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リタイアーのよもやま話

歴史学は、なぜか「異常な人間」ばかり扱っている

2011-07-18 23:02:37 | 歴史

人生は五十からでも変えられる

新しいことを始めるのに、遅すぎることはない

外科医 平岩正樹

海竜社


にあった話である。

 

 

歴史学は、なぜか「異常な人間」ばかり扱っている


「面白い講義」が皆無だったわけではない。

たとえば深沢克己教授の「史学概論」だ。史学概論とは歴史学の
歴史である。

私は歴史学に興味があって今回専攻したものの、大学受験の歴史
が不満でならなかった。

東大の入試は、例外的にまっとうである。

 多くの大学の入試問題は「○年に◇が△した」を覚えることを
要求するばかりなのだ。

日本史で言えば、それはまるで「天皇と将軍と総理大臣」の歴史
だ。
どうしてこれで日本の歴史と言えるのか。

 たとえば人間ではなく、ライオンのことを調べたいとする。
一頭のいちばん大きなライオンだけを選んで、その行動を調べて
「これがライオンだ」と言えるだろうか。

あるいは、いちばん強そうなライオンー頭を調べて「これがライ
オンだ」と言えるだろうか。

それは、いわば異常なライオンだ。でも、私たちが知りたいのは
まず、正常な普通のライオンである。

「医学は異常を調べるのではないか」と言われても、先にも
書いたように、医学教育でもまず、正常な人間を知ることか
ら始まる。

正常な人間がわかるから、初めて異常な人間(病人)もわかる
のだ。

文系科目のいろんなところに、アリストテレスが出てくる。

彼はそれほどに時代を超えた偉大な人なのだろう。でも、何か
おかしい。

アリストテレスは、古代ギリシア人として明らかに「3シグマ
(平均的な人から見て0.3パーセントもいないごく稀な人物、
平均からシグマつまり標準偏差の三倍離れていること)」の
頭脳をもっている。

でも、なぜそんな異常な人間の異常な考えばかりに注目する
のか。

 数学のような証明問題なら、たとえ3シグマの異常な研究者で
あっても、正しいものは正しいと受け入れるしかない。

しかし、いろいろな考え方、あるいは人生の意味、社会の意味と
なると、異常な人間の異常な考え方も考慮してよいとは思うが、
先に知りたいのは正常な、つまり、平均的な古代ギリシアの
人々の考え方だ。

問題は人類の長い歴史の中で、文字を操って記録を残す人も、
そもそも、3シグマに属していたことだ。

最古の歴史家ヘロドトスも司馬遷もよ〝3シグマ人間〟なのだ。

3シグマの人問は同類である3シグマの人間に強い関心を示し、
3シグマの視点から歴史を観察している。

ところが普通の人は記録を残さない。普通の人を、普通の人から
観察した記録もない。

普通の人が文字を操るようになって、まだ百年もたっていない
からだ(だから凡人の落書きは非常に面白い。ポンペイはベス
ビオス火山の噴火で一瞬のうちに埋もれた都市だが、ボンペイ
に残る落書きは二千年の時間の差を感じさせない)。

