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リタイアーのよもやま話

米側資料の慰安婦は「大金稼ぎ欲しいもの買えた

2013-11-05 12:00:31 | 歴史

ヤフーの記事である。

米側資料の慰安婦は「大金稼ぎ欲しい
もの買えた」 

韓国主張の性奴隷とは異なる風景

2013.11.5 09:20 (1/2ページ)歴史認識

 根拠なく慰安婦募集の強制性を認めた河野
談話が出されて以降、世界で慰安婦イコール
性奴隷と流布されているが、現実はどうだっ
たか。過去の米国の資料からは、それとは全
く別の慰安婦像が浮かび上がる。

 米国戦争情報局資料「心理戦チーム報告書」
(1944年10月1日)は、米軍がビルマ(
現ミャンマー)・ミートキーナ(同ミチナ)で
捕らえた朝鮮人慰安婦20人らから尋問した内
容をまとめている。それによると慰安所におけ
る慰安婦の生活の実態は、次のように記されて
いる。

 「食事や生活用品はそれほど切り詰められて
いたわけではなく、彼女らは金を多く持ってい
たので、欲しいものを買うことができた。兵士
からの贈り物に加えて、衣服、靴、たばこ、化
粧品を買うことができた」「ビルマにいる間、彼
女らは将兵とともにスポーツを楽しんだりピク
ニックや娯楽、夕食会に参加した。彼女らは蓄
音機を持っており、町に買い物に出ることを許
されていた」

 報告書はまた、「慰安婦は客を断る特権を与
えられていた」「(日本人兵士が)結婚を申し
込むケースが多くあり、現実に結婚に至ったケ
ースもあった」と書いている。雇用契約に関し
ては、慰安所経営者と慰安婦の配分率は50%
ずつだが、平均月収は1500円だった(当時
の下士官の月収は15円前後)。

国連人権委員会に96年、慰安婦を性奴隷と位置
づける報告書を提出したクマラスワミ特別報告官
と会い、慰安婦問題について説明したことがある
現代史家の秦郁彦氏は次のように語る。

 「クマラスワミ氏は、河野談話は『強制連行』
とは書いていないが、それを否定していないと解
したのだろう。河野談話は日本政府の談話であり、
国連などの場で他者を説得するには一番便利だ。
また、外国人の感覚では『悪いことをしたから
謝るのだろう。やはり強制連行をしたのだ』と受
け止めるのも無理はない」

以上。

興味深いニュースが流れてきた。

韓国の執拗な慰安婦問題の追求には、わたしたち
では、過去の状況なんて知りようがないので、どうし
たものかと、思っていたが、こんなにも詳しい情報が
隠れていたとは。

はてさて、このニュースを知って、韓国はどのように
反応するのか、興味深いものがある。

そして、世界が韓国の執拗な追求をどううけとめ
るのか、 韓国の朴槿恵大統領どういう反応する
のか興味深い。


歴史を忘れた韓国に未来はない

2013-07-29 23:05:46 | 歴史

ヤフーにあった記事で、大変興味深いものが
あった。

長くなるが、いい記事だったので、全部紹介
したい。

[記事1]

日韓の間の「真実の話」をしよう 
ジェームス・E・アワー 

□ヴァンダービルト大学 日米研究協力
センター所長

 先月、朴槿惠大統領の強力な支持者である韓国
政界の長老の招きで3日間、ソウルを訪れた。

韓国の政治家、政府当局者、経済人たちと、頼ん
で面会し、北西沿岸にある韓国海軍基地の訪問に
も招待された。

残念なことに、会った韓国人のほとんどが日本に
ついて否定的な見方をしていた。

 ≪慰安婦は韓国だけにあらず≫

 1998年に日本の小渕恵三首相と韓国の金大
中大統領(いずれも当時)が、過去の問題に終止
符を打って前に進むという合意をして共同声明を
発表したときとは、彼らの意見が明らかに様変わ
りしたのはなぜかと問うた。

