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カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1777 『今日は退屈な日であった』 

2017年03月09日 | 日記





 2017年3月9日






なんだか、今日は退屈だなあって欠伸ばかりが出るよ。椅子を2度3度クルクルリと回して洋服ダンスに目が止まったので、

ちょっと、タンスの中を整理しようかと思いついた。大した服はないけれどハンガには背広やジャケットなどを一杯吊ってるね。

その下にセーターやらなにやら積んでる。見たとこ畳んで整理は行き届いてるみたい。じゃあ、こいでええか。 「面倒なんか?」 そう。





もう一方の片方のハンガ吊りのスペースには、セーターやカーディガンなど綺麗に畳んで積み上がってる。う~ん、ここもええか。

では、其の下の小ぶりの引き出しはどうだろうか? う~ん、これでは、整理とは云えない、洗濯された靴下が満杯ではないか。

それぞれ対の靴下クルリと巻いてはいるけれど、此れは対どうしを綺麗に畳んで並べ置くほうが見た目が整頓されて心地いいんではないか?





椅子から床に座って引き出し抜いて何故か正座して靴下畳んでる。「なんで正座してんねん?」 靴下ってのは、こまいもんだから

畳むとき膝の上に置いてシワ伸ばししながら揃えるじゃないか。せっせ、せっせと畳み直して束ねていく。オレの紳士靴下は、

大方、紺と黒だから薄暗いと二色が混ざって見辛い時がある。丁寧に分けて慌てずに済むよう束ねる配置も考える。 「ふ~ん」





夏物、冬物、間物(あいもの)も、当然、混同しないように気をつけて分ける。夏にモコモコ生地の靴下なんて恰好悪いではないか。
















そうして次の引き出しも抜き取り、同じようにシワを伸ばして綺麗に畳んでいく。此方には、カジュアルな柄物、色もの、真っ白け。

こうして区分けしつつ束ねて重ね置くと、上の引き出しと下の引き出しから真っ新(さら)な靴下が一杯出て来たよ。

買ったままの値札もそのままのものだね。其れはそれで束ね重ねてゆとりだね。しかし、なんで、こんなにようけあるの?





いろんな方さんから頂いた箱入りの新品も沢山あるもんだね。引き出しを戻しつつ、それぞれの整理整頓の出来具合に、うん、満足。

此のスタイルを維持したいもんだね。では、次の下の長い引き出しを開けて見る。う~ん、下着の整頓がなってないね。

柄物トランクス、ヨレヨレパンツ、ボクサーパンツ、臭いだけだね。袋に入ったままの新品が一杯あるがな。





柄物トランクスもアマゾンでダースで買ったやつがある。ヨレヨレパッチもあるがな。しかし、無様なもんだねえ、男の下着は。

生地のいい真っ白のトランクスって売ってないはずないんだけどねえ? あんまり見ないかなあ? みんな柄もんだね。

此の前、アマゾンのアンダーウェアのコーナーでボクサーパンツのダーツで安いのないかいなって見てたら、





此れ変態パンツかって吃驚するよなの売ってるね。こんなのどんな奴が履くの? だいぶん、おかしいんではないか?
















小っちゃいパンティにモッコリクネクネとか、キラキラ紫パンティ?フリルが付いてんか?とか、ビビッドなんとかTバック、なんやねんこれ?

沈々玉玉だけ包んで吃驚するねっ。こんなもん、ホンマに誰が履くねん? こいつら、だいぶんおかしいで。通り越してキモイわ。

ボクサーパンツはいいんだけど、「竿出し ぞうさんぱんつ 超伸縮」って、沈々引っ張ってる写真なんだけど裏サイトか? 気分悪くなるわ。





オシャレってなもんじゃないんではないか? まあ、いろんな人が居るからね、オシャレも行き過ぎると危ないね。

普通のパンツのがええで。下着は汚れてなければそれで良し。綺麗に整理整頓が行き届いたよ。

目に付いた夏用の服を引っ張り出してたら、奥から白のカジュアルパンツが出てきたよ、これ、おニューだね? 儲けたよ。


















ホントは、Gパンの白が欲しいんだけどラングラーだったら8千円ほどするからね、もうちと昔のブルーのGパンで我慢するか。

待てよ、ラングラーだったかな? エドウィンだったかな? 「どうでもええがな」

昔のブルーのGパンがラングラーで濃い目の黒っぽいGパンがエドウィンだったよ。まあ、そういうことで。 「ああ、そうかいな」





よし、ついでにヨレヨレシャツやパンツが少し黄ばんでいるように感じるので、バケツに熱湯溜めてハイターで脱色しよう。

これがね、熱湯にハイターってのが効き目アップするんだよ。熱湯がミソだよ。「ホンマかいな?」

黄ばんだパンツでは格好がつかん。白い下着の泣き所だね、洗濯してても黄ばんでくるってのは劣化なのかね?





アンダーシャツ着てるとワイシャツから透けるだろ? まあ、いいやって2日ほど風呂を飛ばして着続けるとちょっとマズイんだね。

「2日も風呂を飛ばすって? 汚いだろ」 そんなもん、どうでもええわい。人間2日3日風呂入らないからって死なんわ。

「不潔っぽいぞ」 馬鹿め、外国人なんか今の日本人みたいに毎日風呂なんて習慣がないんではないか? 日本人は贅沢慣れしとるんだよ。
















かくいうオレも風呂好きではあるけどね、今日は汚れてないって感じたら無理して入る必要もない。ガス代も浮くよ。

ただただ、右に倣えの馬鹿どもめ、左を向いて好きなようにコントロールすりゃいいんだよ。2日抜きの風呂って、或る意味、価値上がるよ。

まあ、若い子たちはね、綺麗が一番、命懸けてるふしがあるよ。朝シャンって、今もやっぱり頑張ってんかね? ご苦労さん。






話が飛んだけどね、ワイシャツに透けるアンダーシャツは、願わくば、毎日、真っ白であって欲しいよ。

もう、長く声を聞かなくなったけど、毎度、女の子が寄れば 「★★ちゃん、臭い」って決まり文句でオレにレッテル貼りよる。

では、其れに倣って風呂飛ばすことなど当たり前にしておこう。それでも、★★ちゃん、★★ちゃんって離れない。そいでいいんじゃないの?






そんな話をしていたら、そうだね、彼女、どうしてるのかなあ? しかし、遠くに在っても元気ならいい。  

おませな女の子ら3人娘も春から高校へ進学する。「みんなバラバラになるねん」なんて云ってたね。

彼女は、春から新入社員か。いよいよ、社会人になるんだね。短いようで長いようで10年ひと昔をともに生きたね。













『canon EOS 80D』







そうか、よし、オレも歌ごとではなく、此の春から好きなんだけどもホンマに上手くならないカメラを我がものにする努力を始めよう。

武器は揃ってる、此処が大きい。「どう大きいねん?」 馬鹿め、高性能な鉄砲も有って弾も持ってんだぜ。鬼に金棒だよ。

「才能がないんだな?」 違う。知識が薄弱なんだよ。「勉強しかなかろう?」 違う。実践あるのみだ。数撃ちゃあ当たるっ、これだよ。





「勉強しろよっ」 あのな、賢い奴でなくては勉強がポロポロ漏れて身に着かん、解ってないんだなあ、無能の悲しさと申しましょうか。

今ね、80Dが出てるんだよ。オレのは、40Dと50D、遅れてるねえ。昔は、高性能だったけど知らぬ間に低能になってんだよ。

Canonの陰謀だよ。また、10万程用意してね。 「誰が用意すんねん?」 云っただけだよ。云えば、なんかスッとするよ。





欲しくなれば誰でも何でも手にできる社会にしてくれよ。その程度も出来ない社会なんて底の知れたもんだねえ。「ホンマに本気で云うてんか?」


































カメレオンの独り言-1776 『青い空の下、青い海の向こうに何が見える?』 

2017年03月07日 | 日記





 『考える一匹狼』 2017年3月7日






奈良東大寺のお水取りは、もう遣ってるんだね。大きな松明持って火の粉を降らせて厄払いか? よう知らんけど危ないね。

寒い冬から暖かくなる春への変わり目だね。人々に代わって罪を懺悔し天下泰平や五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る行事だったのね?

春か、軟弱になった足腰鍛え直さねばならんことだし、いよいよ、カメラ肩にぶら下げて昔のオレに戻って歩きまくろうか。





「何処へ行くねん?」 其の台詞が一番嫌い。これから始めようと勢いつけてるのに萎えさせるような質問はやめてくれ給え。

何処でもいいんだよ。 「おまえも、いつも、其の台詞から行動に移した例(ためし)がないね」 

今日は昨日のオレではないよ。勤めねばならぬ我が身ではない、金は無いままだけど自由だよ。思うがままよ。





まだ、寒いだろうから海を眺めに行くには早いかね? 「行こうと思えばどうってことないんではないか?」 そうかな?

海岸線の喫茶店でも入って遠い昔のオレでも見ようか。「釣りか?」 人生の始まりの、まだ、何も解らぬ頃のオレが見えるかね?

海を眺めて流れ来た人生を振り返れば、然程の成長も感じられないままのオレは意外と新鮮だね。 「どこがやねん?」





今思うに、オレは、何か愉しみたいとか、ええ目をしたいとか、欲に駆られたりなんてのが、ホンマに無いみたいだね? 

オレは、なんなんだろうかねえ? ただ、生きてるだけか? 悪くすればボヘミアンか? よう解らんね。 「いっぺん考えてみてみ」

そんなのを海を見て考えてみたいと思うよ。そうだ、そんなのを考えなくてはいかんと思う今日この頃ではないのかね? 





おわり。 「何が終わりや?」 今日は終わりだよ、明日、また思いついたら書くことにしよう。近場の海でいいね? 「何処でもええ」




















いい写真と解説があったよ。日本人は、青好みで、白に次いで、礼儀正しく律儀な日本人らしい国民性が反映されてるらしい。

青には、自分を深く見つめたり内面的な成長を遂げるといった意味もあるんだね。

そして、冷静で論理的な色とされ、鎮静、平和、創造性を象徴する色としても知られているんだって、春になったら海を見に行こう。

































カメレオンの独り言-1775 『映画 レヴェナント』 映画観れる時間ってあるよでないね。

2017年03月05日 | 日記





 『レヴェナント(蘇えりし者)』  2017年3月5日







家ってのは雨露しのげて安心してくつろげる場所であれば良しって思ってる。それ以上の贅沢など有ればいいけど無ければ無いで結構。

其のわりには、賃貸であれども、ホンマに、いいなあって喜べる家に縁があったね。

何が良いかって云うとだね、框(かまち)のある広い玄関、上がれば余ったような廊下の広さ、此処だけでオレは満足できるよ。





戸建てなら珍しくもないんだろうけどマンションで、此の構えは、そうそうお目にかかれないと思うよ。

外から帰ってきたら、その都度、結構だねえって感動してる。人間生活で大事なのは、何もない広い空間じゃないかね?

気持ちにゆとりを与えてくれる。目一杯に置きどころを求める分には贅沢で勿体ない空間なんだろうけど、オレは、ホンマに好きだね。





光って広いフローリングの床を進めば大きな木のドア、いつまでお世話になれるか解らんけど12畳の大きな洋間が独立して迎えてくれる。

正直、信じられない間取りの部屋に恵まれたよ。広い廊下を左に折れて進むと18畳の広さのリビング、なんかの間違いかね?