文系の学者の多くは、残念ながら普の3シグマの人たちが残した
記録しか研究の対象にできない。

そしてしばしば、それが3シグマであることを忘れ、3シグマ=
人間と勘違いし、人文科学と名乗っている。

でもそれは、本当は、〝3シグマ人文科学〟なのだ。「3シグマに
よる、3シグマのための、3シグマ科学」なのだ。

 私が知りたいのは、異常な人間たちの歴史ではない。平凡な普通の
人間の歴史だ。

なぜか文系の人たちは、特殊なものに注目するのが犬好きだ。

それでは人間を本当に理解はできないだろう。普通の人間の中にこそ、
人間の性質があり、人間の歴史がある。

高校の歴史は、異常な人間、つまり目立つ人間の歴史ばかりに注目
する。

それは偏った人間の理解であり、偏った歴史学である。

今の日本社会を見ていて、総理大臣が歴史に特別に関わっているとは
とても思えない。

毎年のようにコロコロ変わっている総理大臣の名前を、百年後の
高校生は近代日本史の「超難問」として覚えさせられるのだろうか。

 私は普通の人の歴史を知りたいと思うのだが、ここに大きな問題
がある。

先にも書いたように、普通の人は歴史を書いて残さないのだ。

有史以来長い間、文字を独占していたのは特殊な人たちだ。だから
歴史のほとんどは、特殊な人たちが眺めた特殊な世界像である。

考古学が歴史学に変わる瞬間、普通の人間の学問が異常な人間の
学問に変わる。

平安時代、数パーセントしかいなかった貴族が何を考えていた
よりも、90パーセントの人々が何を考えていたかに、私は興味
がある。

実は貴族のことなど、人数からして、歴史から切り捨ててもよい
くらいなのだ。

理系の発想かもしれない。でも歴史の教科書は、逆にほとんど
貴族のことしか伝えない。

貴族の歴史は日本の歴史ではないのだ。

日本のような農耕社会の農民は、ずっと二種類の〝寄生虫〟に悩ま
され続けてきた。

一種類は土の中にいる。医学が対象にする寄生虫だ。もう一種類は
地上にいて、農民の余剰作物を搾取する。征服者だ。

その征服者たちが自分勝手な歴史を書き残している。

それは征服者から見た偏った歴史であって、とても人間の歴史とは
言い難い。

生徒はみんな、征服者になったつもりで歴史を学んでいるが、ほとん
どの人間の先祖は庶民である。


以上。


平岩氏は、1953年生まれである。

東京大学工学部物理工学科を卒業し、再度東大に入学し、医学部を
卒業している。
そして、53歳にして、三度目、東大に入学し、文学部東洋史学科を
卒業している。

わたしなどが、一生かかって、一度も入学し得ない東大に、3回も
入学した頭脳は、羨望のまとである。

このようなプロフィール持ち主から、マルクス主義にでも、かぶれた
ことがあるような歴史観を語られるとは、思わなかった。

歴史は、権力者の歴史である。というのは、時折耳にすることである
が、そのうちに忘れてしまう。


ところで、若いころは、考えたこともなかったが。

歴史であげられる有名人が、あまり幸せな人生でなかったことに
気づくようになった。

織田信長は、非業の死を遂げる。あんなに有名になっても、あれでは、
引き合わない。と、凡愚は思うのだが。

彼をあそこまで、登り詰めさせたものが、彼を自身を滅ぼしている。
なんという皮肉だ。

彼が、野望の達成を目前にして、部下に裏切られ、命を絶たれる
状況にあって、どのような思いをしたかが、興味深く思われる。

「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻 の如くなり。
ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか。」という歌を
好んだが、人生をそのように思うから、生き急いだのか。

自分に対しても、部下に対しても、いわゆる「成果主義」で
生きて、その結果の死でもある。

彼は、自分の人生を、死を納得したのだろうか?

「おもしろきこともなき世をおもしろく」は、高杉晋作の
辞世の句だったが、

信長、あの時代を「おもしろくなった世を、おもしろく」生きようと
したのだろうか。そして、できたのだろうか?

彼の死は、死で、自分の人生に満足したのだろうか。取り敢えず
ここまでは来れたと。

どうだろう。


豊臣秀吉、天下統一をしたものの、自分の死後のことで、多くの
憂いを残して、死んでいったであろうと思っている。

徳川家康にとって変わられることを、気に病んでいたであろう。

「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」 と
歌ったが、自分の子孫の安泰が約束されない憂いに、苛まれたに、
違いない。