 会った韓国人たちの大半が、自分たちの姿勢は
98年から変わってはいないと主張し、そうでは
なくて、現在の自分たちの態度は、慰安婦問題や
安倍政権の高官たちによる靖国神社参拝、そして
竹島に対する日本の立場といった、歴史問題に対
する日本人の無神経さのせいなのだ、と答えた。

 私は、今の日本、韓国または米国の指導者は誰
も45年の戦争終結まで中国で行われた売春の慣
行を許していないと述べた。

 正確な数字は手に入らないものの、貧農の親の
意思によって身売りされたり、他の手段で募集さ
れたりして、日本兵たちに性サービスを提供して
いた韓国の女性の数が、日本や中国、他の国々か
らのそうした女性の数よりも多かったということ
はあり得る。

だが、それは韓国人を対象に絞った計画ではなか
ったし、戦時中のこの事業で犠牲となったすべて
の国籍の女性が被った真の苦痛について、日本が
心から悔いていることは疑う余地がない。

 この時代の日本では売春は合法であり、占領期
の日本でも性サービスは米軍に提供されていた。

起きたことは正しかったとする事実ではなく、当
時の規範が現在のものとは遥(はる)かに異なっ
ていたということを示す事実である。

 日本政府高官たちが靖国神社に参拝することに
関しては、日本の指導者たちは、一部が神社にそ
の名を列せられているA級戦犯をたたえるために
行くのではなく、ましてや、日本として他の国々
に謝罪した行為をたたえるために行くのではない、
と私は言った。それよりも、中国政府がするよう
な外国からの些細(ささい)な国内批判さえ忌み
嫌う国が、国家に尽くして死んだ日本の兵士たち
に敬意を表す神社に日本の政治家が参拝するのを
批判することは大いなる矛盾のように思う、と私
は話した。

 ≪靖国とアーリントンは同じ≫

 米バージニア州にあるアーリントン国立墓地は、
米大統領や、日本や韓国を含む多くの外国の指導
者たちが訪れる。埋葬されている兵士の中には南
北戦争中、奴隷制を支持する南部のために戦った
者がいるにもかかわらず、である。

今日、先進的な世界の大方で奴隷制は容認されて
いないが、それを信奉した南軍の兵士たちは墓地
から排除しなければならない、と要求する者は誰
もいない。

 韓国人と話し合って最も厄介な問題は竹島だっ
た。

私は、日本に有利な法的根拠ゆえ竹島に関する日
本の見解は変わりそうにないとしつつ、日本が竹
島から韓国兵を駆逐すべく自衛隊を派遣すること
は決してないと思えるのになぜ、韓国はこの問題
について心配するのをやめないのかと聞いた。

返ってきた唯一の答えが、竹島が間違いなく韓国
に帰属することに日本人は同意すべきだと韓国人
は考える、というものだった。

 日本への不満を何ら耳にすることがなかったグ
ループが1つだけあった。韓国海軍基地を訪ねた
折である。北朝鮮魚雷で撃沈されたコルベット艦
(哨戒艦)「天安」を見た。そこで会った韓国海軍
将校たちは、政治は話題にしなかったものの、危
険で予測不能な北朝鮮の振る舞いに対して、日本
の海上自衛隊そして米海軍と協力する必要を現実
的に語った。

 

 ≪日清、日露の韓国への貢献≫

 韓国の姿勢を改善するために何ができるだろう。
生まれたソウルに住んでいて、ヴァンダービルト
大を卒業して以来20年以上、ソウルで働いてい
る私の教え子の1人が、日本人は韓国人が劣等感
を克服するまで忍耐しなければならないだろうと
話した。

残念ながら、それは当たっているのかもしれない
が、朴大統領は安倍晋三首相と折り合いをつける
ことができるだろう、と私は期待する。

 これは日本人が決して口にしないことだが、
日本が清国と戦って1895年に同国を打ち負
かし、ロシアと戦争して1905年に同国を破
ったのは同じ理由からだったということは、韓
国人にとって一考に値するだろう、と私は思う
のだ。

