消費期限終了

リタイアーのよもやま話

ゲーセンで憩うお年寄りたち

2011-09-04 10:59:02 | 老後


ヤフーのニュースに、「ゲーセンで憩うお年寄りたち」
というタイトルがあった。

実は、昨日読み終わった川北義則著の「みっともない
老い方」に、「60代から始める趣味」という一文が
あったからである。


そこで、このニュースをひろってみた。


ニュース1


「ゲーセン」いまや常連はお年寄り シニアサービス充実


 かつて子どもの遊び場だったゲームセンターがいま、
お年寄りも楽しめる「憩いの場」になりつつある。

ほかの娯楽施設より安く長く遊べる点が人気のようだ。

少子化と若者の「ゲーセン離れ」に悩む業界各社も、シニア
向けサービスに本腰を入れ始めた。

 8月中旬の平日昼下がり。東京都葛飾区のゲームセンター
「ハロータイトー亀有」では、十数人のお年寄りが遊んでいた。

 「今日の調子はどうかい」。畳敷きベンチに座って小藤
チエ子さん(76)が野田マツさん(86)に話しかけた。

2人ともここの常連客で、通っているうちに友達になった。
10年ほど前に夫を亡くした小藤さんは「1人で家にいると
ぼけてしまうけど、ここでゲームをしていれば時間を忘れら
れる」と語った。

 店は2年ほど前から高齢者が増え始め、今は平日昼間の
利用者の8~9割を占める。

人気は「メダル落としゲーム」。手持ちのメダルを投入して
装置内のメダルの山を崩して遊ぶ。上達すると、千円あれば
長時間楽しめる。

 大半のお年寄りは数時間は滞在し、ゲームの途中でお茶を
飲んだり、弁当を食べたりして仲間と雑談して過ごす。

「ゲームセンターが交流の場になっているようですね」と
酒井康彰店長は言う。

タイトーは高齢者向けに、全国約20店舗で今年1月から
店内のベンチを畳敷きに変えた。

 

 

ニュース2


ゲーセン、高齢者の憩いの場に

受ける気軽さ 仲間と「メダル」


若者でにぎわう印象が強いゲームセンターが、高齢者の憩い
の場になっている。

ショッピングセンター内の店舗などに気軽に立ち寄り、客
同士の交流を楽しんでいるようだ。高齢者向けの特典を設
ける店も現れている。

 ショッピングセンターの一角にあり、ボウリング場などが
入る娯楽施設ラウンドワン南砂店(東京都江東区)。

今月のある平日、午前中で客はまばらだが、ゲームセンター
には高齢者の姿が目立った。

人気は「メダルゲーム」。コインを落とし、コインの山を
崩して遊ぶ簡単なゲームだ。

 同区内の男性(76)も、このゲームがお気に入り。

無料チケットをもらったのがきっかけで通っている。

今では約20人が「ゲーム友達」で、ゲームの合間にお茶を
飲んだり食事をしたりする。

「週2回くらい、別の仲間とボウリングをした後に一人で
来るんですよ。

3時間くらいはやるかなあ」と楽しそうだ。買い物ついでに
立ち寄ったのがきっかけで、3年前から通っているという
64歳の女性もいた。

 同店の客は週6000~7000人、そのうち3~4割
高齢者。

同店を運営するラウンドワン(堺市)によると、やはりショッ
ピングセンター内にある大阪府内の店などに常連の高齢者が
多いという。

 セガ(東京)が全国で運営する約200店のゲームセンター
の中でも、一部の店舗で同様の傾向が見られるという。

2009年にオープンした兵庫県尼崎市内のショッピング
センター内の店は、1週間の来店客の3割ほどが高齢者という。

 「レストランやスーパーが併設され、食事や買い物もできて
便利なのでは」と同社。

 日本生産性本部のインターネット調査(15歳~79歳の
約3000人が回答)では、09年にゲームセンターに年
1回以上行った人の割合は28・3%、60歳以上も5%
弱だった。

「時間的に余裕のある高齢者には、比較的安価で長時間
遊べる点が魅力のようです」と同本部は分析する。

 日本アミューズメントマシン工業協会によると、全国の
ゲームセンターの数は、この10年ほどで半数以下に減り、
09年には1万9213か所。

不況の影響や少子化で若い客が減っているといい、今や
高齢者は重要な顧客だ。

 こうした中、高齢者向けの特典を設ける店も。主に首都
圏でゲームセンターを運営するアドアーズ(東京)は、08
年から高齢の客が多い竹ノ塚店(東京都足立区)に限り、
65歳以上を対象に、ゲームで使うメダルの数をサービス。