となると、歴史に残ったものの、必ずしも幸せでなかったのかも
しれない。その寂寥感たるもの、どれほどのものであったか。

もしかしたら、百姓のままの人生のほうが、幸せだったかも。


最後に残った徳川家康、彼は若いころ、人質生活をして暮らして
きた。

この不幸の上に、彼の人生が成立している。

確かに戦国の時代を生き延び、天下統一し、幕府を開いたのだが、
多くの権謀術数を駆使して、生きてきたはずだ。

彼は、どのような思いで、老後を過ごしたのだろう。
心安んじて、過ごすことができたろうか。

決して、幸せだったとは、勝手ながら思えないのだ。

とかなんとか、考えたりすると、いったい、誰が、幸せな人生を
おくったのだと、問いかけたくなってくるのだ。

しかし、歴史に残るような人で、人生を万々歳で、終わらしめる
ことができた人、なかなか捜し当てることができない。

ということで、庶民は?ということになるが、それは、記録に
残らない。知りようがないのだ。

すごく残念である。

平岩氏は、こう言っている。

ところが普通の人は記録を残さない。普通の人を、普通の人から
観察した記録もない。

普通の人が文字を操るようになって、まだ百年もたっていない
からだ。

である。

が、幸運かどうかは、分からないが、誰でも、ブログで、記録を
残せる時代になってきた。

もしかすると、数少ない幸せな庶民が、見出せる時がくるかも
しれない。

 


さらに、彼の文章を読んで、肯いてしまう箇所があった

以下、その抜粋である。


アリストテレスは、古代ギリシア人として明らかに「3シグマ
(平均的な人から見て0.3パーセントもいないごく稀な人物、
平均からシグマつまり標準偏差の三倍離れていること)」の
頭脳をもっている。

でも、なぜそんな異常な人間の異常な考えばかりに注目する
のか。

以上。


実は、この箇所を読んでいて、自分の心の中で、もやもやして
いたものが、見えだした。


平均的な人から見て0.3パーセントもいないごく稀な人物で
あるアリストテレスが、学校教育を通して、ややもすると、
ギリシャの平均値であるかのように受け止められ、その存在
が向かう目標の一つでもあるかのようなイメージを抱かされて
いる。

よく、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康等の特集が、サラリーマン
の啓発本に取り上げられる。

「一流になりたかったら、一流の人たちがいるところに行けばいい」
なんて、言うから。

すこしでも、自分ののびしろを生かそうと努力したくなるので、その
ような啓発本も読み出すのだが、身の程をわきまえない野心を抱いて
懊悩するという喜劇を生じてしまう。


平岩氏は、こうも言っている。


問題は人類の長い歴史の中で、文字を操って記録を残す人も、
そもそも、3シグマに属していたことだ。

最古の歴史家ヘロドトスも司馬遷もよ〝3シグマ人間〟なのだ。

3シグマの人問は同類である3シグマの人間に強い関心を示し、
3シグマの視点から歴史を観察している。

ところが普通の人は記録を残さない。普通の人を、普通の人から
観察した記録もない。

以上。


われわれは、学校教育を通して、普通の人間でしかない人間まで、
平均的な人から見て0.3パーセントもいないごく稀な人物の歴史
をあてがわれて、いつのまにか、見果てぬ夢を追いつづけて、
放浪する病気にとりつかれてしまう。

それが、身の程をわきまえない野心であったりして、多くの不幸
まみれの人生をあてがわれて、一生を終えかねない。

平岩氏の書かれた「歴史学は、なぜか「異常な人間」ばかり扱っ
ている」について、非常に示唆されるものがあって、いい勉強に
なった。

 


いつになったら、東ローマ帝国の時代がくるんだろう

2011-05-31 06:50:32 | 歴史

日本人へ
リーダー編
塩野七生

を読み返していて、突然、ひきつけられる文章に、
気がついた。

それは、下記の文章であった。

 なぜ二千年以上も昔なのに失業が社会問題化したのかといえば、
カルタゴに勝って地中海世界の西半分の覇権者になったのはよかっ
たが、その結果ローマの経済構造に大変化が生じて、中産階級が
没落したからだった。