日本は反韓国ではなかったが、韓国が清国に支
配されることを、あるいはロシアに支配される
ことを恐れたのである。

 もし清国が最初の戦争に勝っていたら、韓国
は現在、中国の植民地になっているかもしれな
いし、もしロシアが次の戦争に勝っていたら、
韓国はロシアの植民地になっているかもしれな
い。

日本の勝利はとどのつまり、韓国を自由市場経
済の民主主義国という今日の地位へ導いたので
ある。

 

記事1以上

 

 

[記事2]

朝鮮戦争休戦60年 「戦勝」とは歴史の歪曲だ

27日は朝鮮戦争休戦から60年になる。
ソウルと平壌ではそれぞれ記念行事が大々的に行
われている。あの戦争は第二次世界大戦後のアジ
ア情勢に大きな影響を与えた。

結果としての南北分断固定と激しい南北対立は国
際社会に大きな後遺症を残した。近年、国際社会
を悩ませている北朝鮮の核問題もその一つとみて
いい。

 歴史をおさらいすれば、戦争は北朝鮮の金日成
政権が中国、ソ連の支持の下、韓国を武力併合し
ようとして始まった。北朝鮮の突然の侵攻で韓国
は南端まで攻め込まれた。米軍を中心に国連軍の
参戦で反撃に転じ、今度は北朝鮮が中朝国境近く
に追い詰められた。

 ここで中国軍が北朝鮮支援に乗り出し、100
万の大軍を派兵し北朝鮮軍とともにソウルの南ま
で攻め込んだが、戦線は一進一退となり、60年
前の7月27日、現在の南北境界線で休戦となっ
た。

 ところで北朝鮮は「祖国解放戦争勝利60周年」
としてしきりに「戦勝」を強調している。

得意の巨大マスゲームなど記念イベントも「戦勝」
一色だ。本当は韓国に対する武力統一(解放)に
失敗し、さらに滅亡寸前になったところを中国に
助けられたのに「勝利」といいつのっているのだ。

 こういうのを歴史歪曲(わいきょく)、歴史偽
造というのではなかったか。韓国は北朝鮮と中国
に「謝罪と反省」や「正しい歴史認識」をしっか
りと要求してほしいものだ。

 

本からの後方支援のおかげで国を守れた

韓国では米国など支援国に対する感謝の行事が
行われている。

ワシントンでもオバマ大統領が記念式典に出席
するというが、韓国も60年前、敗北寸前のと
ころを米国など国連軍に助けられたのだ。

 戦争の過程を振り返れば、米軍はじめ国連軍に
よる反撃、巻き返しは、後方基地として日本があ
ったため可能だったことが分かる。韓国では「朝
鮮戦争の特需のおかげで日本経済は復興した」と
よくいわれるが、それは結果論であって、まず「
日本からの後方支援のおかげで国を守れた」と考
えるのが客観的な歴史認識だろう。

 米国はこれをよく認識しているから有事対策と
して日本には集団的自衛権の発動を、韓国には日
本との各種軍事協定締結を期待するが、韓国は対
日感情という国内事情にこだわりこれらに反対し
ている。

韓国政府が60年前の経験をかみしめ対日関係を
「戦略的発想」で考えることを求めたい。

 

記事2以上

 

日本では、

1592年 豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)や明治
初期の西郷隆盛の征韓論等があって、今の時代
からみると、韓国に対して、なんとも罰の悪い過去
がある。

それはそれとして、記事1も記事2も、史実である
し、この事実は謙虚に受け入れないといけないだろ
う。

記事1で、

「これは日本人が決して口にしないことだが」とあ
るが、事実とあっても、やはり、日本人が口にでは
できないことだ。

豊臣秀吉や西郷隆のことがあっては、恩きせがまし
いことを言えた義理ではない。

しかし、『歴史を忘れた民族に未来はない』と、しつ
こく執着して止まない韓国にこそ、この言葉を投げ返
さなければならないだろう。

日本人が決して口にできない内容だから、やっかい
だが、それにしても、

『歴史を忘れた韓国に未来はない』が、本当の話し
だと、いつ気付くのだろう。

茶番劇はいつまで続くのだろう。

 

put your hands up

今宵は、この曲でくつろいでみました。
猛暑にあって、穏やかな一時を。 

 


