森博嗣氏は、言った。
生活から無駄なものを切り捨てていくと、最後に残るのは
何だと思いますか?」
「無駄でないもの。君自身が残ることを祈る」
以上。
この文章を読んで、何かしら、説得力を感ずる。
ところで、時にこのようなことを考え込むことが
あるのだが、そのような時に限って、自分の存在
って、何の意味があるんだろう?なんて、考える
のである。
若い頃は、考え込むと、自分自身に意味があるか
どうか、自分でも分からなくなってくるので、
いっそのこと、なんて思ったりもしたが、死ぬ勇気
は無かったし、「生」に何かしら未練が残ってたり
して有耶無耶にし続けてきた。
この歳になると、自分の「生」に、本当に意味があるか
なんて、考えると、自分自身の「生」に意味づけしよう
にも、手の打ちようがないというのが正直なところだ。
時すでに遅しか?
無駄でないものと言い切るには、確信が持てないし、
無駄であるというには、ちょっと寂しすぎる。
新聞の社会面の不幸な人生の記事を見て思うに、年金を
取れる生活に辿り着けたのは、せめてもの、救いかも知
れないなんて、かってに、自己弁護している?
パロディーだが、「階前梧葉已秋声 未覚池塘春草夢」?
の気分でいたのだが。
生活から無駄なものを切り捨てていくと、最後に残るのは
何だと思いますか?」
「無駄でないもの。君自身が残ることを祈る」
以上。
この文章を読んで、何かしら、説得力を感ずる。
ところで、時にこのようなことを考え込むことが
あるのだが、そのような時に限って、自分の存在
って、何の意味があるんだろう?なんて、考える
のである。
若い頃は、考え込むと、自分自身に意味があるか
どうか、自分でも分からなくなってくるので、
いっそのこと、なんて思ったりもしたが、死ぬ勇気
は無かったし、「生」に何かしら未練が残ってたり
して有耶無耶にし続けてきた。
この歳になると、自分の「生」に、本当に意味があるか
なんて、考えると、自分自身の「生」に意味づけしよう
にも、手の打ちようがないというのが正直なところだ。
時すでに遅しか?
無駄でないものと言い切るには、確信が持てないし、
無駄であるというには、ちょっと寂しすぎる。
新聞の社会面の不幸な人生の記事を見て思うに、年金を
取れる生活に辿り着けたのは、せめてもの、救いかも知
れないなんて、かってに、自己弁護している?
パロディーだが、「階前梧葉已秋声 未覚池塘春草夢」?
の気分でいたのだが。