他の新選組を描いた時代劇では後方に下がり、代わって土方歳三をはじめとする隊士側に
ウェイトが置かれたね。それほどに新選組という組織の内情を実録風に簡略ではあるけれど克明に周知して空前のヒットとなったね。
それでも昔の新選組に固執した古い役者は頑なに近藤勇を主にして譲らず、鶴田浩二のTV『新選組』では、なんでもかんでも
些細なことから大きなことまで 「その必要は認めない」なんて台詞で土方歳三の意見を抑え込むんだね。観てられないの。
また、此の 『新選組』は役者の格差ってのを感じずにはいられないものがあったね。鶴田浩二もケツの穴が小さいよ。
『新選組』 1973年テレビ時代劇 鶴田浩二 栗塚旭
この時期、土方と云ったら栗塚旭って世間が決めてたから、この番組でも栗塚旭が土方役だった。大部屋の斬られ役ごときと
「対の芝居をさせるのかねえ」なんて云う鶴田浩二の声が聞こえてきそう。実録風に描くと近藤勇は影が薄い。
「これはぁ血風録じゃない、新選組だよ」 土方歳三のカツラが変? 元服前の小姓のようなセットに変わってるんだね。
「栗塚君のズラね、変えなきゃおかしいよ」 「しかし、先生、もう、世間では、彼のイメージが出来上がってるんですよ」
「その必要は認めない」 「しかしぃ」 「この俺が、彼の人気の籠(かご)を担ぐのか?」 「いや、そういう意味ではぁ・・・」
「新選組は近藤勇だよ、昔から決まってる、監督はね、まぁだ~若い、昔の人が泣いてるぜ」 「そうかなあ~?」 監督の心の声。
この『新選組』は、一年26回もったかなあ~? 半年で終わったような記憶だね。もう最後はヤケクソみたいだったよ。
実録潰しで 「その必要は認めない」 一点張りで滅茶苦茶にしたね。 「監督がねえ~」 おまえが一番悪いんだよ。
三船敏郎の東宝映画『新選組』も終始、近藤勇は椿三十郎なんだね。「なんで新選組に椿三十郎やねん?」 三船敏郎に聞いてくれ。
『新選組』 1969年 東宝映画 思うに此の人は、山本五十六も東郷平八郎も用心棒も赤ひげも上意討ちも、みんな椿三十郎だね。
どちらも前宣伝だけが大仰で、いざ蓋を開けたら 『新選組血風録』を期待する観客から馬鹿にされて散々だったらしいよ。
TV『新選組』は、東映が後ろ盾だから、かの高倉健も出演するなんて予告もあったけど、
鶴田浩二が、もう早々に敗戦濃厚を思い知り 「その必要は認めない」って断ったらしい。 「ホンマか?」 そんなもんが読めいでか。
つまり、TV『新選組血風録』は、歴史を感じさせる事実に近い新選組を描いて作り物の新選組を吹き飛ばす血風が強烈だったんだね。
そんな頃から、斉藤一、永倉新八、沖田総司、山南敬助、原田左之助、藤堂平八、山崎烝、大石鍬次郎、島田魁等々、
埋もれていた人たちが姿を見せた。幕末の歴戦掻い潜り明治に生き延びて、尚、西南の役にも従軍し大正の時代まで生きた斉藤一と、
江戸で新選組とたもとを分けるも上野の彰義隊で戦い、会津で戦い、北の果てまで戦い抜いて明治、大正を生きた永倉新八。
終わらぬ武士の意地を感じさせるね。この二人の写真は、それぞれに残ってはいるけど、こと斉藤一の写真は大勢の中の彼にとどまってた。
しかし、つい最近、斉藤一の写真が出てきた。此の世に現存していたんだね。
『斉藤一(中央)横手に妻、背後に息子二人』 1897年(明治30年)撮影
『新選組血風録』では、飄々とした人物像で左右田一平が斉藤一を世に出した。そして、今、彼の実像が世に出たよ。おわり。