「沖縄は日本が武力併合」

2013-05-09 06:56:04 | 歴史

ヤフーのニュースである。

 

「沖縄は日本が武力併合」中国共産党
機関紙が論文

 

8日付の中国共産党機関紙、人民日報は
沖縄県について「独立国家だった琉球を
日本が武力で併合した」などとして、第
2次大戦での日本の敗戦時は「琉球の帰
属について議論するべき時だった」と主
張する論文を掲載した。

 中国では最近「日本は沖縄に対し、合
法的な主権を有していない」との主張が
出ているが、党機関紙に掲載されるのは
珍しい。対立が深刻化している沖縄県・
尖閣諸島をめぐる問題で日本をけん制す
る狙いがあるとみられる。

 中国外務省の華春瑩副報道局長は8日
の定例記者会見で報道を受けて「琉球と
沖縄の歴史は学会が長期にわたって関心
を寄せている問題だ」と指摘したが、政
府としての見解は述べなかった。

 論文は、政府系の中国社会科学院の研
究員らが執筆。琉球王国が歴代の中国王
朝に対して朝貢を行う「冊封国」だった
経緯を説明した上で「琉球王国は明清両
朝の時期には中国の属国だった」とした。
(共同)

 

以上。

 

ところで、琉球王国については、ウィキ
ペディアで調べるとこうなっている。

 

琉球王国(りゅうきゅうおうこく)は、
1429年から1879年の450年間、沖縄本島
を中心に存在した王国。当時、正式には琉
球國(りゅうきゅうこく、琉球語琉球方
):ルーチュークク)と称した。

最盛期には奄美群島沖縄諸島及び先島諸
までを統治した。この範囲の島々の総称
として、琉球列島(琉球弧)ともいう。

王家の紋章は左三巴紋で「左御紋(ひだり
ごもん、フィジャイグムン)」と呼ばれた。

勢力圏は小さな離島の集合で、総人口17万
に満たない小さな王国ではあったが、隣接
する大国海禁日本鎖国政策の
間にあって、東シナ海の地の利を生かした
中継貿易で大きな役割を果たした。その交
易範囲は東南アジアまで広がり、特にマラ
ッカ王国
[1]との深い結びつきが知られる。

明及びその領土を継承した清の冊封を受け
ていたが、1609年に日本の薩摩藩の侵攻を
受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配
下に入った。ただし対外的には独立した王
国として存在し、中国大陸、日本の文化の
影響を受けつつ、交易で流入する南方文化
の影響も受けた独自の文化を築き上げた。

 

以上。

 

中国は、

「独立国家だった琉球を日本が武力で併合
した」などとして、第2次大戦での日本の
敗戦時は「琉球の帰属について議論するべ
き時だった」と主張する論文を掲載した。

となっている。

いつのことを武力で併合と言っているかを
知りたいのだが、おそらく廃藩置県のことだ
ろう。

 

この資料でもわかるように、

1609年に日本の薩摩藩の侵攻を受けて以後
は、薩摩藩による実質的な支配下に入った。

とあるが、実質的にこの時点で、日本という
国に併合されたという歴史認識を持つ。

薩摩藩は、徳川幕府を刺激しないように、琉
球を独立国扱いしていた。
あまり認めなくない真実と思うのだが、薩摩
藩が琉球王国から搾取し財力を蓄え、その富
みで、明治維新ができたと、沖縄県民の視点
では理解できる。