通常1000円でメダル100枚のところ、150枚にして
いる。

 東北大加齢医学研究所教授の川島隆太さんは、「ゲ
センターでの他者とのコミュニケーションは、高齢者に
とって良い刺激になる」と話す。

 ただ、地元の地域活動なども大切という指摘もある。
福祉施設も経営する文京学院大教授の綿祐二さんは
「一部には、町内会活動などを嫌ってゲームセンター
に行くお年寄りもいるようだ。

高齢で動けなくなった場合、日頃の近所付き合いが物を
言う。
地域の様々なつながりを大切にしてほしい」と話している。

 


ニュース3


ゲームセンターに集まる高齢者「スリルと快感を味わえる」


 少し前まで、ゲームセンターといえば若者のたまり場だった。
だがいま、目立つのはシニアたちの姿。

 ゲームセンターに集うシニアたちは、「お金をそんなに
かけなくても、スリルと快感が味わえる」「指先のかすかな
動きと、タイミングを読む目の動きなどが頭の運動になる」
「クレーンゲームがうまくできなかったときに、若い人が
教えてくれて…」とその効用、楽しさを話してくれた。

子供や孫と一緒に来る人たちも多く、意外なコミュニ
ケーションの手段にもなっている。

「もうすぐ還暦よ」というAさん。「私は近所の食堂で
働いてるんですが、娘が“おもしろいところがあるよ”と
連れてきてくれたの。

毎日通ってます」とメダルを多数ゲットしていた。

 これに対して店側も「ご年配のお客さまのためにマ
サージチェアを設置したり、近隣の老人ホームへの営業活
などを考えています」(『ゲームパニック東京』井上店長)
と積極的な姿勢を見せる。増え続けるシニア世代にとって、
安心してすごせる新しい居場所をこんなところに見つけた。

以上。


と、いろいろな記事があった。

ところで、川北義則著の「みっともない老い方」の「60
代から始める趣味」で、彼はこう言っている。

 

この種の遊びは娯楽であって、趣味と呼ぶにはふさわしく
ない。

趣味は自分にプラスになることでなければ意味がないから
だ。

ゲーセンやパチンコは金を浪費する暇つぶしにすぎない。
では、無趣味な人はどんな趣味をもったらいいか。

まず、それに取り組んで自分にプラスになることが前提
条件だろう。

いま格別にすることがなくて困っているなら、この条件を
クリアできる範囲内で、とりあえず何でも取り組んでみる
がいい。

必ず思いがけない発見があるはずだ。


と述べていた。


そして、次のようなことも言っている。

高齢になってからの趣味は、第二の人生にプラスになる
ようなものを選ぼう。
そうでないと、せっかく大過なくクリアした第一の人生を
台無しにしかねない。

それだけは、避けたい。

「趣味ということは馬鹿にできない。人間の上等下等は
趣味で大概きまる」(武者小路実篤)


ということを言っている。


又、彼は、本の中の「目標をつくることの大切さ」で
カールライルの言葉を紹介している。

それは、「目標がないくらいなら、邪悪な目標でも
あったほうがいい」であった。


ところで、孔子の論語に、似たような話しを思いだした。


ネットに、うまく説明されていたので、勝手ながら
これを、引用したい。

 


陽貨第十七 466

〔原文〕

 

〔読み下し〕
子日わく、飽くまでも食(くら)いて日を終え、心を
用うる所無きは、難(かた)いかな。博奕(はくえき)
なる者有らずや。

之を為すは猶(なお)已(や)むに賢(まさ)れり。


〔通釈〕
孔子云う、「腹いっぱい食べて一日中何をするでもなく
何を考えるでもなく、ただぼんやりと過ごすなどという
ことは、まともな人間ならそう簡単にできるものでは
ない。

世の中に博打ってものがあるだろう?何もしないのなら
博打でもやっていた方がまだ増しだ!」と。


〔解説〕
博奕を今で云うと、マージャンやパチンコの類って所
でしょうか?競輪や競馬もそうかも知れません。

博とは双六のこと、奕とは囲碁のことで、「博奕(はく
えき)」と熟語にすると、博打の意になります。

双六はインドで起こり中国に伝わったと云われますが、
孔子の頃には既に一般的な遊びになっていたようです。

囲碁は中国起源で夏の時代からあったのではないかと
云われますが、詳しいことは分かりません。

孔子は博打を奨励している訳ではありませんが、何も
することなく終日ボケーッとしているのなら、賭け事
でもしていた方がまだ増しだと云う。

結構頭を使いますし、勝った負けたで一喜一憂します
からね。

老人介護施設で、ボケ防止の爲にマージャンが行われて
いるそうですが、かなり効果があると報道されていまし
た。

碁や将棋は実力の差が歴然としていて、それがそのまま
勝敗につながる、つまり、サプライズが殆どない為、
覚えたての人には面白みがないのに対し、マージャンは
実力と運が入り混じっている為、ルールさえ飲み込めば、
覚えたての人でも勝つことができる。このサプライズが
老人に受けているんだとか。

