カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1554 『映画 パリは燃えているか (Brennt Paris?) 2』 1966年度作品

2016年01月17日 | 日記






 『パリは燃えているか』 2016年1月17日







何度か書いたけど、昔(1966年/昭和41年)当時は、正月映画で封切られた 『パリは燃えているか』を初めて観たよ。勿論、DVDだけどね。

封切られた道頓堀の松竹座の前で、大きく掲げられた看板の下、陳列ケースの中に貼られた写真を食い入るように見てた。観たかったんだね。

でも、この映画は、観ずじまいだったよ。流れる主題曲に、当時、ラジオ放送でサントラの映画音楽をよく聴いていたのを思い出したよ。





これを耳にするまで、NHKの『映像の世紀』で流れる「パリは燃えているか」の曲が、ひょっとするとサントラでは?と思っていた。

以前に書いた折にコメントを頂き、曲名は同じでも 『映像の世紀』の「パリは燃えているか」は、加古隆の作曲で別箇のものと教えて頂いた。 

この曲は、日本人の感性ではない旋律を感じさせるんだね。ドキュメンタリーの映像のバックに流れて、抗しがたい時代の奔流を感じさせる名曲だよ。












大日本帝国 ドイツ イタリア 枢軸国の敗戦 ....パリは燃えているか



『ユーチューブに投稿する人は、総じて編集が下手だね、なんで、短編映像にわざわざ太平洋戦争まで挿入すんの?』 「文句云うな」











実際の『パリは燃えているか』のサントラは、花の都のパリらしく、フランス調のパリの空の下セーヌは流れるって感じで、芸術的なんかねえ?