見渡せば真っ白なクロスの壁が極を設けて飽きさせない造りになってる。6畳一間が設けられて二人だったら贅沢過ぎるよ。





リビングの片隅を衝立で仕切って書斎もどきで満足してたけど、こんなのも世の中にはあるんだねえ~。 「何処でもあるわ」 













『レヴェナント(蘇えりし者)』  レオナルド・ディカプリオ 







人の感動を足蹴にすんなっ。そらなあ、何処でもあるわいな、何処でも在るものなど相手に話しとるんではないわいっ、此のアホンダラ。

天神さんに戎さん、屋台が連なって賑やかに飾られた道を参拝客が流れ往くのを二階の窓から見下ろしてた大きな家も在った。

南区(現中央区)の船場の静かな佇まいの中、チ~ント~ンシャンと優雅な大きな家に住んでいた頃も在った。「ホンマか?」 脚色してる。





淀川の花火大会、大きくドドーン、ドドーンと炸裂する大花火を目の先にしてベランダ一杯ガラス戸開いて冷えたビールが矢鱈美味かった。

変わらず在れと疑いなくとも変わり来る時もある。人生とは短いようで長い。

変わらぬ歴史を守り通して泰然と在るお家も少なくないのが事実だろうね。怠くなるような日々を積み重ねて守り通す正道がある。





約束がない中で曲がらず貫き通す意志力の賜物だろうね。人は、それぞれに歴史が枝分かれしておのずと物語も溢れて広がるね。

袂を分かつようなことも起こり得る、裏切りも造反も有れば分裂もあれば脱走も爆発も落とし穴もあるだろう。 「そんなにあるかあ?」

無ければ結構。しかし、世の中には、喜ばしいことあれば悲しきことも負けずにあるもんだよ。





今は、時代が後押しして順風満帆な航路を進み往ける恩恵に与かってるのも事実だろうね。

そういう結構なお家のことはオレが心配しても余計なお世話だよ。オレが殊更のように云うのは、今在る結構さについて話しておるんだよ。

感謝だよ。有り難いって喜べることに感謝してんだよ。人は、何事に於いても有り難いって思いを忘れちゃいかんよ。













『弾込め式の単発マスケット銃』 ヨーロッパからの銃だと思うんだけど、1836年アラモの砦の義勇軍がでメキシコ軍と戦った当時の銃







1823年って紹介されていたね。アメリカ西部開拓時代なんだけど、昔の映画のような趣とは違い毛皮を羽織り寒さを凌いで

インディアンそこのけのようないで立ちの30数名のハンターたちは弾込め式の単発銃とナイフで武装してる。

狩猟をして毛皮を採取するハンターチームは毛皮を集め砦の毛皮取引所に持ち帰り収益を得る。命より大事な毛皮なんだね。













『レヴェナント(蘇えりし者)』 トム・ハーディ、レオナルド・ディカプリオ アメリカ映画







ロッキー山脈から流れ出した水は、河川や湖沼を形成し、アメリカ合衆国内の水源の4分の1を占めているという。

ロッキー山脈は大陸を大きく分ける分水嶺となっており西側大平洋、東側の大陸側にそれぞれ大河が流れてる。

モンタナ、ワイオミング、コロラド辺りかね?イエローストーンって地名が出てた。





凍てつくロッキー山脈の北西部東側麓辺りに遠征してイエローストーン川になるのか、コロラド川になるのか定かじゃないけど、

ハンターたちは、毛皮を積載して船で下り、砦にある毛皮取引所に運び込むため準備に取り掛かっている。

原始のネイティブ・アメリカンがパレオ・インディアンに進化、後にアパッチ、アラパホ、クーテナイ、クロウ、シャイアン、
















ショショーニ、スー、セカニ、デュネザ、バノック、ブラックフット、フラットヘッド、ユートなどの各部族に分化していったとある。

映画での部族の名を聞き落したね。雪と氷と川の寒々しい荒野は、ジョン・ウェインや騎兵隊が乾燥した荒野を馬を駆って疾走するイメージとは

ほど遠いよ。半世紀ほどの時代の差はあるけど凍てつく大地は人を寄せ付けないような大自然の威厳に満ちとるよ。正直、コワイと思わせるね。

























音もなく忍び寄るインディアンが正体表して襲い掛かって来る。凄まじい襲撃シーンに驚いたね。空を切って矢が飛ぶ。

「逃げろっ」 「逃げろっ」 バシッバシッって矢が突き刺さる。何か叫んで首を貫かれてる。慌てふためく。「毛皮を船へっ」「急げっ」

バシッ、バシッバシッって至る所に矢が突き刺さる。弾込めの銃ではあるけども射撃は達者なんだけど唸りをあげて矢が顔面に突き刺さる。


































重たい毛皮の荷物を離せない、走っても湿地帯なんかね? 思うように走れない。矢が無数に飛んでくる。バシッバシッって突き刺さる。

次から次からハンターたちが射抜かれてぶっ倒れる。騎馬のインディアンがトマホーク(斧)振り回してハンターの首を飛ばす。

ディカプリオも何処かのおっさんも長髪の髭だらけで誰が誰やら解らないほど大混乱。遥か昔のインディアンもそら怖ろしや。

























アマゾンのプライムで購入して2日だったかな? 100円で観れる。前半のインディアンの襲撃、どすこいグリズリー(熊)の襲撃、

もう、此れだけでも凄まじくも怖ろしい。噛み毟(むし)るわ、引き裂くわ、振りたくるわ、獰猛としか云いようがない。

今日は、時間が無かったから残りは、また明日、観ることにするよ。ロッキー山脈の広大な景色も一見に値するね。


















アメリカ西部開拓史を背景に映画は数えきれないほど上映されたけど、太陽と乾燥した大地、緑なす草原なんてのが舞台になって

野蛮人のインディアン、人でなしども相手に闘う人たちは、それなりに自然の恩恵に守られて細やかな人間社会を構築してたってのがイメージ

だったけど、雨も雪も降ればハリケーンなんて嵐もあるのが極自然、舗装の道があるわけじゃないから降ったら辺り一面、目も当てられない泥団子。





風が吹いたら砂埃なんて可愛いもんじゃないだろうね。砂漠を彷徨うような趣だろうね。

ヨーロッパからアメリカ大陸に渡った人たちが、我も我もと新天地目指して西へ、西へと幌馬車を連ねて往くね。さぞかし過酷なことだったろうね。

此の地に根をおろそうと決めたら、家族総出で家を建てて邪魔な木も切らねばならん。大きなクソ石どかさないかん。





つるはし、スコップで手は豆だらけ、クワを持ち替えて土を耕し種を撒く。そうして、ようよう生活の基盤を築くんだけど

何やら品揃えでアマゾンや楽天がある訳じゃない。電話で医者呼ぶことも出来ないよ。ガスや電気のスイッチは? 「あるかアホ」

よくも生き続けて来れたもんだね。ビユッ、バッシッ、全員凍りつく。見たことない人種、サルか? 「パパ、インディアンよっ」





ランプとペチカの焚火の明かりが唯一、大陸の此処は何処? 誰も居ない漆黒の真っ暗け。「なんでインディアンと解ったの?」

「フンドシで解ったわッ」 ホンマかいな? 武器はマスケット銃一丁とナイフ。妻と娘を一度には殺(安楽死)せないっ。

のるかそるか、生きていくってことは、其処から始まってんだね。














『レヴェナント(蘇えりし者)』  レオナルド・ディカプリオ










映画『レヴェナント:蘇えりし者』予告編



































カメレオンの独り言-1774 『寂しくて萎えてる男』 おまえのことか? 

2017年03月04日 | 日記





 2017年3月4日







此の冬は、もう、こんなもんなのかねえ? 毎年、大阪では3月に入ると平野部に雪が降って4~5センチほどの銀世界になるのが

パターンだけど、今年は、全般に暖かかったんじゃないかな? 春に押されて去っていく日も近いのかも知れん。 

河原に積もった雪をせっせと掻き集めて30センチ程の高さに丸めて雪だるま作っていたね。





鼻の先真っ赤にして濡れた手袋気にもせず一生懸命拵えていたよ。ひとり遊びの好きな子だったよ。オレの血を受け継いだのかね?

出来上がった雪だるま、お母さんに見て貰って喜んでいた姿が焼き付いてるよ。

昨晩、息子の思い出話に時間を忘れて深夜を4時回ってたね。奥さんは泣いたり笑ったり、曲がって俺を攻撃したりで終わりがないよ。





仕事で毎度訪れていた気のいい業者の社長さんも、昔、亡くなった息子さんの思い出を言葉にならぬ思いで悔やみ嘆かれていた。

其れから後に、わが身が同じ思いに落ち込もうとは夢にも思わなかった。筆は先からというけれど根元から折れてうろたえた。

先往く息子を親不孝などと鬼に虐められるようなことは断じてさせん。人生の長短、宿命(さだめ)に生き切ることに変わりない。


















どれほど優しい子であったか、どれほど親を笑顔で支えてくれたことか、オレは、ショックで葬式の一日、

意識朦朧な状態になったみたい。自分は、確かに居るんだけど脚がふらつき頭の中の活字がばらつくようで言葉にならなかった。

後から聞かされても思い出せないんだね。自分でも、話しかけられてもオレじゃなかったような気がするんだよ。






其れから2カ月程かね、「あんた、最近、ようよう言葉がスムーズに出てきたみたいやな?」って、あんとき血管が切れたのかね?

もう、何年会ってなかったかね? 東京に住む妹夫婦が葬式に駆けつけてくれた。

ふらつくオレを支えて腕を持ってくれた人が居た。お骨を持って家へ帰る、間際、優しく声をかけてくれた人が居た。





あの人は、何処の奥さんだったかなって、家でホッとしてソファに腰掛け奥さんに聞いたら「あんたあっ、しっかりしいやっ」って怒ってる。

「〇〇ちゃん(妹)やんか、いややわあ~此の人っ」 あれえ~妹やったんかあ? 暫く信じられない。

「歳とっても顔は変わらんやろっ?」 今度お会いしたらお礼を云わなきゃって「自分の妹さんやないかいなっ」 あれえ?




















ちょっと、お、おかしいでえ? 「だいぶんっおかしいわっ」 兄貴や妹の婿さんは解ってた。考えたら大方の人が夢見てるようだったよ。

落ち着いてから関連する用件で地図を調べようとパソコン起動して画面ロックのパスワードを打とうとしたら4文字のパスワードの欠片も出て来ない。

この時は、正直、オレ、危ないなあって思ったよ。毎度打ちまくってる4文字が頭から消えてなくなってるんだよ。





ちょ、ちょっと、慌てたね。そんなのメモなんかしてないよ、焦る思いでメモ帖を繰ってる、ない、ない、ない、ない、ないっ。

なにやら奥さんが、先ほどの続きをお茶を沸かしながら話してるけど耳に入らない、ない、ない、ない、ない、ないっ。

ああっ、あったあ。「なにがいなあ?」 いやいや、なんでもないよ。鉛筆書きでメモってる、助かったあ。焦ったなああ~。





用件の地図より、なによりパスワードでロック解除ができて、続いて記憶が戻ったことに何はともあれ安堵したよ。なんなんだよお~まったくっ。




















あの頃からしたら落ち着いたもんだよ。時折、襲い来る寂しさも日々の流れが癒してくれてるのかね。星に話しかけて笑ってるよ。

夜中に雨が降ったかな? 道路が濡れてるね。バケツに水を汲んで風呂場からベランダへ運ぶんだけど、此れ取っ手が割れるとか

抜けるとか、ふっと考えるとコワイね。プラスチックだろ? ベランダに水を勢いよく流す、外の埃を流し去ってくれるよ。





濡れたベランダの床がキラキラ光って雲間からお日さんが差して来たよ。いいねえ~。

最近、Windows10のmsnニュースをよく見る。Googleに移動する前に粗方ニュースに目を通す。芸能ニュースが多いんだけど

全くと云っていいほど興味ないのに誰それの顔は覚えてくるもんだね。ただ、名前を覚える気がないから顔だけで判じてる。





消えては出て、出ては消えるの世界だね。其処らに転がってる男と女どもの写真に取って引っ付けたような褒め言葉が溢れてる。

人さんの寂しさが欲求して成り立ってる世界って感じかねえ?

虚像の世界に酔いながら嘘でも騙されたい夢見たい、真似して塗ったり剃ったり付けたり忙しいから巷に金が舞う。





Googleから価格コムへ移動して 「下がらんのお~」金の寂しさ思い知って萎えてる男。「情けないねえ~」臭い奴等よりは健全だよ。

































カメレオンの独り言-1773 『なんにも取り立てて語ることもない日もあるわいな』 それで普通じゃないのか?