ドキドキ・ワクワクするってことは、脳の活性化につな
がるんですね。

至れり尽くせりで、何もすることが無い状態というのが
年寄りには一番好くないそうで、あっという間にボケて
しまうそうです。

地球上の生物で、博打をやるのは人間だけだそうですから、
生物学的に見れば、博打は高等技術の部類に属するのかも
知れませんね。


以上。引用でした。


ゲームセンター通いを良しとする高齢者の論理も、一理は
あるが、考え問題であるのだろう。

思うに、わたしは、このような生活に筋力トレーニングの
時間は設定されているのだろうかということが、気にかかる。


それにしても、


川北氏の述べた。

高齢になってからの趣味は、第二の人生にプラスになる
ようなものを選ぼう。
そうでないと、せっかく大過なくクリアした第一の人生を
台無しにしかねない。

それだけは、避けたい。

「趣味ということは馬鹿にできない。人間の上等下等は
趣味で大概きまる」(武者小路実篤)


については、肝に銘じたい。

特に、「趣味ということは馬鹿にできない。人間の上等下等は
趣味で大概きまる」(武者小路実篤)は、ドキッする。

が、高踏遊民となっては、厭味だが、なんとかいい趣味を
持ちたいものだ。


余生

2011-07-15 06:23:12 | 老後

老いる覚悟

森村誠一=著
ベスト新書

読み終えた。


その中で、特に印象に残った文章があった。


以下、その文章である。

 

○人生の風雪を耐え忍び、やっと余生がやってくる

 

老後が存在し、余生を過ごすためには条件がある。

それは、社会構造の中に組み込まれて人生をおくって
きたか、そうでないかだろう。

自分からその日暮らしの職業を選んだ人や、あるいは
自分の意志で定職につかなかった人、自由と引き換えに
社会構造の中に組み込まれることを拒んだ人などの場合は、
余生はない。

こういう人たちは、年金を払わず、健康保険も未加入、
貯蓄もない人が多いので、病気になっても簡単に医者に
診てもらえない。

終の棲家もないわけである。住所不定の場合もる。

この人たちは、余生の心配をすりも 日々の糧を得る
ことを考えざるを得ない。

別の意昧での、覚悟ある生涯現役かもしれない。 
                  
大多数の人は学校を出て、就職をして、人生のスタート
ラインに立つ。

組織の中で仕事と責任を分担し、使命感を持って働いた人、
十代のうちから手に職をつけるために厳しい修行をして
きた人、親の家業を継いだ自営業の人、各方面のプロ
フェッショナル、スペシャリスト。


何十年も働き、その途上で結婚をしたり、赤ん坊が生まれ
たり、家を買ったり、子供が自立したり、そして再び夫婦
ふたりで暮らしていく頃には、多少の蓄えもできる。

そこで、やっと会社での現役の定年を迎える。

そんな人たちが、第二の人生を新たな覚悟を持って生きて
いく。

それを余生というのであろう。


以上。


この文章で、彼は「余生」定義をしている。

 

老後が存在し、余生を過ごすためには条件がある。

それは、社会構造の中に組み込まれて人生をおくって
きたか、そうでないかだろう。
 


わたしは、この余生の定義に、驚きを感じた。

このような定義を言われたら、なるほどであるが、
こんな考えなんてしたことなかった。

あまりにも、日常すぎて感じなかったのかもしれない。

なにしろ、社会構造の中に組み込まれてない人生なんて、
考えることができなかったのだ。

しかし、このような言い方をされると、「そうなんだよ。
そうなんだよ。」なんて、相槌をうちたくなる。

誰もが、多くの不条理に耐えて耐えて、やってきた
はずだなんて。

しかし、いかに、風雪に耐える気概があっても、
社会構造の変化で、斜陽産業で仕事を失う人、
会社が倒産する人、リストラにあう人、
シャッター通り化で知られるように自営業が
成り立たなくなる人、あるいは、震災等で全て
を失う人等、想定外の人生の展開に翻弄される
人々もいたりして、森村氏の定義する「余生]を
享受できない方々も多くいるわけで、そこを思う
と、神妙な気分にならざるを得ない。