 それによってローマ社会は富者と貧者に二分化してしまい、後者
は、プロレタリアの語源となるプロレターりと呼ばれて、大量の
失業者を出すことになる。

以上。

この箇所は、前読んだ時もアンダーラインをしていたところだが、
今日、感じたような受け止め方は、していなかった。

実は、今進行しているアメリカの歴史的状況とオーバーラップして
しまったからである。

ところで、この内容について、ネットにこのような記事があった。

以下、その記事である。

カルタゴ滅亡時に、スキピオ・エミリアヌスは「いつかわがローマ
も、これと同じときを迎えるであろう...」といった。

この時ティベリウス・グラックスは十六才だった。祖父はスキピオ
・アフリカヌスである。
ティベリウスには弟のガイウスがいる。母のコルネリアはユリウス
・カエサルの母アウレリアと並んで、ローマの女の鑑と讃えられる
女性だった。

ティベリウスが帰国した年の紀元前一三五年、ローマ史上初の
奴隷の蜂起が起きた。正規軍は苦戦を続けた。何かが狂い始め
ていた。

ローマでは経済構造の変化が中産階級を直撃していた。属州と
なったシチリアからの大量の小麦が、小規模農家に打撃を与え
ていたのだ。

やがて、土地を手放さざるを得ない状況に追い込まれて、失業
するものが増えた。結果として、兵役該当者の数が減少の一途を
辿っていくことになる。

以上。

注目は、この文章である。

ローマでは経済構造の変化が中産階級を直撃していた。属州と
なったシチリアからの大量の小麦が、小規模農家に打撃を与え
ていたのだ。

これである。

これは、まったく、アメリカの戦後史と貧困化やそれに追従
する日本の歴史とオーバーラップしてやまないからである。

歴史の専門家ではないので、ちょっといい加減だが、そのアメ
リカの新自由主義が、なんとも断末魔に思えてくるのは、不思
議な気分がする。

カエサルは、このような状況を打破せんと、試みて、殺される
ことになるが、彼こそ、歴史的状況を俯瞰していたということ
だったようだ。

ただ、この観点に興味をもったのは、実は、このローマの状況
の進行が、実はローマ帝国が解体していく原因だったのではと
思われてならなかったからである。

わたしは、高校生の頃からどうして、ギリシャやローマ帝国が
滅んでいったのかと、不思議でならなかった。

後世にて、賞賛されてやまない国家が、どうして滅びなければ
ならないのか、理解できなかったからである。

やっと、高校生の頃の疑問に、自分なりの答えの目処が出てき
たようで、なにやら嬉しい気分になる。

よく、ゲルマン人の流入に原因を求める考え方もあったが、
根幹の原因は、経済問題であったということだ。

今まで、わたしは、ヨーロッパをギリシャに、アメリカを
ローマ帝国に例えて、考えることが多かった。

しかし、退職して以来、読んできた本を通して、アメリカが貧困
化し新自由主義に向かい、金融工学などが生まれた経緯などを知
ることになったが、その理解が、今までとは、逆に、ローマ帝国
の滅亡の長年の疑問に答えをだすことになるなんて、嘘のような
話で、びっくりである。

ある意味で、ゲルマン人の流入は、今なお、世界中から生活苦
で流入するアメリカの不法難民とみなせばいいのだと、なんとも
すっきりしてしまった。

それにしても、日本の千年に一度の大地震の混乱に乗じて「とも
だち作戦」などで、弱り目につけ込んでくるし、普天間問題は、
逆戻りだ。

韓国には、北方領土に踏み込まれる。歯ぎしりして止まないが、
いつになったら、東ローマ帝国の時代がくるんだろう。

 


二酸化炭素削減は人類史上最大の悲劇の始まり

2010-03-30 23:20:00 | 歴史
科学者の9割は「地球温暖化」CO2犯人説は
ウソだと知っている。

丸山茂徳 宝島新書


この本、刺激的な内容が書いてあった。





二酸化炭素削減は人類史上最大の悲劇の始まり


気温が21世紀を通じて仮に一定であったとしても、
環境問題は加速度的に肥大し、食料と資源の争奪
は加速して、人類史1万年で最大の悲劇的時代が
まもなく訪れるだろう。