2017年03月02日 | 日記





  『レヴェナント(蘇えりし者)』  2017年3月2日







『レヴェナント(蘇えりし者)』 トム・ハーディ、レオナルド・ディカプリオ アメリカ映画、観たいなあって思っていたんだけど

ツタヤヘ行く機会がなかった。アマゾンのプライム無料映画に出品されて100円のみの有償で観れるんやね。

此れは、近いうちに観たいね。上映時間が2時間30分は、なかなか観れそうで観れない時間なんだね。深夜にゆっくり観ようかな。












『レヴェナント(蘇えりし者)』 レオナルド・ディカプリオ 







今日もポカポカと暖かいね、いいねえ~。毎度書くことないからポカポカ青い空だね。そいでいいんだよ。

携帯のスイッチ入れると何処かの人がなにやら連絡入れてるね。スイッチ切ってしまって知らん顔だよ。「おかしいんではないか?」

覚えのない電番、知らない人だよ。「聞いてみろよ」 人見知りするから知らん顔だよ。「ベラベラ喋っておるではないか」





その気分にならない。スマホもね、もう、どうでもいいんだよ。無けりゃないで用もない。「大事な用事かも知れんぞ」

そんなものは有り得ない。オレはね、必要としてある場合は返事も怠らないけどね、必要ないのに話すこともないよ。

「忘れ去られるぞ」 結構毛だらけ猫はえだらけ、はえだらけだったかな? 狼が毛づくろいして岩の上で腹見せて寝てるよ。





「それって、どういうことや?」 この場合、意味なんてないんだよ。つまり、どうでもいいやってことだろうね。


















ピッカピッカの自転車、框(かまち)のある広い玄関に「入れときや」って云うから目の前にある駐輪場に置かずに家ん中に仕舞ってる。

雨の日は乗らないから新品綺麗なままだね。なんか、恥ずかしくなるね。 「なんでや?」別にぃ~。

警察署へ用事、陽気な外気に誘われてスイ~と走り出る。足腰の痛みは消えちゃったね、なんでも放っておきゃ愛想つかして消えちまうよ。

















近場しか走らないから車輪やチェーンやらの慣れが不足しておるね。なんでも慣らさないと本調子が出ない。

「どけっどけっとは、もう、品のない馬鹿走りは控えよう。「それでは調子が出ないんだろ?」 歳をとるとね、悪い頭も考える。

長い登りの道があるんだよ、しんどい登りは、クッ~クックックッゥゥ~だっははああ~人殺しめっ。しかし、やがては解放の道に変わる、





行ったらんかえっ、登り切ったら本性丸出しよ。びやああ~、ずっとこの調子で行かんかのおお~。少しは慣れをつけたかな?

「ペダルを漕がなきゃ慣れにはならんぞ」「程よく過重を乗せて漕ぎまくって慣れが出るんだよ」

免許証の更新をお願いします。「はい、此方に記入して提出してください」 ありがとう。「おまえ、オレの云ったこと無視してんな?」





ことは、次々と進行してんだよ。長い坂道を登って来たから身体が熱い、下り坂の距離は短いから熱が引いてないよ。


















あの、講習日はいつになりますか? 「お隣へ行って頂いたら其処で行います」 ええ、本当? 「今からだったら、すぐに出来ます」

あらま、そうですか。 ついてるねえ~、門真や光明池って書いてあったから面倒だなって思ってたけど助かったよ。

前に居住してた処の警察の横手と変わらんね。30分程の講習で用事が済ませたよ。こいでツタヤの更新にも役に立つってもんだよ。





4千円ポケットに放り込んで来て3千8百円消えちゃった。泥棒ではないか? 「なんで財布を持って来ないんだよ?」

お金と云うのはね、お足が生えてるからね、勝手に何処かへ行っちゃうの。だから、小遣い千円持ってりゃいいよって。

だから、今日は3千で済ます予定だったんだけど、講習会で、また、手数料を取られたから小遣いの千円も消えて残り200円だよ。





どうすんだよ、のんびり周辺走ってやろうと思ってたのに200円ぽっちでウロウロ出来ないよ。喫茶店も入れないよ。

仕方がない、ポカポカ陽気な日が消える訳ではないわいな、では、帰ろうか。

帰りの登り急坂短いんだけど漕ぎまくって、ヨタヨタ自転車爺婆ども、どけ、団子抜きよ。「講習会で無法自転車について聞いたろ?」





口だけだよ、勢いを表しているんだよ。苦あれば楽ありだね、上り坂の峠を越えたら帰りは長い下り坂、風を切って転ぶがままよ。


















広い通りをのんびり走ってたら、郵便ポストが目に付いた。ああ、そうだったと気が付いて胸ポケットに入れていた手紙を思い出した。

どうしようかなって躊躇(ためら)ったけど話の流れで約束してしまった。約束を反故には出来ない。

気ままに書き続けてるブログ、名前を曝して見られる内容じゃないけど選ぶのは当人の自由、果たすべきことがオレの為すべきこと。





カッチョーンって放り込んだ。何故か気が合うのかねえ? 留学から帰って来る2月ってことだった。2月末っチョンで受け取ってくれ。

































カメレオンの独り言-1772 『明日のことのようで昨日のような今日の一日』

2017年02月28日 | 日記





 2017年2月28日






暖かいねえ、ポカポカとお日さんがベランダの特等席を温めてくれてるよ。キャンピング・チエアに腰を沈めて頭の中は空っぽだよ。

こいで良かったのかなあ、なんてのは考えない。良くも悪くも有り様のままさ。

振り返り見れば意味のない人生、諦めてるかと問えばオレなりには諦めたことがない。此れで良かったのかなという基準は何処にある?





何処にもないから諦めない。ふっふふふ、くたばるまで諦めない。いつでも来んかえ、相手になってやる。昨日も今日もオレは真っ新で生きる。

迸(ほとばし)り滴を飛ばして流れ落ちる滝は涸れることはない。行かんかえ、それでええんじゃ。

「無理してんじゃないか?」 正直に云ってね、オレも解らんのだよ。ただ、生きて来ただけかも知らん。知った積りでホントはなにも解らん。 



















仕事辞めてから2カ月を越えたか、おかげで心身ともに被さってたものが剥がれて落ちたように思えるよ。元気が復活してきたのかね?

ブログを覗いてくださる方々は、毎度変わらぬオレの駄文で、其の場の気分なりとも我を忘れて笑ってくださってるだろうかね? 

ゴミ箱引っ繰り返してゴミ拾うような、どうでもいいこと書き続けてるけど、フッと突然ね、やめようかって思う時があるんだね。





意味ないことを続けてる自分を疑う時があるよ。もうちと、まともなことでも書けんか? 無理を云っちゃあいかんよ。

思いを心にたたんで生き切って彼の世へ逝きすがらボロボロ破いて三途の川に撒き散らしてやろうか。「ゴミを捨てちゃいかんっ」

赤いの青いのが怒っておるわ。 「鬼やろ?」 黄色はおらんのか? 「信号か?」 生きた証の落書きだよ、でも、もう要らん。





喜怒哀楽のゴミだめなんぞ流れて消えちまえ。其の分は生きて果たした。でもね、言葉にならない思いは身に染みて離れるものじゃないよ。

















オレはね、彼の世へ逝くときは、一張羅のスーツ姿で挨拶するよ。「誰にや?」 まずは、赤、黄、青の鬼どもにだよ。

鬼どもが、自分の無様を水に映して、腰をすぼめてヒョウ柄の腰巻隠して恥を知れ。

恥に硬直しつつ上ずった声で 「な、なんで、そんな恰好で三途を渡って来るのだ」 身を正して挨拶するのが礼儀だろ。





ネクタイは無地に限るけど葬式用なんか用はない。靴はリーガルのウィングチップだよ。間違っても三角頭巾なんか頭に着けるなよっ。

センスのない見苦しい姿なんかお断りだよ。まあ、そうだね、ジェームズ・ボンドみたいに胸に薔薇の一輪でも差しておいてくれ給え。

「有り得ないっ」 なんで有り得ない? 「昔から決まってるのだ」 「おまえは日本人だろ?」 「なんで日本人がスーツなんだ?」





「そんななりでは河原に立たせないっ」 そうか、くだらんことに拘る門番め。では、紋付き袴(はかま)で参ろうか? 

「そんな用意が出来てるか?」 貸衣装屋さんなら用意があるよ。「燃やしてまうねんで」 こまいこと云うな、払っときな。「誰がや?」

云っとくがな、間違っても三角頭巾はつけるなよっ、此の世の別れの人を愚弄するなっ。鉢巻きにしてくれっ、颯爽として新選組で逝くよっ。

















なんだよお、皆さん、河原に立たずむみすぼらしい其の姿は。ヨロヨロではないか、覇気をもてっ。三角頭巾なんか放ってしまえっ。

奥さんかな? 娘さんかな? 「はい」 そうですか、此れを羽織りなさい。「お侍様ですか?」 似非(えせ)侍です。

「袴(はかま)姿に鉢巻きが凛々しいですね」 そうでしょう? 見せかけ一番ですよ。ただね、刀を入れてくれなかったのが痛いっ。





渡って来てしまっては致し方ない。まあ、無ければ無いでたすき掛けして、さも活躍の姿勢に身構えて皆さんをお守り致そうか。

「ご病気で?」 いや、寝て目覚めたらこの様でござる。「まだまだ、お元気そうですね?」 そうですか、昔から元気が取り柄でござる。

「おとん」 「・・・っ?」 〇〇〇〇っ? 〇〇〇〇かっ、・・・空耳かっ。オレは、死んでも息子を探さねばならん。





闇の河原の流れの其の向こう、行って遣る。くたばっても遣らねばならんことがある。オレは、生きても、死んでも遣らねばならんことがある。

















机の下の配置が気に入らん。片付けの構想をシュミレーションしてたら椅子に腰掛け居眠ってたかね? 何処の娘さんだったかね?

想定通りに収まった、うん、スカッと片付いたよ。さあ、明日辺り、免許証の更新に警察へ行って来よう。

































カメレオンの独り言-1771 『古ぼけた自家製写真をば貼っておこっ』 オレのも貼ってるよ。「一枚やないか」

2017年02月26日 | 日記





 『ソフィア・ローレン』 2017年2月26日






ちょい調べものに夢中になってたら矢鱈と眠気が襲ってきて、もう、どうでもいいやでソファベッドにぶっ倒れてしまったよ。

パソコンで細かい字を読み耽っててもこうはならん。本は、こんなに疲れるかね?

暖房もつけずに熱気がないまま集中してたら脚の周りが冷えて爪先固まってるよ。「馬鹿やで、暖房つけろよ」 つけるの忘れてたよ。





鬱陶しい天気だね、降ってんのかね? ガラス戸開けて見ると道路は濡れてるけど雨はやんでる。

あらまあ、もう、こんな時間になってるよ。5時回ってる。鬱陶しい天気のわりには明るさがもってるね。日が伸びたか?

明日は晴れるのかな? 運転免許証の更新手続き済ませてないから、そろそろ警察へ行かんとアカンね、手続き料3千円。





もう、車に乗ることはないんだけどツタヤとか身分証明書代わりに使うからね。「それだけで3千かよ?」 なんか勘定があわんね。

それはそうとブラザーのプリンター(DCP-J940N)使わぬままに置いてたけど写真の取り込みなんかが簡単にできるんだね?

クソ古い写真が出て来たのでパソコンに取り込んだら、あらまあ、いとも簡単に縮小拡大思いのままだよ。なんで使わなかったのかね?





埃に塗れてたのをピッカピッカに磨いて真っ新にしてたんだけど使う予定も思い浮かばなかった。そして、俄然、使い道を見つけたよ。













『DCP-J940N』







先に運転免許証の写真をプリントして、そんな機能があるのに気づいた。そうか、以前、コピーして写真を撮ったことがあったなあ。

そんなの完全じゃなかったね、パソコンに取り込む方が綺麗だよ。昨日の駄文に貼った写真も簡単に出来たからね。う~ん、武器が出来た。

古い写真を見つけてパソコンに取り込み拡大して見ると、おおっ、昔の日本橋筋一丁目の交差点が映っておるではないかいな。





1963年(昭和38年)頃だね、交差点の四方に植え込みが在って、その歩道側の柵に腰掛けてる人が居るんだけど

邪魔だから消してある。写真後方、北東側の角並びに「大阪衣装」「トリス」「日本一食堂」「モモタローのパチンコ店」が映ってるよ。

消された邪魔者は、「おまえやな?」 腰掛けてる歩道前には「住友銀行」が在った。其の並びには土地売買の不動産屋さんだったかね。














『日本橋筋一丁目交差点』 1963年(昭和38年)頃 交差点北側町並みが写ってるよ。此の北側の街並みが、なかなか見つからないね。








もう、滅多に見れるもんじゃないみたい。其の周辺で生活していた人の思い出のアルバムには人知れず残ってるんだろうけどね。

以前に貼ったことがあるんだけど、日本橋筋一丁目の2枚の写真も並べておこう。時を少し前後してるけど、ほぼ、同時期のものだね。

東西を走る千日前通りの北側街並みは道路拡張工事で立ち退きになり当時の面影を残してる写真が皆目ないんだね。














『日本橋筋一丁目交差点』 千日前通りを西へ千日デパートが左手向こうに見えてる。(市電は東行き) 本では、昭和44年になってるね?











