君たちには明日ない
垣根涼介
新潮文庫
を読み終えた。
だいぶ前、隣のスーパーの本棚
に「大人の時間」なんて書かれた
帯びのついた本が、何冊か並ん
で陳列されていた。
気に入った作家の時代ものの小
説を読み尽くしていたので、な
んとなく気が向いた。「大人の
時間」という文字に惹かれたか
もしれぬ。
この本は、シリーズになって4
冊であるが、面白くて、完読し
てしまった。
その感想を書きたいと思ったの
だが、本の解説にいい文章があ
ったので、それを紹介したい。
わたしを魅了した要点を、書き
切ったように思えるからだ。
書いていたのは、藤田節子氏で
ある。
長い引用は気になるが、藤田氏
と垣根氏の宣伝になると思って
容赦してもらいたい。
一つは言葉選びの適確さだ。
一見文学的な紋切型表現はどこ
にもなく、事物や現象を正確に
記述する独自の言語感覚と語彙
の豊富さが感じられる。だから
こそ、体言止め、短文改行、助
詞抜け等々の禁じ手が、作品と
しての格調を落とすことなく、
リズム感とスピード感を作り出
し、物語を疾走させていく。
二つ目は、作家としての物の
捉え方、描き方についてだ。効
率優先の社会はいかん、グロー
バリズムはけしがらん、リスト
ラに名を借りた不当解雇は許さ
ん、で小説は成立しない。リス
トラ業務(本来のリストラクチ
ャリング-再構築-ではなく、
ただの首切り)をアウトソーシ
ングするという企業倫理も何も
あったものではない世界で、汚
れ仕事の最前線に立つ社員の話
を、何とも前向きな物語に仕立
て上げるということ自体が、作
家としての体力のいる事である。
読者からは、不謹慎、現実の深
刻さを認識していない、という
非難も飛んでくるだろうに、い
い度胸をしている。
何より主人公は、ドラマやマ
ンガのように、実はどこかの大
物と繋がりがあったり、特命課
長であったりというスーパーマ
ンではない。ただの社員であり、
たかが社員であり、その動きも
できることも限定されている。
その中でどうやって、小説に仕
立て上げようというのか? そ
れが小説になっている。しかも
主人公の本来の業務の範囲内で。
主人公だけではない。登場する
他の社員についても、組織の中
で仕事を通して、上司と対立し
たり、部下を陥れたり、サラリ
ーマン人生から転落したり、新
しい道を切り開いたりしていく。
決して心理的、情緒的なものを
ストーリーの推進部分に使って
逃げを打つということをしてい
ない。既存の多くのビジネス小
説、企業小説が、肝心なところ
に来ると、背広を着た時代小説
のように、情緒的な結着をつけ
るのと対照的だ」
長くなるのでここまでにして
おく。
主人公、真介は、企業の人事
部からリストラ業務を請け負う
会社、「日本ヒューマンリアク
ト」の社員で、この連作短篇で
は毎回、業種も会社も異なる様
々なリストラ対象者が登場する。
さてこの話の前提となってい
るリストラ業務請負会社だが、
そもそもそんな会社があるのか、
という疑問を持たれる読者もい
るだろう。
少なくとも私は聞いたことが
ない。ヘッドハンティングを装
い、だまし討ちのような形で、
自己都合退職に追い込む組織は
あるが、あくまで一種の犯罪行
為であって、表立って、そうし
た看板を掲げてはいない。
設定部分でいかに大嘘をつく
か。それが小説の面白を決定す
る。しかし嘘が大きければ大き
いほど、細部のリアリティーの
積み重ねが重要になる。
「資本金一千五百万 従業員十
五名 主要取引先 トヨハツ自
動車 香嶋建設 ニショナル
真潮社(!?)……」
「日本ヒューマンリアクト」が
乗り出しだのは、典型的な隙間
産業だ。
〝いかがわしい名前の、さらに
いかがわしい顔つきの首切り職
業集団〟
あり得ないが、あっても不思
議はない、もしあったら、どん
なことが起きるだろう。
以上。
藤田節子氏の解説の文章である。
人の褌で相撲をとるのもなんだ
が、素人の下手くそな文章にた
よるより、プロの力を借りた方
が、私の感想を十分に伝えるこ
とができる。
この本についた帯びに書かれて
いる文章は、こうである。
おとなの時間
天国にひとりでいたら、これよ
り大きな苦痛はあるまい。
―ゲーテ
本当は、どんな仕事がしたいの
か。
リストラ請負人が、あなたの心
に問いかける。
山本周五郎賞受賞
全ての働き人に捧ぐお仕事小説!
就活生、天活生に読まれていま
す!!
である。
私は、小説の時代設定が、現代で
ある作品は、私の日常に突き刺さ
るものがあって、辛いので30年
以上、避けてきた。しかし、今回
読み始めると、作品に引き込まれ
て、シリーズ作品4冊を一気に読
んでしまった。
驚いている。
私としては、まずは大学生の必
修教養本として薦めたいのだが。