「なんやねん、お前しか解らん解説やで」 じゃあ、おまえが音楽を語ってみろ。音楽は聴くもので語るものじゃないんだよ。「ホンマかえ?」

オレはね、音楽なんて解らんけど、オレの感性からするとフランスの国は嫌いじゃないけどフランス調の音楽は嫌いだね。全然、心が躍らんよ。















『ナチス・ドイツ軍、パリを占領行進』 下3枚ともに実写 



































1940年、ドイツ軍による占領下のフランスは、アドルフ・ヒトラー率いるドイツ国の四カ年計画に基づき、ドイツ企業によるフランス企業の吸収や

輸出入の統制、占領経費の供出を強いられるなど経済的支配を受けた。

占領初期から中期には自由地域が設定され、ヴィシー政権による一応の独立が認められていたが戦局の変化に従い1942年11月から全土が占領された。













『パリは燃えているか』 有名な写真だね パリの地下水道からマンホールを上げて地上を見回すレジスタンスの若者』









長く観ることのできなかった映画なんだけど、簡単に感想を云えば、本物と作り物の合体作品で役者で味を出していたのは、ゲルト・フレーベだね。














『ディートリヒ・フォン・コルティッツ ドイツ国防軍歩兵大将を演じるゲルト・フレーベ』









「誰や、それ?」 かの『007/ゴールド・フィンガー』の悪役やってた人だよ。オールキャスト映画らしく、そうも多くの出演時間はないんだけど

戦局不利に傾く当時、精神に異常をきたしていたであろうアドルフ・ヒトラーが狂人のように「Brennt Paris?(パリは燃えているか?)」

「Brennt Paris?」 「Brennt Paris?」って、3回、怒鳴って問うた相手がゲルト・フレーベ演じる





ディートリヒ・フォン・コルティッツ ドイツ国防軍歩兵大将だったの。尤も映画では、降伏後で無人になった部屋に空しく響いて答えるものは居なかった。

この映画の4年前に公開された『史上最大の作戦』(1962年/昭和39年公開)これも正月映画で封切られたんだけど、同じくオールキャストで

ゲルト・フレーベも出てたよ。「今日も仕事かよ」なんて顔して、「おまえみたいな役やね」 ロバに乗り海岸の丘を行くドイツ歩兵役だったね。





気怠い面持ちでいい雰囲気を醸してたよ。連合軍の一斉艦砲射撃で辺りは炸裂しまくって慌てふためいて死んだか生きたか解らぬままに出番は終わった。

あんなのと比べたら、この『パリは燃えているか』のフレーベは、重要なる役柄だね。

コルティッツ大将はナチ党員ではない軍人なんだね。当時は、将軍クラスの軍人でもナチ党員の親衛隊は脅威だったみたいだね。














『実際のディートリヒ・フォン・コルティッツ ドイツ国防軍歩兵大将』 実写








ディートリヒ・フォン・コルティッツ大将は、ヒトラー総統から直々にパリの防衛と戦況次第ではパリ全土の破壊の任を受けて司令官に就任する。

着任早々、パリの歴史的建造物、橋等に爆薬を設置する計画を練り実行する。

映画では、エッフェル塔やルーブル博物館、セーヌに架かる橋などに大量の爆薬を設置するシーンが描かれているけども、





実際には、爆薬の量は充分ではなくパリ全土を破壊することは到底不可能だったらしい。

ノルマンディ上陸作戦を成功させパリ近郊まで進撃する連合軍を一刻も早くパリ解放に導きたいフランスレジスタンスが危機的状況を

大仰に報告したためにドイツ軍のパリ壊滅作戦に尾びれが付いたのかも知れないんだね。















『イギリス全土から船という船をかき集めて、ダンケルクの海岸に追い詰められたイギリス、フランス連合軍の大撤退作戦』 実写










過去、1940年5月、フランス軍を含むイギリス連合軍は、ドイツ軍の電撃作戦の攻撃に敗退を続けダンケルクに追い詰められた挙句、

一切の武器を放棄して敗残の連合軍兵士36万人はドーバー海峡を渡りイギリスへ大撤退を余儀なくされた。

この撤退作戦で、イギリス軍は深刻な兵器不足に見舞われたが、熟練の兵士を多く救ったことで人的資源の保全という意味では非常に大きな成功を収めた。





しかし、兵器とともにフランスの防備をも放棄した撤退作戦(5月24日~6月4日)後、本土に残るフランス軍は雪崩を打ったように崩壊した。

6月13日にはパリを占領されて、6月22日に興和(降伏)を受諾されたフランスはナチスドイツに屈服したんだね。

ドイツ軍の電撃作戦は駆逐の勢いでオランダ・ベルギー・ルクセンブルク、そして、フランスと瞬く間にヨーロッパ諸外国を席捲した。





ドイツの統治下に置かれたフランス国民の4年間は長かった。特に降伏を良しとせず地下に潜って闘い続けたレジスタンスの闘士に於いては