『日本橋筋一丁目交差点』 千日前通りを西へ千日デパートが左手向こうに見えてる。1959年(昭和34年)5月となってるね。










『1959年(昭和34年) 上の写真と並びの千日前、当時の北側の街並みが写ってるね。(上が日本橋筋一丁目)貴重だね。








また、思い出した頃に 「俺も、この辺りの写真を持ってるぜ」なんて人がネットに流すかも知れない。パッと獲って載せちゃうよ。

「それはいいことか?」 いいはずが無かろうが。しかし、何でも人のために活かすってことは悪いことではないと思うよ。

まあ、怒ってこられたら誠心誠意謝って堪忍して貰おう。 「まあ、使えばいいんじゃないの、お互い生きてる間が華だよ」なんてね。





こんな時代を生きてきて、ふっといつも思うことがある。あんまり恐い思いをしたことはないんだけど、時折、あぶねえって思ったことはある。

前にも書いたかね? 当時でも、やっぱりコワイ人は居るからね。でも、恐がってばかりじゃ外歩けない。

親父の仕事を手伝って配達帰りに千日前の千日デパートの前を歩いてたら 「おえっ、当たっておいて黙って行くんか? おうっ」





あれ、此の人、この辺で顔売ってるあんちゃんではないかいな? 「あっ、すいません」 横っちょに来て「おうっ」

「すいません、気が付かなかったみたい、カバンが当たったかな?」 「おう?」 掬いあげるような目つきがドウにいってる。「まあ、ええ」

「すぐに謝ったから堪忍したる、おまえ、何処へ行くねん?」 「お父さんのお仕事配達です」 「そうか、気ぃつけや」 はい。





そんなん知らんわなんて云ったら、どつかれるわ、カツアゲ喰らうわ、あとあと、血吸いまくりよるわ 「蚊か?」 素直に謝る、此れ一番。














『1967年(昭和42年)6月 千日前通りと御堂筋(手前) 千日デパート(ニチイ)(上)』

『1969年(昭和44年)に市電が廃止され、翌1970年には万博関連事業の一環として、湊町南交差点(四つ橋筋)から

上本町6丁目交差点(上町筋)の千日前通りの間が幅員約50mに拡幅されたんだね』










この程度なら経験がある。オレなりに思うに、「ほなあ」なんて笑って手を振って行き去る彼の思いはなんなの? いい人になってるんだね?

この辺りではブイブイ云わせてるあんちゃんってことは、人の噂で耳にしてた人だよ。

小学校の頃、読んだ本に、昔、剣豪と云われた武人が何人か紹介されてるのを興味深く読んだことがある。





其の中に宮本武蔵の項で、気性の激しい馬が道端に繋がれ往来を妨げてフボウ~フボウ~って鼻息激しく地団駄を踏んで落ち着きない。

道行く人々は、馬が怖くて近づけない。其処へ若武者がサッサッと近づき軽々と馬の背を飛び越えて行き去ろうとする。

其の後を来る編み笠被った武士は、わざわざ馬から遠回りして通り過ぎる。其れを見ていた若武者は武士を小馬鹿にするんだね。





武士は、「避けられることならば避ければよい」と云って立ち去る。「無用のこと」 剣豪の宮本武蔵だったんだね。 

そんな話を読んで 「君子危うきに近寄らず」を身に着けたオレを剣豪の宮本武蔵が褒めてたよ。 「何処で褒めてたんや?」

活字からしみ出る教えだよ。そんなのでアホなオレは、この歳なるまで無事に生き続けて来れた訳だよ。





人をホッとさせる思い遣りかね、人も笑顔になって自分も心地いい、人は人の中で引いてひかれて通じる思いに救われるもんだよ。

































カメレオンの独り言-1770 『映画 アパッチ砦』 騎兵隊3部作 時間がないので追加はまたね。

2017年02月24日 | 日記






 『アパッチ砦』 2017年2月24日








馬鹿だねえ~、オレ、もう、隔日でこなして1カ月分書いてるじゃないか。今月は28日で終わりだろ? 

あら、「日付先行」とか「間に合わせ」とか焦って書くことなかったんだね。

まあ、いいか、昨日は昨日に終わった出来事だからね。今日は今日の出来事書けばいいことだよ。





世の中終わりそうな顔して悩んだり苦しんだりするけどね、大方がウンコの垂れ流しだよ。「それは、どういう意味やねん?」 

まあ、人それぞれ捉え方があるからね、一概には云えないだろうけど栓をひねって流せば腹も減ってきて

美味いもの喰ったら笑いも湧いてくるよ。生きていくってことは、其の繰り返しだということの喩えだよ。生きてるってことは臭いんだよ。





昨日はね、古いアクオスで『アパッチ砦』を観てたよ。モノクロのビスタビジョンほぼ正方形の画面だから、大方、横帯で削られてる。

しかし、映ると、其れはそれで慣れて観てるもんだね。1948年のアメリカ作品で日本で公開されたのは1953年(昭和28年)だね。

いつか、駄文の写真に貼ったんだけど、難波高島屋前の南街劇場が、まだ、一階建ての三角屋根だった頃の写真だね。





公開映画の看板が、此の『アパッチ砦』だった。サーベルかざして騎馬で突撃するジョン・ウェインの雄姿が描かれてたよ。














『1953年(昭和28年)難波高島屋前 南街劇場』 公開中の 「アパッチ砦」 お正月だね。「お正月映画は南街へ」って誘ってるね。










『難波高島屋前 南街劇場の部分拡大』 右手に次回公開かね? ゲィリー・クーパーの『遠い太鼓』の看板がある。   








騎兵隊3部作って云われてる。 『アパッチ砦』 『黄色いリボン』 『リオ・グランデの砦』 オレに云わせれば 『騎兵隊』で4部作だよ。

ジョン・フォードの作品では、1947年の『荒野の決闘』に続いてヘンリー・フォンダが騎兵将校役でジョン・ウェインと共演してる。

軍規軍律に厳しい堅物のエリート将校を演じて軍服の姿も凛々しく非の打ちどころがないよ。格好いい男ってのは、こういうのを云うんだろうね。





南北戦争当時、将軍だったヘンリー・フォンダは、或る失策で中佐に階級を下げられアパッチ族との紛争が絶えない辺境の砦に左遷される。

東部で返り咲くことの野望を胸に娘の(シャーリー・テンプル)を連れて西部のアパッチ砦に赴任する。

そこには、現場の情勢を熟知している古参のジョン・ウェイン(ヨーク大尉)やコリングウッド大尉などがいた。





ヘンリー・フォンダ(サースデイ中佐)は軍規至上主義の武骨一点張りの指揮官。時を同じくして東部から士官学校を卒業した

マイケル・オローク中尉が砦に帰還、娘のフェラデルフィア(シャーリー・テンプル)と恋仲なったり、身分の違いで中佐に反対されたり、

子供ができたりで大人の世界は忙しい。「子供は、もっと後だろ?」 いずれは増えるがな。オレはな、そんなもんはどうでもええねん。





軍旗掲げて馬乗ってサーベル振り回して走っとったらええねん。 「そんなんばっかしでは映画にならんがな」  恰好ええだけで満足だよ。



























『アパッチ砦』 僅かに残った中佐をはじめオローク曹長やコリングウッド大尉らが迎え撃つがアパッチの総攻撃を受けて全滅する。








世の中には、まともな人も居れば訳の分からん奴も居る。格好いい人も居れば格好悪い無様な奴も居る。

格好いいけど根性の腐った奴も居ればド卑怯な奴も混ざってる。まともだけどぶっ細工なのが多い。「其れはどういうことや」

そんな諸々の人たちで構成されたインディアンが広大な西部を馬を駆って奇声を上げて突っ走るんだね。





見つかったらっ百年目、多勢に無勢、一目散に逃げるが勝ちだよ。広範囲に張り巡らされた電信が切断されて修理も大変だよ。

「こんなところで、奴らと鉢合わせしたらお手上げだぜ」 「速いとこ修理片付けて引き上げようぜ」 うんだ、うんだ。

で、捕まって馬車の車輪に縛られて根性焼きやらなにやら拷問されて焼かれて見るも無残な最期。運が悪いんだね。





フェラデルフィアを伴ってマイケル・オローク中尉が馬で遠出の途中、此の二名の隊員の死体を発見、急遽、砦に知らせに戻る。

フェラデルフィアの無事を確認、二度と娘に近づくなってヘンリー・フォンダは怒る。

マイケル・オローク中尉に数名の隊員を引き連れ遺体の収容、電信の修理を命じて、あわよくば娘にちょっかい出す少尉を亡き者にする魂胆。





「そんなの筋書きにないで?」 筋書きが無くてもヘンリー・フォンダの腹ん中は解らない。とっ捕まって根性焼き喰らえっなんてね。





あれ? マイケル・オロークは、中尉だったか? 少尉だったか? 「ハイ、ここでクイズ」なんて馬鹿らしい番組が多い。














『アパッチ砦』 西部の辺境の地である”アパッチ砦”の、駐留連隊指揮官に赴任したヘンリー・フォンダ(サースデイ中佐)








フォード監督のお馴染みの役者さんらが頼もしい軍曹役になってる。馬車に遺体を乗せ修理に取り掛かろうとしていると銃声が響く。

包囲されたことを知ったマイケル・オローク中尉が其の場を放棄、部下らとともに馬車を走らせて脱出する。

丘の上からインディアンが大挙襲い来る。ここからがジョン・フォード監督ならではの追撃シーン。素晴らしい。スピード感に溢れてるね。





撮影のコマを省いて爆走する速さが違う。此の躍動感溢れる描写が真骨頂だね。馬までが格好良く走ってウマいから感心するよ。




















マイケル・オローク中尉ら馬車の一行にインディアンの集団が丘を駆け下りて襲いかかる。




































奇岩のメサが立ち並ぶ広大な西部の荒野を車軸が折れんばかりの勢いでぶっ飛ばして遁走する。



















砂塵蹴りたてて爆走する幌馬車、その両横に騎馬兵が援護しつつ並走する。奇声を挙げてインディアンが襲い来る。












































車輪が濛々と土煙をあげて爆走、馬車に乗る騎兵がスプリングフィールド騎兵銃で追撃するインディアンを撃ち落とす。

『リオ・グランデの砦』では、往年の名手ベン・ジョンソンが馬を手足のように操ってインディアンを蹴散らし疾走してた。

同じく、ハリーケリー・ジュニアもローマ乗りなど鮮やかに苦もなく乗りこなす。こいつらは、兎に角、ホンマに凄いよ。



























































































いやあ、また、久し振りに貼りまくってやっちゃったね。血沸き肉躍るよ。馬車を挟んで援護して幌が捲れ飛ぶのをサーベルで切り落とすね。

凶暴なインディアンが迫りくる中、騎兵の腕の見せどころだね。もう、これでホントなら一生分の活躍だよ。

青い上下の軍服に黄色の縦縞鮮やかに長い脚は伊達じゃない。馬腹蹴って怒涛の疾走、手綱捌きなど馬に任せたように思うがままだよ。





鼻息立てて猛り狂うような馬たちの姿、全身が筋肉だよ。素晴らしいっ。こういうシーンは砂煙までが格好いい。「どんなんや?」 

馬鹿め、見てて解らんのか? 今日は、ちょっと用事でね、出掛けて駄文を書いてる時間を失ってしまったよ。

まあ、此のあとの追加は、また、時間が空いたときに埋めようか。





もう、あとは貼りまくるだけで駄文なんか書いてる間がないよ。時間に飽かして貼ったろか。「もうええ、やめとけ」

逃げすがるマイケル・オローク中尉の一行らの前方にヘンリー・フォンダ(サースデイ中佐)率いる連隊が到着、ヨーク大尉の指揮する

応援隊が突撃、もう、ジョン・ウェインの怖いものなしのめちゃくちゃの大爆走だね。恰好ええわ~。


























































見渡すかぎりの大平原、人と馬と馬車のみが移動の手段、銃が我が身を守る手段、勇気と夢が未開の地を拓いて大いなる緑なす麗しの国となる。

其のためには、発展性のない野蛮人など蹴散らしても心は痛まん。「なんちゅうことを云うのだ」 

死んだインディアンは善いインディアンだ。昔ね、傲慢な白人の将軍が云った台詞だよ。




世論とはね、あっちに着いたり、こっちに着いたりしながら正義に気づいた頃には後の祭りが多いんだよ。人は愚かから学ぶ生きものだね。













『アパッチ砦』 









『アパッチ砦』 オローク少尉の家族と食事、訪ねた中佐はフェラデルフィアを連れ戻そうとする。









『アパッチ砦』 下士官たちと衣装艶やかな婦人たちとのダンスパーティー、無骨なりに紳士然としたヘンリー・フォンダが舞踏会で舞う。









『アパッチ砦』 此の映画では、ジョン・ウェインは控えめなんだけど、此の男が居ないと纏まりがつかないね。









『アパッチ砦』









『アパッチ砦』 ヨーク大尉の進言も聞き入れず総攻撃の命令を下すヘンリー・フォンダ(サースデイ中佐)

