誠心誠意生きていても、不本意な人生を強いられる
運命の人もいる。


森村氏は、こうも言っている。

何十年も働き、その途上で結婚をしたり、赤ん坊が生まれ
たり、家を買ったり、子供が自立したり、そして再び夫婦
ふたりで暮らしていく頃には、多少の蓄えもできる。

そこで、やっと会社での現役の定年を迎える。

そんな人たちが、第二の人生を新たな覚悟を持って生きて
いく。

それを余生というのであろう。

と語っている。が、

 

これが、なかなかのことかと思われてならない。

夫婦が二人で、手を取り合って、余生を愉しむ。

人生が、このような新たなる展開になることの
稀有なことよ。


悪意は、なくても、人生のパートナーを選び間違う
ことは多々ある。

子どもが自立する。なかなか、どうして難しいこと。

定年後も夫婦の愛情が続くこと。なかなか、どうして
難しいこと。


森村氏の「余生」定義に該当する人生を展開できる
なんて、なかなかのことではなかろうか。

なんて、思ったりする。

もしかして、パレートの法則より、厳しいのかも
しれない。


彼は、著書の中で、高齢者に対して厳しいことを語って
いる。

その中で、興味深かった項目を拾い上げてみた。

○ただ長生きしているだけでは邪魔な老人とよばれる
○老いたくなければ新しい出会いを求める
○バリアフリー根性がダメ老人を作りだす
○老人のインフレ時代がやってきた
○年寄りたちのサバイバルレースに誰が生き残れるか
○「お荷物老人」は昔だったら姥捨山行きである
○第二の人生は自力で餌を捕らなければならないと
覚悟する
○現役時代の肩書きは何の役にも立たない
○どんなに偉い人でも会社を辞めれば「ただの老人」
になる。
○エリート社員だった人ほど悲劇的な老後を迎える。
○老人社会でもいじめや引き龍りはある
○晩節が貴重な時間だとわからない年寄りがいる
○完全な自由が手に入るのは第二の人生から
○第二の人生で仕事も趣味も無駄な時間は使わない
○余生の時間はご褒美!長年の夢を叶える絶好のチャンス
○現役引退でいい過去も悪い過去もすべて帳消しになる
○いい過去を忘れてしまっては明日への扉は開かない

 

特に、強烈な内容があった。


○エリート社員だった人ほど悲劇的な老後を迎える

定年後、第二の人生のスタートラインに立って、「これから
自由にしなさい」といわれたとき、そこには、「何をしても
いい自由」と、「何もしなくてもいい自由」がある。

「何をしてもいい自由」とは、自分の夢を実現したり、新しい
ことに挑戦することである。

会社、組織での人生のしがらみを捨てて、未知の分野に進む
覚悟である。

たとえば、学生時代に留学をしたかった人は留学をすれば
いい。

趣味の蕎麦打ちが高じて退職金を全部つぎ込んで自分の店を
持ち、世間の人に本当のうまい蕎麦を食べてもらうのもいい
だろう。

仏門に入り修行して僧侶になるのもいい。

要は現役時代にできなかったことを実現することが「何をしても
いい自由」なのである。

「何もしなくてもいい自由」とは「何をしてもいい自由」と
ちょうど正反対で、社会とかかわりを持たず一日中ひとりで
テレビを見て暮らすような、本当に何もしないことである。

夢を叶えるでもなく、新しいことにも挑戦しない。

日々をあるがままに過ごすことをいう。

どっちを選んでもいいよといわれると、「何もしなくてもいい
自由」を選ぶ人が多い。

会社、組織を退職した人、特に一流会社の、いい地位で定年を
迎えた人は、「何もしなくてもいい自由」を選びがちである。

 誰も計画を立てたり、命令をしてくれる人間がいなくなり、
ひとりでは何をしていいのかわからなくなってしまうのである。

昨日まで一緒に働いてきた上司や同僚あるいは部下がいなく
なる。

出勤してタイムレコーダーを押して自分の席に着けば、周りに
同じ組織の仲間がいたのに、それが退職すると誰もいなくなる。

何をするにしてもひとりでやらなければいけない。

組織を辞めれば孤独になるということが、現実的にわかって
いなかったのである。

何十年も会社という組織の中で一生懸命働いてきたのだから
無理もない。

それまでは、会社のポリシーの奴隷であった。会社に忠誠を誓い、
ポリシーに縛られている人を、わたしは[社奴」とよんでいる。

しかし「社奴」から放たれた人のほとんどが途方に暮れる。
何をしていいのかわからない、どこに出かけていくのかも
決められない。

長年放っておいたので、家庭にも居場所がない。

リタイアして年金生活をおくっているわたしの仲間も、
やはり、何もすることがない人のほうが、多い。

しかし、家にはいられないので、仕方なく、ひとりで街に出て
時間を潰している。

 本当に何もすることが見つけられない人は、電車の環状線に
乗っている。

環状線に一日中乗り続けて、本を読んでいる。

自分ひとりでは何もできずに、仕方なしに「何もしなくても
いい自由」を選ばざるを得ない悲劇。

「タイムイズマネー」を地でいっていたエリート社員が、時間を
潰すために、一日中電車に乗っているなどと、本人たちも想像
できなかったであろう。

 