ドイツ親衛隊、秘密警察のゲシュタポを相手の過酷なる暗黒の4年間だったろうね。過去の映画で嫌というほど描かれてるよ。

暁の来ぬ夜はない。そして、今、再び、1944年年6月6日、ドーバー海峡を渡り、参戦したアメリカ軍を筆頭に連合軍が巻き返しに戻って来たんだね。















『史上最大の作戦 ノルマンディ上陸作戦 最大の激戦地オマハ・ビーチを制して進撃する連合軍のアメリカ海兵隊』 実写









この日を、今か今かと待ちわびていたフランス国民が各地で連合軍の進撃に狂喜して熱烈な歓喜の元迎えるんだね。

独軍下のパリでは、地下組織に潜ってレジスタンスを指導するド・ゴール将軍派と自由フランス軍(FFI)の二派が在った。

武装蜂起について、自由フランス軍(FFI)の強行策に対し、ド・ゴール派は、連合軍到着まで待つというものだった。





ド・ゴール派が懸念するのは、「パリをワルシャワの二の舞にはできない」 1944年ドイツ軍占領下の東欧ポーランドの都市ワルシャワで

ロシア赤軍の進撃のニュースに呼応、国内軍とレジスタンスが武装蜂起して善戦するも一向にロシア赤軍の到着がなく兵器に勝るドイツ軍の反撃に

抗しきれず敗退。蜂起に激怒したヒトラーの命で都市を完全壊滅、全土焼け野原と化したんだね。多くの市民が略奪、強姦、虐殺されて地獄だったとある。















『ワルシャワ蜂起軍の鎮圧に向かうドイツ武装親衛隊第36擲弾兵師団の将兵』 蛮行を働いた連中らしいね。 実写









ナチスドイツと云うとユダヤの弾圧の悲劇がクローズアップされるけど、このポーランドの国民もそれに劣らず大変な目に遭ってるね。

ナチスドイツだけでなくロシア赤軍からも弾圧を受けて踏んだり蹴ったりだよ。ロシア赤軍は、ナチに引けを取らない残虐行為を平然として行ってるよ。

ロシア赤軍のワルシャワ進撃のニュースは、ワルシャワ蜂起を誘い自滅に至らせるスターリンの意図するものだと疑われている。





国を思い、勇み立つ者の数を減らすんだね。ポーランドをドイツから解放した後の計算が働いたとみえる。乗っ取る気なんだね。こいつは、そういう奴だよ。

パリに戻る、パリ防衛について左翼のFFIは武器弾薬が手に入りしだい決起すると主張を譲らない。

ド・ゴール派は、連合軍の首脳と面会しパリの実情を話し解放のために進撃を促す交渉をするため使者をたてる。結果、これが功を奏した。














『ド・ゴール派のレジスタンスを演じるジャンポール・ベルモンド、アラン・ドロン等』














『連合軍ジョージ・パットン将軍を演じるカーク・ダグラス』 このカーク・ダグラスが、今99歳で、なお健在ってのには驚いたよ。









ド・ゴール派の幕僚には、アラン・ドロン、ジャン・ポール・ベルモンドなんてのが演じてるけど芸を見せるほどの場面もなく顔見世程度だね。

なんか、この映画は、オールキャスト映画の悪い見本みたいな出来だね。愚作の教本だよ。「エラそうに云うな」 

ただね、この映画の封切られた時代から湧き上がってくるスターとの親近感ってのかね、嬉しくさせるものが漂ってるんだね、それだけ。「貶しとるわ」














『連合軍の戦車隊の上官役のイブ・モンタン』 映画館の陳列写真だったかなあ? なんか、この写真が凄く印象に残ってるんだよ。








連合軍のイブ・モンタン、戦車の乗員なんだけど戦死するために出てきたって感じがするよ。そこへ至るまでに、同じく、別の戦車の乗員が進撃に加わって

故郷のパリに帰って来るんだね、戦車の窓越しに見える建物や看板に昔を思い出し仲間に嬉しそうに語りながら煙草を分けたりしてる。

街ん中を走行していてドイツ軍の攻撃を受け戦車が破壊されるんだね、爆発があって燃え盛る戦車の脇にキャメルの煙草の箱が落ちてるって描写があるの。














『パリに向かって進撃中の連合軍』













『パリに向かって進撃中の連合軍 向かって右がイブ・モンタン』












『パリ市内に入る連合軍』









何かしらエピソードを前もって描かれた奴は死ぬんだよ。イブ・モンタンも進撃中の戦車の上で仲間と話してるシーンがある。

パリ市内に入ってドイツの戦車と一騎打ち、一発、先にかましたけど弾は発煙筒だった。敵は砲塔を回転してお返しが来る、弾込めする時間がない。

「体当たりだっ」 速力上げて敵戦車の横っ腹にズッシーンと体当たり、敵の乗員は逃げ去る。ハッチから出て、銃を片手に「腰抜けどもが」なんて云って














『別に死なさなくてもいいようなもんなんだけど、それが戦争なのかね? イブ・モンタンは背中を撃たれて死ぬ』