『アパチ砦』 ジョン・フォード監督 1948年アメリカ映画 1953年(昭和28年)日本公開
































カメレオンの独り言-1769 『間に合わせ』 

2017年02月23日 | 日記





 『COOLPIX P900』 2017年2月23日






あの時貼った写真は、何処だったかなあってのが、毎度、出てくる台詞なんだけど見つかることがないに等しい。

書いたブログの所在なんか次の日なったら薄らボケてる。数日経ったら記憶から消滅してるよ。

困るんだなあ~、探すのが大変なんだよ。「無断使用禁止」なんてお咎め頂いたら、ご丁寧に指し示して貰えるから探しようもある。





自分で思い出すなんて有り得ない。最近だよ、カタログじゃない、カテゴリーだよ、映画なら映画、旅行なら旅行って内容を分けるんだね?

そうしたら見つけ易くなるんだよ、知ったこっちゃないよ。「不親切だろうがっ」 おまえが怒ってどうすんだよ?

そんなの知らないから、カテゴリーなんか、今更、もう手遅れだよ。月別一覧表なんてのもあるんだね? 何処にあるのかね?





いつだったかなあ? ミズノのバスケットシューズの写真を貼って買えない値段だから唾だけつけて泣き言云ってたかなあ?

恰好いいシューズだったんだけどね、今、偶然に見つけたらアシックスになってるんだねえ? 忘れちゃったなあ。 

値段も¥28.000前後だよ。どっちだったかねえ? ミズノだったはずなんだけど、¥2.800にならんかね? 「なるか、アホ」





「もう、おっさんなんだから安もん履いてたらいいんだよ」 それは、オレを馬鹿にしてるのか。云っとくけど、今ならちょい買いだよ。

釣りは要らねえぜ、子供さんに、なにか買って遣っておくれってなもんだよ。 「大きく出たね」いつも、いつも貧乏人じゃないよ。

赤のラインと青ラインを揃えて着替えに買っておこうか。 「無理すんな、あと苦しいだろ?」 赤だけにしとこか。「底、見えとるがな」





そんな話ではないんだよ。いつも、書くだけ書いて、ただ、積み上げてゆくだけで世話焼かせて申し訳ありません。「反省か?」 まあね。












『アシックス バスケットシューズ ファブレ ポイントゲッター S TBF711 ¥ 28,620』






大型液晶テレビか大型モニターかなんて退屈なったら考えてんだけど、これに付随するブルーレイレコーダーとかシアターバーなんかを

揃えるといい値になるからね。ハードディスクは、テラバイトのがあるから併用できんじゃないの? 

DVDとかブルーレイとか録画は必要ないね。昔から溜め込んだのが山ほどあるけど全然と云っていいぐらい見直すことがない。





オレとしては、ブルーレイは観るだけでいい、録画して溜め込むのは、もうやめた。プレーヤーでいいね。音響はホロー程度でいいから

パナのSC-HTB175 サブウーハー内蔵の一体型シアターバー¥13.500で賄える。安いのに人気があるらしい、そいでいいんだよ。

なんてことを考えながら赤ラインのバスケットシューズのことも薄っすらと消えていく。「なんやねん、買わんのか?」 いつでもあるわいな。











『パナソニック 2.1ch シアターバー サブウーハー内蔵 Bluetooth対応 ブラック SC-HTB175-K ¥13,479』





「一時的に在庫切れ 入荷時期は未定」 価格コムのショップサイトが軒並み注文問い合わせになってる。よく売れてるんだね。 

なんでもかんでも買わせて銭とることだけ考えとるね。 「当たり前やないか、みんな、養のうていかんとあかんのじゃ」

COOLPIX P-600買ったらP-900で釣りよる。一番遠くが見えて満足してる者の鼻折るな。上が有ったのか、騙し打ちだよ。





一生懸命貯めても貯めても欲しい物が追っつかないもどかしさ、どうしてくれるっ。「そんなもん知るか」 

「常日頃、なにも要らんって云ってるだろ?」 知らん。「嘘つけ」 P-900があれば何も要らん。「P-1200が出たら?」

う~ん、欲望は切りがないね。 ああ~、文句云いまくって憂さ晴らして忘却する術を身に着けよ。 





其処らの寺で鐘叩いて煩悩を打ち払おうか、糞ボウズ。 「なんでやねん、坊さんが怒ってくるぞ」 すいません。

































カメレオンの独り言-1768 『日付が先行してるので、少し埋めておこ』 昔の写真もチョイ。

2017年02月22日 | 日記





 2017年2月22日






此の前、コメント欄から写真の無断使用のご注意を頂き、慌てて削除とお詫びの旨、お返事しておきました。「遂に来たか」

もう、潮時ではないかいな? 「もう、足を洗え」 そろそろ、自家製造に本腰入れて写真を撮らねばならん時期に来たかな?

「まあ、映画はだね、まだまだ許されるんではないか?」 懐かしい古い写真もね、此れはマズいんではないかと思えるのは省いてるつもり。





電車の写真については、ちょっといかんね、寒い中、暑い中、撮られた写真を 「ああ、手頃なのがあった」なんて無礼千万だもんね。

其れら以外の写真では、一応、駄文に合ったような景色とか草花とか建物とか写真を貼ってるつもりなんだけど思い入れはないんだね。

オレの下手な鳥の写真ばっかしでも構わないんだけど貼るオレが飽きるからね。





云いたいこと云って駄文を書いて在るんだから下手でも撮りたいように撮って貼りまくれば済む話ではあるね。

何を撮るかではなく貼ればいいということに気づけばいい訳だよ。「何を貼るねん?」 だから、写真を意識しないことだと思うよ。

つまり、駄文のような写真が合ってるってことさ。なんで、これに気づかなかったのかな? 「例えば、どんな写真だ?」 





つまり、今、思いつくままの駄文があるね、其れは、そのまま駄文であることがオレなんだよ。「そうか、ほいで?」 

まずは、シャッターを押せばいいってことさ、解るか? 「意味ありそうで? あんのんか?」 大いなる目覚めだよ。

一芸に通じる奴は多芸に通じるって云うね、「駄文がおまえの一芸か?」 未完成のままの一芸だよ、未完成だから尚いいんだよ。





春からのオレは、もう、昨日のオレではないよ。「なんか、前にも聞いたようんな覚えがある」 馬鹿だね、春から明日のオレさ。


















今日は、いい天気だね、真っ青じゃないか、素晴らしい、心地いい、こんな日に家に籠って勿体ない、外へ出ろって思うね。

まあ、ベランダで煙草吹かせてだね、キャンピング・チェアに腰掛けて青い空を見上げてお日さん仰いで日光浴も悪くない。

「何処か行けよ」 行きたい奴に行かせておけばいい。出たい奴は出ればいい、面倒な奴はベランダでたまに顔出してればいい。





「なにもせんままに彼の世往きだぞ」 何かしててもくたばる時はくたばる。急かれてバタつく奴を見てると大変だねって思うよ。

緩(ゆる)やかに流れる川の鷹揚なることよ、せかせか飛沫(しぶき)を上げて跳ねる水は落ち着きがない。

俺は違うんだって気を吐いても、所詮、人間以外の何物でもないよ。自分に正直に生きればいいんではないか?





しかし、いい天気だね。昼下がりになってくるとベランダの網戸だけでは、ちと冷ややかにはなってくるね。ではガラス戸を閉めればいい。

意識にして、今はゆっくり寝ようと思ってる。睡眠を贅沢にとって心身ともにリラックスして鋭気を養う、いい具合だね。

おかげで体調に不満はない。2日置きの腕立て伏せも苦もなく変わらず80回をこなして上体は万全だね。





「下半身は?」 如何ともし難い軟弱だね。春になったら歩かねばいかん。若い頃の強さは何処へ行っちゃったのかね?

歩くことに何の苦も無き水鳥であったのに、ただただ、趣味に明け暮れて浮くことばかりで脚を使わぬ空気の抜けた袋の如しだよ。

「野蛮人は何処へ行った?」 野蛮人は健在だよ、しかしながら、肉体的に軟弱に成り果てた。枯れ木寸前だよ。「水かけたれ」




















しかし、歳と云うものは正直なもんだね。精神でカバーしてなんとか持たせてるってとこではないか? 髪の毛も薄くなってきよった。

オールバックで誤魔化してアラン・ドロンの「ボルサリーノ」だよ。「よく云うね」 ごめん、「ボケサルーノ」だよ。「ボケ猿か?」

どうなと云ってりゃいいんだよ。暮れの引っ越しの最中に矢鱈と冷えが厳しかったのかして足腰にかなりの痛みが残ったよ。





歩くと右足から腰まで突っ張るような抜けるような痛みが続いてね、歩けないんだよ。ああ~オレも終わりかよなんて弱気になったね。

「今は?」 痛けりゃ痛いで放っとけばいいんだよ。「良くないんではないか?」 諦めればいいんだよ。 「苦痛だろ?」

苦痛と仲良しすればいいの。2か月経って、きゃつも飽きてきたかな? 「きゃつって誰や?」 足腰痛める奴だよ。どっかへ行っちゃったよ。





時折、戻って来てちょっかい出しては消え去るよ、馬鹿たれがっ。さあ、こんなの相手にしてられないんだよ、春は、其処まで来てるよ。





















『1958年(昭和33年)戎橋筋と道頓堀通りの交差点、戎橋の手前』 この時分は、まだ、この辺りを徘徊しておったね。












『上と同場所、同時期(セイコーの看板)手前消防署の向かい松竹座の前から撮影』


















1958年(昭和33年)と云えば、『十戒』 『大いなる西部』 『死刑台のエレベーター』なんてのが封切り映画だったね。

『死刑台のエレベーター』 モーリス・ロネ、 ジャンヌ・モロー、リノ・ヴァンチュラなんてのが頑張ってたんだね。

此の頃からかね、フランス映画全盛時代に入ったのは? 





ジャン・ギャバンに続いてアラン・ドロン、ジャンポール・ベルモンドなんてのが続くんだね。いろんなのを観たねえ
































カメレオンの独り言-1767 『千日前筋、時代の顔は知らずしらず変わり往くもんだね』 

2017年02月21日 | 日記







 『小川ローザ 1969年(昭和44年)「オゥッモーレツッ」の丸善石油CM』 2017年2月21日








今日は、雨が降ったりやんだりで鬱陶しい一日でした。東京では20度の春日和ってテレビで云ってたね。

長いこと朝風呂に入ってないね、休みの日は良く入ってたのに時間が自由になると、いつでもいいやに変わっちゃうのかね?

どうでもいいやって思ってるんだけど、今の風呂の照明が気に入らないんだね。なんか薄暗く感じて気分が滅入るんだよ。





奥さんは 「今ぐらいが丁度ええっ」なんて云うけど、風呂は、スカッと明るいほうが気持ちいいと思うけどね? 