だから,本質的に武力併合は、1609年に日本
薩摩藩の侵攻が、それである。

廃藩置県までに、すでに、300年以上も、琉球
王国は、日本化してしまっている。

この辺のところを、中国はどう見るのだろう。

ところで、清という国が、ウィキペディアの
話だが、

は、清朝、清国ともいい、1636年満洲にお
いて建国され、1644年から1912年まで中国
支配した最後の統一王朝である。中国の歴史上
では、征服王朝の一つに数えられる。
首都は盛京瀋陽)、後に北京に置かれた。

とあるように、中国は異民族に支配されていた
時代である。

この屈辱の時代に、なんの疑問も持たず、それを
基準に、価値規範を持てるというのが、理解し
がたいのだが、中国は、その指摘をなんと答え
るのだろう。

中国は、

「琉球王国は明清両朝の時期には中国の属国だ
った」と語っているが、

西洋が、世界中を植民地支配していた過去がある
が、それを肯定しろというのか。

それをなんと答えるのだろう?

あまりにも身勝手な。

 


ここ100年の日本の驚異的成長、その根拠は

2013-03-07 10:51:46 | 歴史

ここ100年の日本の驚異的成長、その根拠は
“社会的動員力”にあり―中国人著述家


2013年3月5日、日本人が世界的に台頭した
のは、ここわずか100年あまりのことだが、
その最大の要因は、「日本人には他の民族に
はない動員力があることだ」と中国で指摘さ
れている。これは、中国の出版社から出版さ
れた書籍「日本人憑什麼」(日本台頭の根拠
とは何か)の著者・周興旺(ジョウ・シンワン)
氏によるもの。

1868年の明治維新からわずか30年で、中国を
中心とした東アジアの構図を書き換えた日本。

その後、1895年から1945年にわたる50年間の
うち、およそ40年間は戦争状態にあった。

そこで中国を侵略の対象としただけでなく、帝
政ロシアや英国・仏国・米国と渡りあった。

最終的に敗北することにはなるが、経済面とな
ると、日本は明治維新後のわずか50年で世界5
強の一角となっている。第二次大戦後は重工業
で栄え、アジア最大の経済大国となり、1983年
にはGNPが米国を超え、米国国債の40%を保有
する世界最大の債権国となった。

軍事にしても経済にしても、日本が目を見張る
ような台頭を実現したのは日本の国民に他の民
族にはない社会的動員力があることが最大の要
因だと指摘されている。

さらに、1950年から1990年の40年間にGNPが
152倍にまで成長したのは、第二次大戦後、「経
済を通じて国を再び興す」という一元化された
全国民の意思があればこそだとし、日本人のそ
うした求心力が何から生まれるのか、なぜ一心
不乱に規律に従えるのか、そうした性質による
利点と弊害はどのようなものか、中国人は熟考
し見極める必要があると、周氏は指摘している。
(翻訳・編集/岡田)

以上。

このことについては、興味深く思っているテーマ
である。

わたしは、江戸時代で象徴される幕藩体制に多く
寄与するものがあるのではと思っている。

ウィキペディアではこう紹介されている。

江戸幕府を全ての武士の頂点とし、最高の統治
機関としながらも、各大名がそれぞれの領地に
おいてある程度独立した統治機構(藩)を形成
していることと~」

そして、同じく、ウィキペディアではこういうこと

もあった。

「藩の内側は将軍江戸幕府の権威・権力の枠の
内側で一定の自立した政治経済社会のまとま
りを持ち、小さな国家のように機能した。」

である。


日本の江戸時代において、このようなことで、集団
内の構成員における一体感を持ち得たのではなかろ
うか。

 わたしは、歴史の専門家ではないので、素人の遊び
にすぎないが。

そういう意味で、近代国家は、集団内の帰属意識を
醸成するのに、適切な規模だったのでと思っている。

それと、同時に農業を基盤とした経済だったことが、
やはり、有利に働いたと思っている。

蛇足だが、大河ドラマの「平清盛」が、不評
だが、もし、彼がいなかったら、武士集団は、
発達しなかったかもしれないので、本当のと
ころ、今の日本があるのも彼の存在が、大き
く寄与するのではと、素人ながら、高く評価
するようになっている。

