数日前のことだ。
You Tubeで遊んでいたら、偶然にも
ミッチ・ミラー合唱団という懐かしい
名前に、出くわした。
おそらく、私達の世代で、音楽好
きだった人の中には、覚えのある
名前ではなかろうか。
若い時に、聴いた時は、この歌声
は、大味に思えて、それほど興味
をひくことはなかったのだが、今
聴いてみると、懐かしくも好感が
持てて不思議である。
ネットで調べると、日本では60
年代に流行ったようだ。
ちなみに、1960年には、私は
11歳だ。
もっとも、わたしが聴いたのは、
高校生の頃からではなかろうか。
正確なことは、記憶にない。
私たちの若い頃をふり返ると、
大味と思われたミッチ・ミラー合
唱団に同情の余地はあるなと、今に
なると思うところもある。
それというのも、私が中学校の頃、
何かの行事の時に、エルビスプレ
スリーを踊る女生徒がいたし、
中学校3年生には、「高校3年生」
の歌がヒットし、高校に入ると、
後に教育長になった同級生がベン
チャーズのコピーをして、高校の
中庭で演奏をしていた。私もペレス
プラード楽団に熱中したし、人に
よって、ビートルズに凝ったり、
PPMの反戦歌に夢中になっている
人もいただろう。
だから、男声合唱団というどち
らかというと、モノトーン的な
響きでは、聴き映えとして、ハ
ンディがあったろう。
そういうことで、彼らの音楽を
大味と感じたかもしれぬ。
最初の歌のアニーローリーは
良く歌った。懐かしいものだ。
ところで、「蛍の光」が、英語
で歌われているのは、驚きだ。
これは、私の勉強不足である。
残念ながら。
それはさておき、英語で歌わ
れているのに、切々と迫るの
は、どういうことだろう。
まずテンポが好ましく感じら
れる。ゆったりとした心地よ
い速さである。
その晴れがましくも、決然と
歌う様は、雄々しさと凛々し
さに満ち、若干の哀愁を感じ
させながらも、胸に迫るもの
がある。歌が終わると同時に、
ひれ伏したくなる余韻はなん
だろう。
未来は、希望に満ち、時がく
れば、各々にそれなりの幸せ
を約束してくれるような気が
した遠い昔が脳裏に蘇る。
過去が良かったというのは、
大きな勘違いである。という
のは、良く言われてことであ
る。
であるにしても、未来に希望
が持てなくなった時、ふり返
ると眩しく輝く時間があり、
思い返しては、甘美な時間に
遊べるのは、それはそれとし
て、贅沢なことではなかろう
か。
わたしたちの世代までは、卒
業式で歌ったはずだ。
又、船の出航の際には、BGMと
して、流れることが多かったと
記憶にある。
このような心持ちを、歌えた
時代があった。共有できた時
代があった。今、何かしらに
感謝したい思いだ。
今となっては、得難い貴重な
経験であり、財産だろう。
今の時代には、忘れられた。
いや、今の若者には感じよう
もない情趣だろう。
なんとも、贅沢なことだ。
追記
次のことが、ネットにあった。
スコットランドの「オールド・
ラング・サイン」(Auld Lang
Syne)が「蛍の光」の原曲