新品のLEDの電球がダンボールに入ってるはずなんだけど引っ繰り返して探すのが面倒だから、ああ、そうって聞き流してる。

綺麗な風呂場なんだけどねえ、それぞれ好みがあるんだね。出てきたら、知らん顔してクルクルと交換してやろう。





トイレの電球も、いまいち明るさが怠いね。「明るさが怠い?」 照明時にパッパッって明るさ変更するような瞬きをしよる。

接触が悪いのかね? 広くて綺麗なトイレだから結構なんだけど風呂とトイレの此の2点については不満だね。

「球変えれば済む話だろ?」 そうだよ。球探すのが面倒臭いっていう話だよ。球が切れたら面倒でも探し出すんだけどね。





滞ってる引っ越し荷物の片づけを奥さんがボチボチ励んでおるから、そのうち出てきよるだろ、お誂え向きに2個あるんだよ。



















しかし、オレって何にも要らんに等しいね。パソコンあったら他のことは面倒だけで大方興味ないね。

煙草も長く買ってないよ。あちらに居る時に貰ったセブンスターのワンパックも4~5本吸って口に合わないままだね。

細くてロングの1ミリケントが、今、口に合ってる。ワンパック買ったら忘れるほど減らないよ。こうして死んでいくんかよ?





口煩く云って、お茶だけは手を抜くなよって厳しくお達ししてる。黙ってたら、必ず、出涸らしみたいな茶に替えよるからね。

オレの最後の砦だから同じこと二度とは云わんぞっなんて絶対命令だよ。おかげでお茶は美味しいのを呑めてるよ。

夕飯のおかずなんて口に入りゃいいや、遠く忘れた美味たる料理や懐かしい。栄養だけ取れて垂れたらどれも一緒だよ、しょうもない。





「充分、美味しいやん、あんたが贅沢なんや」 確かに一理あるんだろうね、でも、不味いものは、やっぱり不味いんではないか?

息子が逝ってしまってから 「もう、なにも要らんねん、なんなと食べてたらええねん」

母親だからねえ、気持ちは解るけど代わりに美味しいものを食べてやるのも供養じゃないか? 「なに作る気もせんねん」 





消え去るものではないけど時間が悲しみを薄めてくれるだろうかね。熱いお茶を湯呑に注いで湯気の向こうを見つめてたよ。















『1960年(昭和35年)日本橋筋3丁目堺筋北行きを走行する市電』 左に折れると難波方面








ネットの中から1940年代~1980年代頃の大阪にまつわる古い写真を暇に飽かして探すんだけど、もう、ないねって思ってしまう。

必ず、何処かに載ってるって執念はあるんだけど検索に引っ掛かけようもないほど探しても、もう、ないのではないか?

凄まじい量の写真がネットに溢れてるけど実はこんなもんじゃないだろうね。ほんとは家ん中に眠ったままの写真は山ほどあるんだろうね?





もうしんどいって諦めかけたらポロッと出て来るもんではあるけどね。難波や千日前、戎橋、心斎橋、御堂筋、北へ梅田周辺を軸に探してる。

広げて市内全域、阿倍野、上本町、淀川周辺、昔、馴染みのあった辺りを探してる。

こうして拾い集めた写真の量は、これまた凄い量にはなってるね。ただ、ファイルの中から探し出すのが、これまた大変なんだね。





「整理はできてないのか?」 一生懸命に記録を打ってはいるんだけどパッパパラパラと目ぼしいのを見つけたら取り込むのが忙しくなって

後回しになるから、段々、解らなくなってしまうんだよ。一時、エロ写真を集めてる時なんか、もう、止めても止まらない餓鬼亡者だったよ。

「はずかしいのお~」 これって不思議なんだよ、ウワッ、オオッ~、おったまげたなんて興奮するのは取り込む瞬間なんだね。





なんでかと云うと、もう、次が迫ってるからゆっくりしてられないんだね。ハッ、ハッ、ハッ、ハッて追われまくられて疲れてしまうんだよ。

大漁に湧く収穫の興奮で満足して疲れて、あとゆっくり見た覚えがないんだよ。そうそう広げて眺めてる時間もない。

結局、浅ましい自分の愚かに気づいてドッサリ消去して僅かお気に入りを残してたけど其れも消しちゃうんだね。疲れ損もいいとこだよ。















『1956年(昭和31年)堺筋日本橋筋3~4丁目の間を走行する市電(後方は松坂屋)』 総じて堺筋の昔の写真はないね。









そんな中にだね、此の辺りは探しようもない処があって諦めてたんだけど、堺筋の日本橋筋2丁目を西へ折れて

千日前に出るまでに道路より内側に構えて、昔、映画館が在った。「オリオン座」と「新オリオン座」だった。

通りには家具屋さんが多かったね。もう、館内の様子は記憶に残ってないんだけど家族で良く観に行った。





洋画の何本立てだったかね? どちらも洋画だったかは覚えがない。或る日、昼だったね、映画館の前を通り過ようとしてて、

奥まった映画館の前に煙が立った。館内から客がバラバラと出てきて二階の窓を見上げたら煙が噴き出してる。

僅かな時間だったね、ボンッて響いて壁にヒビが入って黒煙と炎が噴き上がったの。「いやあー火事やっ」って、前の家具屋さんの





おばさんが大声上げてる。逃げ出す客の数は知れてたね。大きな火事ではなかった、2階の映写室から火が出たようだったね。

なんかで見たけど、映画映写用のフィルムってのは燃焼力が強いらしいね。ボンッって爆発音はそれだね?

堺筋を西へ一つ目の角に「味園」って大きなネオンサインの食堂園があってキャバレー「ユニバース」とも銘打ってた。














『1960年(昭和35年)千日前筋大劇横手通り 東方面(堺筋)に向かって撮影』 前方の大きなビルの上に薄く「ユニバース」ってあるね。

「写真勝手にお借りします」








其処を西なりへ進んだところだったと思う。そのまま進むと千日前筋に出る。通りの右側に大阪劇場、「大劇」が在る。

そんな頃の写真を見つけたよ。写真は、向かって逆側から見て、千日前筋から東の堺筋方面を写してる。

写真を撮られた方は、一枚の写真から、ああでもない、こうでもないと記憶を辿って僅かな情報を見つけて探り出されたみたい。














『大阪劇場 大劇で通ってたね』 大劇の敷地内外れに在る「いかがわしい?」お店、バラックみたいな佇まいだね。ネグリジェだって。








手前、大劇の建物の南側が少し写ってる。向こうに「ユニバース」のネオン看板、其の手前のお店の看板から謎を解かれて

納得をいかれたようだね。大劇の筋隣の「木村屋の純喫茶」も写ってるよ。

その通りの向こうに「オリオン座」と「新オリオン座」の看板が写ってたよ。もう、当時を思わせるのはこれだけが名残だね。





掲げてる位置から考えるとサンドイッチマンの人が通りの中程に立って上映映画の客寄せしていたのかも知れない。

此の両館が閉館した時期については不明だね。今となっては、この看板だけが形に残る唯一だね。

映画にせよ、音楽にせよ、その時の記憶に付随して思いが被さって残ってるからね、其の時、その時が記憶の中で生きてるんだね。














『昭和45年(1970年)頃の千日前筋』 通りと筋がごちゃ混ぜになるよ、南北が「筋」だね、「通り」が東西だね。








『カメレオンの独り言-1746 『目にとまった写真で立ち止まってしまったよ』 なんやねん?』 馬鹿らしい題名だね。

此の千日前の写真で足を止めて当時の思い出を語ったように思うけど、もう、忘れてる。「ほんの此の前やろ、覚えとけ」

何を語ったかってことを忘れてる、しかし、その連続があれば思い出すだろ? 「ちょっと危ないんとちゃうか?」 昔からだよ。





ちょっと関連した写真を見つけてね、この当時の千日前筋に在ったお店が判明したので貼り足しておこうと思う。

此れより10年前後になるんだけど1979年(昭和54年)と1982年(昭和57年)だね。

記憶に残る当時の商店街に在ったお店を貼っておこう。其の頃は、もう、他所に移り住んであまり足繁くは立ち寄ることはなかったけどね。
















































こうして見ると「ああ、在ったね」って看板思い出すよ。「喫茶アメリカン」は、いまでも健在なんかね? 何度か入ったよ。
















































家族連れで、心ぶら(心斎橋筋)、戎橋筋、道頓堀通りへ出ると、帰り道で、必ず、立ち寄って天津甘栗を買って貰った。

道頓堀通りでは、平野屋のシュークリーム、フジヤのロールケーキなんてのが土産の定番であったね。

お正月なんか、此処の天津甘栗は欠かせない。住まいだった日本橋筋一丁目からは目と鼻の先だったから、毎度、お使いで買いに行てったよ。































1982年(昭和57年)「たよし」の宣伝は、長い間、放映されてたから10年前と変わらんのんじゃないかね?






























此の千日前筋に在る千日デパートが火災で118人だったかね? 多くの人が亡くなった。1972年(昭和47年)5月13日だったね。

上に貼った商店街の写真の2年後だね。そん時は、堺筋島之内で暮らしてたから野次馬よろしく走って行ったね。

此の慣れ親しんだ繁華街周辺も、最近だけでも、大劇、南街劇場、歌舞伎座、国際劇場、精華小学校なんてのが消えてしまったね。





常日頃、在って当たり前のように過ごしているのに知らぬ間に消えてるって、多かれ少なかれショックらしきものを覚えることがある。

なんの変哲もない毎日だけど世の移り変わり程忙しないものはないね。

街並みも人も知らぬ間に移り変わって往くのが事実なのに、何故か、なんの変哲もない毎日の連続の不思議さだね。




 



























カメレオンの独り言-1766 『題名が浮かばない、もがいてバタ足で蹴ってると来よるどオ~』

2017年02月18日 | 日記





 「 エリザベス・ティラー・リチャード・バートン』 2017年2月18日






3日ほど前だったかな? 深夜、P600出してベランダからお月さんを撮ってみた。でっかく写るね。60倍か、すぐそこだね。

「今宵の月は美しいのう~」なんて云ってた時代には考えられないようなのが目の先で見れる。デジタルカメラで簡単よ。

穴ぼこだらけで写ってる。なんかスイカの枝を切り落としたような芯があるみたい。迷子にならずに変わらず同じとこに浮いてるよ。














『Coolpix P600 f/6.5 1/1000 ISO400 焦点距離516 最大絞り3.5 35ミリ焦点距離1440となってるよ』








今日は、ポカポカと暖かい一日だったね。横っちょのベランダの網戸を開け放ったままパソコンの前に居たけど、いい具合だったよ。

職場で、毎度顔を会わせてた業者さんが「お久しぶりです、〇〇〇〇さん、元気ですか?」って電話をくださった。

生きてるよ。あっははははって笑ってるよ。近況をば報告されてる。「僕も、今度、行き先変わりますんで」 ああ、ほんと?