過去150年の温暖化は、人類最大の破局を助け、
その始まりを後送りにしたに過ぎない。




「古気候と文明の盛衰の関係」を研究してきた
研究者は、研究の常識として温暖化は文明の
興隆の主因であるといい、寒冷化は国家を崩壊
させ、世界を動乱の時代に導く原因になるという。

二酸化炭素は植物にとってかけがえのない食料で
あり、動物はその上に成り立っている。
したがって、二酸化炭素がなくなれば、その時
は我々動物の絶滅を意味する。

大気に残された二酸化炭素は、すでにあとわずか
380ppmなのである。

今日の温暖化協奏曲は要素還元主義による科学の
進歩と、それがもたらした知的混迷の歴史的必然
であり、人類最大の悲劇の始まりを意味するで
あろう。
我々はその悲劇的結末に猛進している。


以上。




マスコミ等で、盛んに叫ばれている温暖化対策
スーパーで、レジ袋の削減運動をしている。

マスコミ等は、省エネとか言って、ヒステリック
になっている。


何だろう。


思うに正論は、こちらである。しかし、寒冷化なんて
いう真実を知るに耐えられる人は、いないかもしれない。


世界的規模のパニックになる。温暖化どころの話では
ない。


しかし、この嘘は、必要な偽善であるかも知れない。

必要な嘘であるかも知れない。

というのも、石油の枯渇を先のばしにすることに
なるからだ。


二酸化炭素が減っても、地球の滅亡になるが、当面
の2020年問題の先のばしにはなると考えたら、壮大
な嘘も必要悪かも知れぬ。



この本で面白いと思ったことの一つに、

ゲルマン人の大移動を世界史で習ったが、
何で移動してきたんだろうという疑問を長年持っていた。
この本で、寒冷化によって、食料確保のために起こった
という説を述べている。すっきりである。

(蒙古の来襲もそのようである。)


それから、
産業革命で、人口が増えすぎ、
ヨーロッパ人が世界中に移民を開始し、
世界を制覇していくことになった。と
述べている。

1820~1910年の90年間に総計で、
9000万人のヨーロッパ人が世界に
飛び出していったようである。

歴史の本質を学び直したようで、
嬉しく思った。

インドや東南アジア諸国の近代化
は、どのような民族移動を起こす
のだろうか。


インドネシアからの看護士は、その
先鞭であろうか?



恐竜絶滅 1回の小惑星衝突が原因

2010-03-07 11:14:27 | 歴史
ヤフーのニュースである。

恐竜絶滅 1回の小惑星衝突が原因 直径10~15キロ
3月5日4時0分配信 毎日新聞

 恐竜など白亜紀末期の生物大量絶滅は、現在のメキシコ付近への1回の小惑星衝突が原因とする論文を、日本など12カ国の国際チームが5日の米科学誌「サイエンス」に発表した。約6550万年前に地球環境を一変させた破壊的衝突の全容も明らかにした。

大量絶滅をめぐっては、複数の地球外天体衝突説、火山噴火説も出されているが、研究チームは「否定された」と結論付けた。【永山悦子】


 チームには、地質学、古生物学、地球物理学、惑星科学など専門家41人が結集。メキシコ・ユカタン半島の巨大クレーター「チチュルブ・クレーター」(直径約180キロ)が形成された時期の世界各地の地層などの最新データを、解析し直した。

 その結果、チチュルブ・クレーター形成と大量絶滅の時期は一致▽他の天体が前後に衝突した痕跡はない▽6550万年前ごろは火山活動が活発ではなかった--と判明。クレーター形成による環境変化は、大量絶滅に十分だったとした。

 チームによると、衝突した天体は直径10~15キロの小惑星、衝突速度は秒速約20キロ、衝突時のエネルギーは広島型原爆の約10億倍、衝突地点付近の地震の規模はマグニチュード11以上、津波は高さ約300メートルと推定された。

 衝突による放出物は世界約350地点で確認された。放出物は大量のちりとなり、太陽光がさえぎられて地球上が寒冷化。5~30度の気温低下が約10年続き、海のプランクトンや植物が死滅、食物連鎖の上位にいた恐竜などが絶滅したと考えられるという。