どうだろう。

そういう意味では、あの広大な弱肉強食の社
会では、「大義名分」という言葉は、生まれ得
ないかもしれないと、勝手に思っている。


凡人たちは、何も目撃しなかった

2011-12-16 23:39:45 | 歴史

大分前に書いたブログの内容の一部に、次のような
文章があったのを思い出した。

 

ゲーテは、激動の時代に生きた。

数々の政治的事件に遭遇した。

「私はたいへん得をした。世界史的大事件が、
まるで日程にのぼったかのように起こり、
それが長い生涯を通じて起こり続ける時代に
生まれ合わせたからだ」

七年戦争、アメリカの独立、フランス革命、
ナポレオンの英雄時代と没落。

しかし、それはゲーテが目をみはっていたから
である。

同世代の凡人たちは、何も目撃しなかった。

 


今、ゲーテが生きていたら、何を見るのでしょう。

何も目撃しなかった同世代の凡人にならない
ために、「この未曾有の国難に日本が何を成しう
るか」を、少しでも見落とすことがないように
ありたいものだと、思ったりします。

以上。


2011.3.11以後、原発の隠された真実、放射能問題、避難者
問題、et cetera、そして、ヨーロッパ経済の混乱に起因する
世界恐慌の予感等

収拾の見通しのつかない混乱するこの現状は、我々の生きて
いる社会がおぞましく、魑魅魍魎が跋扈する社会でしかない
こを白日の下に晒してしまった。

パンドラの箱には、希望という言葉が入っていたそうだが、
わたしたちのこの未曾有に混乱した時代のどこに、希望と
いう言葉があるのだろうか。


前回、ブログを書いた時、ゲーテは、たいそうなことを見た
のかと、思い、彼に習いたいものだと思った。

そして今回、ゲーテが今の社会をどのように見えるか興味の
わいたところで、このブログを書いた後読んだ哲学者の適菜
収氏の書いた「ゲーテの警告 日本を滅ぼす『B層』の正体」
をまたまた思いだしてしまった。

結局「ゲーテの警告」で、気づかされることになったが、
ゲーテは、大衆社会の到来を忌み嫌っていたのだ。

なんのことはない。

前回のブログを書いた時、たいそうなことを見たのかと、思い、
ゲーテに習いたいものだと思ったが。

なんと、とんでもないわたしの勘違い、「ゲーテに学ぶ賢者の
知恵」という本を書いた人が、ゲーテの素性を知らなかった
だけの話しになりそうだ。

なんのことはない、わたしは、この著者の勘違いに乗せられて
しまったということだ。


今、ゲーテが生きていたら、何を見るのでしょう。

何も目撃しなかった同世代の凡人にならない
ために、「この未曾有の国難に日本が何を成しう
るか」を、少しでも見落とすことがないように
ありたいものだと、思ったりします。

と書いたが、

ゲーテは、「ゲーテの警告」によると、自分の時代の終焉に
悲鳴をあげていたいうことでしかないから、今の時代を見たら、
もしかすると、それ見たことかと思うのだろうか。

それとも、ハルマゲドンの到来かと絶望するのだろうか

マルクスだったら、わたしたちの進むべき道を指し示す
ことができるのだろうか?


何も目撃しなかった同世代の凡人にならない
ために、「この未曾有の国難に日本が何を成しう
るか」を、少しでも見落とすことがないように
ありたいものだと、思ったりします。

と思ったことなんて、今になって思うと、なんとも
気負っていたことかと恥ずかしくなってしまった。

いくら見落とすことがないようにと、気張ってみた
ところで、時代の醜悪さが鮮明になるだけで、知られた
こと、分かったとしても、次から次へと想像を絶する
事柄だらけでは、空中分解しそうだ。

この日本、この時代、この世界はいったいどこへ向かう
のだろう?

自ら主体的に判断し行動しなければならないはずだが、
怒濤の変化で、溺死しそうだ。