「3月に入ったら、また、連絡します」 あいよ。3月か、春だね。来月からは、オレも姿を見せることも少なくなるよ。「なんでや?」 

スケジュールが詰まっておるんだよ。「何をすんねん?」 日真名氏飛び出すんだよ。「古~いTVドラマやなあ~昭和30年だろ?」 

7年程続いてたはずだよ。「推理小説ブームを背景に人気を高め70%前後の高視聴率を記録したって、番組が無かったんだろ?」 そうだよ。










『日真名氏飛び出す』 TVドラマ  久松保夫(日真名進介)  高原駿雄(泡手大作)






他に観ようにも此れしか無かったんだろうね。当時は、芝居本番中に台詞は忘れるわ、セットは倒れるわ、なんて日常茶飯事だよ。

ブツブツとか忍び声とか陰から声が出るんだよ。忘れて台詞教えて貰ってんだよ。それでも人気絶大だったんだよ。

中村竹弥が近藤勇やってた「新選組始末記」なんか、謀殺された芹沢鴨を悔やみ隊員が嘆いてるシーンなのに塀を揺らしてドッタンバッタン凄い音。





居並ぶ隊員たちは揺れて倒れてくる土塀を支えて頑張ってんだよ。なのに、子供たちも親たちも笑いつつも我慢して物語に肩入れしてんだよ。











『新選組始末記』 TV時代劇  中村竹弥  戸浦六宏  明智十三郎  金子信雄









『新選組始末記』 TV時代劇  もう写真も此れ2枚だけだよ、こんな馬鹿らしいの誰も観ないよ。






日真名氏飛び出すんだけど話が逸れちゃったね。まあ、いい、前から云ってることを実践してだね、枠を広げると云うことだね。

このまま駄文を書き続けることは、馬鹿を塗りたくるなら可能ではあるけどもオレより先に皆さんが飽きてしまって閑古鳥だよ。

レコードも何度も回してると摺り切れる。だから、外へ出てだね、些細なことでも刺激を受ける機会を広げることだと思うんだね。





その時が、いよいよ来たってことだろうかね? まあ、気楽にだね、見て歩いて絵に撮って外の空気に触れて人を知るってことだよ。
















ニコラス・ケイジ主演!パシフィック・ウォー - 映画予告編










『パシフィック・ウォー』 此の予告編を観て、あれって思った通り、過去、『ジョーズ』の劇中で船長役のロバート・ショーが

この忌々しい悲劇を語るシーンがある。重巡洋艦インディアナポリスは、広島、長崎に投下されることになる原子爆弾の部品及び核物質を

テニアン島へ運搬する任務に従事した後、レイテ島に向かう途中、日本軍伊号潜水艦の魚雷攻撃を受け撃沈される。






1196名の乗組員の内およそ300名が攻撃によって艦上で死亡し海の藻屑となった。インディアナポリスは、その極秘任務上に在り

艦船位置表示システムから除外されていたため付近の艦船に沈没の情報が伝わらなかった。艦を失った900名近い残りの乗組員たちは、

5日後に救助が完了するまで救命艇も無いまま海面に浮かぶこととなった。これは実話なんだね。






『ジョーズ』の劇中で船長役のロバート・ショーが語るサメの恐怖は本当だったんだね。救出される順番を海の中で待つ恐怖を切実に感じるね。



































『パシフィック・ウォー』  ニコラス・ケイジ主演  此の世は愉しい、しかし、それに負けないほどの怖ろしいこともあるみたい。































カメレオンの独り言-1765 『古い写真見てて、あの頃のオレも今のオレも変わってないね?』 それは大変だろ?

2017年02月16日 | 日記






 『ダンケルク』1964年ジャンポール・ベルモンド 東京日比谷 2017年2月16日






遠い昔、其の場に居合わせた訳じゃないのに、何故か記憶とダブさって実際のように消えない風景が在るね。

其れは、ほんの少しの時間差ってのかね、見る角度かな、想像に被さってあたかも実像化されていったものかも知れない。

そんとき確かに自分で見てんだね、其の絵を確かに見たんだね。記憶に残ってる映像そのままに息づいてるように鮮明なんだね。





オレは、何処から見てたのかなあ? なんか、本当に見てたよって思う時がある。此の写真がそれだね、

部分的ではあるけど、実際、其の頃ウロウロしてたから馴染みの場所で、よく記憶に残ってるところだよ。

此の写真を見つけて、オレ、ここから見た感覚が残ってるよって思ったの。阪神デパートの屋上から見下ろしてんだよ。





左に阪急百貨店、右の富国生命ビル、其の間を天神橋筋6丁目に通じる市電の通りが走って、其の前にシネラマOS劇場が在る。

1960年代となってるね。兄貴とウロウロしてた頃だよ。兄貴は、オレと違って外へ出たがりのタイプだったから、よく付き合わされたよ。

デパートへ用もないのにウロウロしてたらご機嫌な奴で長くうろついてるとオレは頭が痛くなって来るんだよ。





当時のデパートの中ってのは、冬場は暖房が利きすぎてフラフラになって気分が悪くなるのを覚えてるよ。

なにが面白いねんって、外へ出て、暫くしないと体調が戻らないんだね。此の時分から世間の人たちは馬鹿どもが多いままなんだよ。

阪神デパートの屋上へも、毎度、付き合ったよ。ギュウギュウ詰めのエレベーターに乗って、こんなので閉じ込め喰らったら死ぬ怖さがあったよ。





屋上への階段上ったらホッとしてんだね。一息ついて生き返るんだよ。そんなころ、此の写真の風景を見た覚えがあるんだね。













『1960年代、大阪梅田 左に阪急百貨店、右の富国生命ビルの下にシネラマOS劇場、凄い描写だね』








その時々に、季節が、そう感じさせるんだろうけど、当時、日本橋筋3丁目の松坂屋は、偶然、頃合いが良かったのかね?

おふくろらと買い物に着いて行っても、ゆったりして落ち着いた雰囲気で人間らしかったよ。

「同じ、梅田の阪神や阪急ってのは人間らしくなかったのか?」 そういうことかね? 館内の空気が良かったのを覚えてる。













『1960年(昭和35年)日本橋筋3丁目の当時の松坂屋』 今は、高島屋別館になってる。








其の当時から金に縁のある奴らが、こぞって買い物に来る沿線ではなかったのかなあ? 

阪急にしても阪神にしても急行、特急を利用する山の手の連中がしゃなりしゃなりと買い物や食事に徘徊しよるんだよ。「徘徊?」

ブタに真珠どもが。「おまえも変わらんね」 喩えだよ、流れる歴史の血を堅持して純潔の伝統を守らねばならん宿命に生きてる。





だから、おかげで日本は守られているんだろうね。有象無象で在ってはいかんものがある。 「おまえは?」 有象無象だよ。

此れでもね、有象無象の中の一匹狼を生きて死ぬ矜持は捨てず此処に在るってのがオレの心意気だよ。

エレベーターに押し込まれて不安を我慢して屋上に上がって新鮮な空気を吸い込んでホッとする、まあ、人生みたいなもんさ。





我慢を覚えるね、生きるってことは我慢と忠実であることが自分だと言い聞かせてるところが狼の正体だね。「そんなんか?」 そうだよ。












『ダッコちゃん 1960年(昭和35年)発売』







人生に多くは望まん。自分を見失わずに生きる、それだけだよ。「寂しいだろ?」 人はひとだよ、オレはオレだよ。

1960年(昭和35年)世はダッコちゃんブームだったね。オレんちも兄弟がそれぞれ買って貰って腕に着けてた頃があったね。

犬のハチ公だったかな? マルだったかな? 兄弟と一緒にほたえまくって牙立てて穴あけて振りたくって、こいつ、もう止まらないんだね。












『1960年(昭和35年)ダッコちゃん発売』









『1960年(昭和35年)ダッコちゃん発売』






ダッコちゃん売り出すのに、なんで街ん中で水着でハイヒールなんだよ。ふつうならおかしいで? いつの時代も馬鹿ばっかしだよ。

「ええではないかいな」 ええではないか、ええではないかで、おかしな奴が溢れて、今の時代だよ。

「なんで、ダッコちゃんなんだよ?」 其処に写真があったからだよ。あっ、そうそう、これもそうだよ、フラフープ。










『当時の子だね、年代打たなくても全体像でうかがえるね』





2年前の1958年(昭和33年)には、フラフープってのが爆発的に売れてブームになったね。オレも腰振って回してたよ。

まあ、こんなのを思い出してたら切りがないね。また、今度だね。














映画『ダンケルク』特報2【HD】2017年9月公開








『ダンケルク』 1964年(昭和39年)のジャンポール・ベルモンド、忘れた頃に新しくなって出て来るんだねえ。
































カメレオンの独り言-1764 『なんでも切りなく現れては、追って追われて消えていく』

2017年02月14日 | 日記





 2017年2月14日






価格コムで毎日のように各メーカーの液晶大画面のテレビに目を通しているけど、何故か、いまいち食指が動かないんだね。

大型モニターにパソコンを繋いで作業してるのが性に合ってるんだけど、ホントは、至って頼りないんだけどね。 

識ってる範囲で遊んで満足してる。で、価格コムの製品情報に目を通して、ああ、タイミングがいいねえって興奮してる。





なんで、今、I-ODATAの49インチなんてのが出るの? オレに合わせてるの? お誂え向きではないか。

大方50サイズの4Kだって。値段が10万切る価格でこの2月下旬から売り出しになってる。

心強いね、選択肢が増えたよ。50インチ、机に置くにしても質量12キロって軽い。突っ張り棒なんか要らないね。





お値ごろになってから買ってもいい訳だから慌てなくてもいい。いろいろ調べて、結果、8万円台程度に落ちたら買いだね。












『I-ODATA 4K対応49型(可視領域48.5型) ワイド液晶ディスプレ LCD-M4K491XDB』







雪雲かな? 昼頃までお日さん照って寒くなかったのにどんより空を覆って、雪かな? 小雨に混じって降ってるみたい?

カメラを弄り回して手に馴染ませる癖を身に着けてんだけど、少しは解ってきたかな?

SONY Cyber-shot、滅多に使わないから何処か接触悪くなったみたい? バッテリー充電しても目盛りが上らないね?





充電器がおかしいのかなと接触部分をバッテリー入れ差し繰り返してる。コノコノコノコノコノコノって当てもないけど試してる。

接触不良だね。 「ホンマかいな?」 もう一度、充電しておこう。真っ新(さら)なままなのに壊れるなよ、ホンマあ。

今ね、一眼レフもP-600もマニュアルしか使わないでいるの。オートは素人だよ。「おまえが、よく云うね」 云うのはタダだよ。





今ね、機能なんて理屈じゃないんだよ、身体で覚えている真っ最中だよ。今までは、カメラを置くときソロ~っとだったけど

今じゃ、コトッだよ。「ガタンッじゃないのか?」 馬鹿め、キズ付く手前だよ、置き場所に擦れない範囲でコトッだよ。

「プロはガタンッだよ」 ハッ、ハッ、なんて、その都度、ドッキンすんかよ? 「レンズ転がして慣れろ」 転がした先を考えてしまう。





「なんでも一発喰らったらお初じゃなくなるだろ?」 まあ、そういえばそうかもね。「どつかれ強くなるんだよ」













『ブルブルしてるな? 面倒がらずに三脚立てろ』 カメラ、手に馴染ませている最中だから細かいこと云わんといて。







崩れかけたら持ち直して晴れてるね。冬の寒さの底が過ぎたら春の気配となるんだろうけど、もう少しの我慢だね。

なんでもかんでも撮りまくったる。パチパチパチパチパチパチパチパチパチだよ。

カシャカシャカシャカシャカシャカシャだよ。ブログに貼る写真を自家製造だよ。カシャカシャカシャカシャカシャカシャだよ。





コンパクトフラッシュのレキサーメディア LCF64GCRBJPR1066 [64GB]¥7,598 買っておこうか? 

「実際、撮り出してからでいいのではないか?」 いやいや、長い間、ちょろ、ちょろと写す程度だったからコンパクトフラッシュの

容量なんか忘れていたよ、4GBだよ、子供じゃないか。今は、32~128GBが当たり前みたいだよ。笑ってしまうよ。





「おまえの場合は、64MBでいいのではないか?」 恰好がつかんだろお~。「こいつはあかんわ」

それはそうと、ボロのアクオスを綺麗にピカピカに掃除して120センチの机に映画用として置いてんだけど、やっぱり邪魔だね。

もう、写りも良くないし、時代遅れだし、見てくれ悪いし、スカッとした長尺の机の快適さが損なわれてしまったよ。





この長い年月、液晶アクオスの37型は馬鹿番組に汚染されまくって新鮮味が全く感じられないよ。映画だけでいいんだよ。

















I-ODATAの49型。 今使ってる同じ27型のモニターも映りが良くて気に入ってる。

テレビジョンじゃなくて4Kの49型モニターを買うべきだろうね。何処がどう違ってるのか難しいことは解らんけど、しっくりくるんだね。

ブルーレイレコーダー(プレイヤーでいいけどね)、備え付けのサウンドバー(大仰なのは要らん)揃えれば出来上がりだよ。





これに、DELLのi5の本体を、もう一丁買っておけば、尚、安心だね。「そいでええのんか?」 う~ん、解らん。
















『1957年(昭和32年)大阪道頓堀 戎橋から東方面 相生橋が見える。左岸、サンスター、カルピス(ピス)など看板が見える』











『1960年代 大阪道頓堀となってるけど、上とほぼ同時期に撮った写真じゃないかね? 上の看板も変わらずに在る』










『1960年代 大阪道頓堀 同じ時期だね、御堂筋手前から道頓堀川を東方面を望む』































カメレオンの独り言-1763 『映画 柘榴(ざくろ)坂の仇討ち』 うん、日本人の映画だね。

2017年02月12日 | 日記






 『柘榴坂の仇討ち』 2017年2月12日







此の2~3日、立て続けに時代劇を見続けていたよ。同じ映画だけどね、何故か、感性に合うのかして独り感動しておったね。

為さねばならぬ自分に忠実なるところが、何故か似てるって感じてるんだね。

人生の長い道のり、辻褄の合わぬことに付き合って流れるように生きて、其の年月を無為に潰して、ただ、生き続けて年を喰う。





オレの人生は、そんな当てのない生き方しか出来なかった癖して泣き言は云わぬと明日を信じて生きている。

切り替える、思い直す、踏み越えるってことが出来なかっただけなんだろうね? 変わらぬままに生きているって感じだね。

生きる価値とはなんだろうかね? 人は、語り合って話し合って他を知って自分に気づく、縁ある人々に恵まれて在るのかも知れんね?