 この際、海底に生きる一部のプランクトンや、体が小さく食料が少なくてすんだ哺乳(ほにゅう)類は生き延び、後に多様化したとみられる。

以上、ヤフーのニュースである。

科学者というのは、とんでもないことを考えることができるものだとびっくりしている。

約6550万年前の頃の話しである。

こんな遠い昔の話しが本当であるということが論じられる。

なんとも理解しがたい次元の話しだ。


「チームによると、衝突した天体は直径10~15キロの小惑星、衝突速度は秒速約20キロ、衝突時のエネルギーは広島型原爆の約10億倍、衝突地点付近の地震の規模はマグニチュード11以上、津波は高さ約300メートルと推定された。

 衝突による放出物は世界約350地点で確認された。放出物は大量のちりとなり、太陽光がさえぎられて地球上が寒冷化。

5~30度の気温低下が約10年続き、海のプランクトンや植物が死滅、食物連鎖の上位にいた恐竜などが絶滅したと考えられるという。」ということだが、なんというスケールの大きな
話し。

5~30度の気温低下が約10年続き、 津波は高さ約300メートルと推定された。これでは、殆どの生物が死んでしまうではないか。

このような話しが科学として、成立するのだから、不思議でしようがない。





中国:三国志の英雄・曹操の陵墓を発見

2009-12-29 22:10:18 | 歴史
ヤフーのニュースである。
中国:三国志の英雄・曹操の陵墓を発見 河南省文物局発表
 
中国中央テレビによると、中国河南省文物局は27日、同省安陽市安陽県で、後漢末期の武将で三国時代(3世紀)の魏の基礎をつくり、「三国志の英雄」として知られる曹操(155~220年)の陵墓を発見したと発表した。
陵墓からは60歳前後とみられる男性の遺骨が見つかり、専門家による暫定的な鑑定結果によると、60代で死亡した曹操本人のものとみられるという。

曹操の陵墓の所在地をめぐっては諸説あり、これまで特定されていなかった。今回の発見で、曹操に関する謎が解明されるのではと期待されている。

陵墓は面積約740平方メートル。二つの墓室などがあり、鉄剣や水晶、石碑などの埋葬品が200点以上出土した。曹操を示す「魏武王」と刻まれた銘文も含まれ、曹操の陵墓だと示す根拠の一つになったという。

曹操とみられる男性のほか、女性2人の頭蓋骨(ずがいこつ)や足などの遺骨も見つかった。

同陵墓は誰を埋葬したものか分かっていなかったが、盗掘などが相次いでいたため、文物局が昨年12月から、盗掘防止のための発掘作業を進めていた。(共同)
 ◇ことば・曹操
後漢末期の武将。丞相を務め、魏王となり、中国北部を支配。

中国統一を目指し、呉の孫権、蜀の劉備と覇を競った。孫権・劉備の連合軍に「赤壁の戦い」で敗れ、その後「魏・呉・蜀」が鼎立(ていりつ)する時代に入った。

息子の曹丕の代に後漢が滅亡し、魏王朝がスタートした。

知略や行政手腕、冷酷さなどから歴史小説「三国志演義」では劉備らに対する敵役として描かれる。詩人としての才能にも優れていた。(共同)

昔、中国に関する歴史物の本をよく読んだ。
人間学として、処世術として、学べることが、多いと思ったからである。

諸葛孔明のファンだったので、曹操は敵役として、読んだ。

最後は、劉備、諸葛孔明の病死により、野望は実らぬことになり、複雑な感情がわいたことを覚えている。

ネットによると、曹操の子孫を名乗る人物は6万人ほどいらっしゃるということだが、かつて、勝ち組であった曹操の墓が、今頃発見されるということは、墓守をする人はいなかったのろうか?

ちょっと、寂しい気分になる。

あれほどの歴史的な人物の墓でさえそうなら、いわんや庶民の墓など┄┄?、である。