敵戦車の中へ手榴弾を放り込む。この後だね、砲塔に戻って戦車を誘導する背後から射撃を食らって「な、なんでなの~?」なんて顔して死ぬの。

アメリカ軍のアンソニー・パーキンスも、進撃途中で仲間と話していて不吉な思いが過って表情が陰る。

パリ市内に入ってバズカー砲で戦車を破壊、レジスタンスの男が「一杯やろう」って酒場に誘う。夢に描いてたパリがどうたらこうたら云ってると














『向かって右がアンソニー・パーキンス』








忍び寄ったドイツ兵のMP-40シュマイザーマシンガンで撃たれて死んでる。どうでもいいよなエピソードが多いから、

それを書く駄文もどうでもいいよな内容になる。「おまえが下手なだけじゃ」 で、矢鱈、くだらなく長い。「ここ等でまとめてスッキリさせろ」

全部を知ってる訳じゃないけど、実際の映像に残ってるシーンを被せて繋いでるようだね。そんなのを想起させる場面が多いよ。















『パリの有名な大通りなんだろうね? ジャンポール・ベルモンドと、このブス、誰だったかな? ドイツ兵の狙撃を躱して道路を伏せて渡る場面』













『連合軍の援護を受けて闘うレジスタンス』










歴史を守ろうとする者、歴史を破壊しても、それが歴史として残るんだけれども何千年をも引きずる建造物の歴史は破壊すれば戻らない。

わが身は、明日を知らずに倒れても、歴史を明日に繋ぐために命を懸けて闘う人々の思いが矢鱈と重いんだねえ。

創りものではないからね。愛国心とは、こういうものなんだろうかね? 時代が目覚めさせるのが愛国心なんかも知らんね。





極めて弱い立場に在りながら不可能を可能にせしめて、今もパリは、昔のままに在る。愛するという心と不屈の精神の賜物だね。

電流が走るが如くヨーロッパを破壊して駆け巡ったナチスドイツの威容は、故国の名誉を汚しめて消えぬ愚かの歴史を残したね。















『ナチスドイツ総統 アドルフ・ヒトラー』 実写










パリ占領司令官のドイツ国防軍歩兵大将ディートリヒ・フォン・コルティッツは、この戦の勝敗の結果を図り知っている。

パリを壊滅しても戦局をなんら好転できる訳でもない。それを命じる総統ヒトラーは、今や狂人化して付き従う意味を失っている。

戦車が表の道路で破壊された爆風が指令室にまで押し寄せ書類や小物が吹き飛ばされる。連合軍が、もう、目と鼻の先に迫っている。





2階の自室に上がり部下等に最後の言葉をかけて降伏の時を待つ。始めあることは、やがて終わりが来る、互いが、その終わりを見る時が来た。

昼過ぎ、ドイツ指令室の在るオテル・ムーリスの玄関にフランス軍のカルシェ中尉ら4名の兵士が乗り込んで来た。

コルティッツ大将は、落ち着いて降伏の意を伝えて連行される。





実際は、カルシェ中尉は、司令官室に乗り込むと緊張のあまり 「ドイツ語を話せるか?」とドイツ語で叫んだとある。

「貴官よりいくらか上手だと思う」と答えたコルティッツ大将は、降伏する旨を伝え、司令部員たちが、これに倣い武装解除したとある。

1944年8月25日、パリは解放された。













『パリ解放行進するアメリカ軍』 実写











『三色旗を振って歓喜するパリ市民』 実写











『解放の喜びを祝う大通りの人々』 実写









午後1時、パリの状況に苛立ったヒトラーはパリ廃墟命令が実施されているか、最高司令部作戦部長アルフレート・ヨードル大将に質問した上で、

パリ司令部に電話を通じて 「Brennt Paris?(パリは燃えているか?)」と3回にわたって叫び、

長距離砲やV1ロケット、空襲などあらゆる手段でパリを灰にするよう命じたが、結局外部からの焦土作戦は実行されなかった。



























映画は、映画館で見るもんだなあって、今更のように思ったね。僅かな時間の映像の中で微妙な演技の味わいが光って印象に残るんだね。

DVDでモニターを睨んでも伺い知れない独特の雰囲気を伴って感性に訴えかける。

大スクリーンに、それが迸(ほとばし)って強烈なインパクトとなる。忘れられないシーンってのは、そこから生まれてるね。





だから、映画自体の出来は然程のものでなくても印象に残る絵が、それを補って余りあるんだね。

この映画も、昔、大画面で観ていたら、そういう気づかぬ場面が、あちらこちらに散りばめられてんだろうね。

なんでもないシーンにも意外とあるんだね。50年目で初めて観て、そんなのを感じさせる映画だったよ。













『1985年(昭和60年) 大阪道頓堀 松竹座』 御堂筋側から見る。
 




























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