貝の口を結んで言葉を殺して自分を騙す。無責任な言動は我が身の隠れ蓑、根に蠢(うごめ)く己は何者なんだろうかね?

大した中身ではないけれど、もうちと、まともに頭の働く男で生きたかったなあって思ったりするんだね。

自分を知らぬままに、ただただ生き長らえただけの自分じゃなかったかねえ? 思えば、迷子の道を彷徨う自分を見るようだよ。





人生を捨てる、自分を捨てる、そんな生き様を見ていると、為さねばならぬ道は捨ててこそ生きる道へと重なりて続いて在るものらしい。













『柘榴坂の仇討ち』   中井貴一  阿部寛  広末涼子







「おまえは拾うことが出来るか?」 拾わねば捨てることになる。ここまで来たら、もう、どちらでもいい。

道は、然程を残さずして向こう先も見えてきたようだよ。腐ったような種をば路傍の土肥やしにでもなればよし、パッパラッパと撒く。

「あかんでえ」 雨が降り、風が吹き、鳥たちがついばみ、運が良ければ、それらが運び招いて土に馴染んで根を育むこともあるだろ?


















まあ、そんなことを考えながらだね、以前にも、ほんの少し紹介した映画 『柘榴坂(ざくろざか)の仇討ち』を書き足しておこうか。

映画は、二度、三度、観て納得する作品があるね。でも、何度見ても箸にも棒にかからん大根が混じっておるねえ。「誰や?」

云わんでもええ。「大物か?」 大柄だよ。「大柄で小物か?」 具体的に云わんでもええ。「帽子被っとるな?」 云うな。


















浅田次郎による短編集『五郎治殿御始末』(ごろうじどのおしまつ)を映画化、彦根藩の下級武士 志村金吾(中井貴一)は、

安政7年の桜田門外の襲撃騒動の際、藩主である大老井伊直弼籠周り近習役の立場から外れて直訴を装う襲撃者を追うことに気を取られたが為、

その間に手勢(てぜい)の刺客が行列を襲い井伊大老を暗殺せしめた。取って返したその時には全ては終わっていた。





家中随一の剣術の腕を認められ、藩主である大老井伊直弼の近習に取り立てられた志村金吾ではあったが大失態の結末に切腹を願い出る。

彦根藩は、此の始末、金吾の罪を背負い自害した両親に免じて打ち首を取り下げ、

その代わりとして襲撃の刺客、水戸浪士たちを討ち、「直弼様の墓前に首を供えよ」と命じるんだね。
















仇を探し全国を歩き回る金吾だったが、潜伏する水戸浪士たちは見つからず金吾は切腹を願い出るが「ご下命の撤回はない」と家老に言い渡される。

失意に沈む金吾だったが、妻のセツ(広末涼子)に支えられ仇討のため水戸浪士たちを探し続ける。

この広末涼子演じる妻のセツなんだけど時代劇のスタイルを越えない控えめなのがいいね。多く語らず静に徹してる。
















中井貴一は、時代劇で役者ができる数少ない人だね。台詞まわし、姿勢、所作等、抜かりのない芸達者だね。

時間を贅沢にとった台詞のやり取り、一語一語が胸に響き染み入る重みと優しさを感じさせて絶妙だね。

桜田騒動から13年が過ぎた明治6年。既に彦根藩は存在せず新政府の改革により武士も姿を消して時代は大きく変わっていたんだね。





過ぎ去る年月とともに桜田騒動に関わった水戸浪士たちも捕縛されて刑場の露と消えた者など次々と死んでいき、残るは、唯々ひとり。

或る日、志村金吾(中井貴一)は、偶然に司法省の役人となっていた金吾の親友(大柄で嵩高くて大きな顔の額の狭い男)と出会う。

「誰やねん? 特徴が増えとおるではないか」 そうか、忘れてたので追加したんだよ。「そいつは誰やねん?」





此の映画の一番馬鹿らしい演出のシーンだよ。町ん中で侍崩れが恥かかされてんだね。やくざたちが虐めて「金返せっ」なんて責め立ててる。 

「義を見てせざるは勇無きなり」なんて昔の元侍どもが加勢するんだけど安もん臭くて見てられないよ。

どこから引っ張ってきた役者どもや? お笑いのタレントか? そんな中に大柄で嵩高くて大きな顔の額の狭い男も居るわけだよ。
















そいつが金吾に、刺客の生き残りの一人について知っている元評定所御留役の秋元警部(藤竜也)との面会の手筈を図ってくれるんだね。

その宅に訪れた金吾は、秋元警部(藤竜也)と対面してことの経過を聞き及び、何故、この場になって其の者を庇いなされるか?

「水戸の浪士どもは、誰も彼も覚悟の上、潔し最後だった」 打ち首にせぬは何故でござりまするかっ? 「無頼の徒ではない、国士ぞ」


















やおら、金吾は刀を左手(ゆんで)に持ち替えるや鯉口切り込む姿勢で秋元に片膝進みたつ。「わしを斬るかっ?」

はたと我を鎮めて身を引いて下がる。「井伊直弼も安政の大獄にて多くの者を斬った、ともに国を案じてのことではないか?」

「国を想う者に不当な処罰を与えれば、誰も国を想わなくなる」という諭し聞かせるふうなりの秋元警部。





「命懸けで国を想う者を無下にするな」という井伊直弼の言葉と重ね合わせつつ女々しくも直弼の人となりに涙する金吾に「もう、云うなっ」 

庭に降り積もる雪の中、寒椿の花が凍えるように静かに咲いている。秋元警部(藤竜也)は、縁側から火鉢の前まで歩み寄り来て

実直な金吾に 「お主は、忠義者よのう」 藤竜也も歳を喰って丸くなったね。










『柘榴坂の仇討』予告編


























雪舞い散る駅舎の前で仇討ち禁止令の記事が載る瓦版を読む車夫、被る編み笠を遮って闇が動く。目の前に侍が立っている。

「おっと、どちらまで?」 「雪景色と云えば、やはり、桜田御門であろうな?」 「この雪では坂は登れません、勘弁してやっておくんなさい」

「さようか、某も桜田御門の雪景色など、もう二度とは見とうはない」 片膝立てて身を屈め正して車夫が待っている。「笠を上げては貰えぬか?」





編み笠を上げて顔を見せる・・・・「お乗りくださいやし、雪見、お伴致しやしょう」 「そうか、無礼をいたす」と車に乗る。                

夜の町を人力車が走り出す、此の夜の町内を走る風景がいいね。長い町内を走り写すことは無理があるから工夫がされてるね。

「名を尋ねたい」 「直吉と申しやす」 「車を引く前の名を尋ねたい」 「佐橋十兵衛と云いやす」 「世間の目をくらませたつもりか?」


















暗闇に提灯の灯りが沁み入るような白く染まった坂道を一歩、一歩と登りゆく。「此の坂は?」 「柘榴坂、でござんす」

「此れを行くと久留米の有馬様のお屋敷、其の先は備前中津藩の奥平様で」 「ほおう、詳しいのう」

「此の辺りは・・死に遅れた場所なもんで・・・」 互いが発する言葉の重みが沁み出るように流れて、「参りやす」


















見応えのあるシーンだね。一歩、一歩と登りゆく雪坂の上に昔のおのれの姿が浮かび出る。

槍を奪い返され深手を負って雪の中、鮮血に塗れる手は脇差を抜くもおぼつかず腹切るはかなわず切っ先は地に転び落ちる。

直吉こと佐橋十兵衛(阿部寛)の胸中や如何に、13年の年月は、鮮血に染まった雪の中に凍えるように残るんだね。





坂を上がった辺りで 「もう、良い、止めて貰おう」 こと此処に至れば致し方なし、「其処元のご心中(?)頭が下がり申す」

  注ー、「其処元のご心中(?)頭が下がり申す」って、どうしても聞き取れないんだね、なんて云ったのかね?

      心術(しんじゅつ)心の持ち方、精神の働き 心宿(しんじゅく)思い遣り、情趣を解する心、なんて云ったのかね?





佐橋十兵衛(阿部寛)は、雪の中に座して覚悟を決めて 「存分に本懐を叶えられよ」と金吾を見る。

振り向きなおって 「立ち会わぬのか?」 「刀は、とうに捨てました」 「そうか、此れをお使いなされい」と大刀を目の前に置く。





「其処元は、脇差で戦いなされた」 「よう、覚えておいでじゃ」 金吾は、路傍の石の上に支度を置き振り返る。 

「お名前をお聞かせ願えぬか?」 身を正して正座する十兵衛に対し、

「志村金吾と申す、掃部頭(かもんのかみ)さま、ご災難の折には、御籠(おかご)周り近習を相勤めおりもうした」
















間の取りようが至って素晴らしいね。互いが鞘を払って、真剣が凍てつくしじまの空気をスパッと切り裂くような緊張感だね。

剣戟(けんげき)相応に一撃、二撃と刃(やいば)を交わして鍔迫り合い、渾身の一撃躱して金吾の脇差が十兵衛の懐に入って切っ先が立つ。

「何故、斬らぬ?」 腹から首筋に入って刃が止まる。勝負はあった、「御免っ」十兵衛が身を引いておのが大刀で自刃を図る。














  



体当たりして互いが転び大刀が飛ぶ、「勝手は、許さんっ」 13年に及ぶ長い年月が二人の肩にのっている。

「死に場所を見つけたり、斬ってくだされっ」 金吾の躊躇に 「彦根侍は親の仇もとれぬのかっ」 ぐっと金吾が脇差振りかぶる。

降り積もる雪の中、凍えるように静かに咲く寒椿の花が、この身が尽きるまで懸命に生きよと直弼の言葉が教えるんだね。





終わりにしたい、互いが父母を犠牲にして家禄はお預けの身となって辛酸なる日々、時代は変わって廃藩置県、全国の藩は無くなり

幻の如く彦根藩も消えた。忠義とは?脈絡にしがみつく生き様に疑問も湧く。二人に残るは、人と在りて生きる道と識る。





脇差を鞘に納め置き、「佐橋殿、時代は、時代は、確かに変わった。だが、武士を捨てることはない、その心を持ったまま

此の垣根を越えてはくれまいか?」 生きるも死ぬもやんぬる思いの十兵衛に金吾は生きる筋道諭し聞かせて 

「生きてはくれまいか?」 十兵衛の頬から涙が零れ落ちる。其の道筋に沿うて 「わしも、そうするゆえ」
























日本の時代劇は腐ってはおらんかったね。





佐橋十兵衛役の阿部寛は悪くはないけど、中井貴一と比べたら、まだまだ、修行が足らんね。「そんなこと偉そうによく云うね」

まあ、見様見真似の域を越えないところ、この境目辺りで苦しむんだろうね、垣根を越えていい役者になって欲しいね。

時代劇を腹で演じる役者は少ない。中井貴一も1981年の 『連合艦隊』から36年か、大した役者になったね。









出発 - Joe Hisaishi 久石 譲 - 柘榴坂の仇討 オリジナル・サウンドトラック




























『1526回 柘榴坂の仇討ち』でも、ほんの少しラストだけ書いてるね。

しつこい風邪で、此の2~3日鼻水祟って鬱陶しい。治ったっと思ってたんだけど、おかげで、この映画、何度、繰り返し観たかね?

なかなか、いい映画だね。鼻をグズグズ鳴らして余計に頭が回らん、抜けているところも多々あるね、また、後で書き足そう。
































カメレオンの独り言