○老人社会でもいじめや引き龍りはある

地域の町会や老入会に参加するのも一手だが、現役時代の
「長」の尻尾を残している人は、なかなか簡単に高齢者の
社会に入れてもらえない。

 高齢者というものは、三つの階層に分かれている。

まず、六十代。たとえていえば、余生の年少組。

次が、七十代。余生の年中組。高齢者社会では、この年代が
いちばん力を持っている。

そして、八十代以上が年長組。

さすがに八十歳を超えると、気力、体力ともに衰えてきて、
本当の老人になっていく。

でも死なない。特に女性は、やっと平均寿命に届くところで
ある。

 組織を退職して余生をスタートさせると、当然、年少組に
入ることになる。

ところが、六十代で、過去を捨てる覚悟がなかった人、「長」
の尻尾を持ったままの人は、なかなか余生の社会に入り込め
ない。

 現役時代に、組織の庇護の下、ちやほやされすぎていた人は
なおさらである。

その時期が長いので、「慣性」がついている。慣性がついて
いるから、急に態度や言動が変えられない。

長く伸びた「長」の尻尾に引っ張られるのである。

 現役時代の態度や言動を改められない。すると、もっとも
勢力の強い年中組から排斥され、いじめられる。

「あの野郎、なんだ、でかい面しやがって」ということになる。

「長」の尻尾のせいで、今は同じ立場であることがわからなく
なっている。そして、嫌われる。

そうすると行き場所がない。環状線か引き龍りになってしまう。

笑い話のように聞こえるであろうが、これが高齢者社会の現実
なのである。

以上。


厳しい話しである。


老後が存在し、余生を過ごすためには条件がある。

それは、社会構造の中に組み込まれて人生をおくって
きたか、そうでないかだろう。


森村氏は、このように「余生」定義をしている。

そう、職業人として、何十年もの年月を誰しも歯を食い
しばって頑張ってきたはずである。

余生を過ごすための条件をみたすための努力は、

自分からその日暮らしの職業を選んだ人や、あるいは
自分の意志で定職につかなかった人、自由と引き換えに
社会構造の中に組み込まれることを拒んだ人などが、
人生の折返点に至って、気づいたとしても、取り返し
ようのないことなのだと思った時、なんとも身震いする
思いである。

取り敢えずこの条件をクリアーした側に自分がいたとに、
僥倖を感じてやまない。

老後が存在し、余生を過ごすための条件、そう容易に
手に入れたわけではない。

その幸運を、精一杯、愛でなければ。

余生においては、心ゆくまで「何をしてもいい自由」を享受し、
現役時代をはるかに凌駕する実りある日々を、過ごしていき
たいものだ。

凡愚の人生に、有終の美を。


退職後の移住先

2010-08-14 10:10:43 | 老後
とあるブログで提供された話題である。


退職後の移住先、一番人気はスペイン=欧州調査
8月13日 01時15分

欧州の勤労者の4分の1が退職後は外国で暮らしたいと
考えており、移住先としてはスペイン、フランス、
イタリア、米国の人気が高いことが分かった。

調査は、エーオン・コーポレーションがベルギー、
デンマークなど10カ国の勤労者計7500人以上を
対象に実施。

それによると、退職後も自国で過ごしたいと回答した
人は英国人では半数に満たなかったのに対し、スペイン人
は87%と高い。

同社は「天候と関係があるのではないか」としている。

また、「安い旅費とインターネットを介したコミュニ
ケーション手段により、外国へ移住しても家族との距離
をあまり感じさせなくなった」とも指摘。

その上で、高齢化社会における外国への移住は、一部の国の
政府に社会政策や医療予算を見直しを迫ることになり得ると
話している。

*退職後に移住したい国は以下の通り。

1.スペイン  2.フランス  3.米国  4.イタリア

5.オーストラリア、ニュージーランドとその周辺

6.アフリカ  7.スイス  8.中南米  9.英国

10.オランダ

*退職後は自国で過ごしたい人の割合は以下の通り。

スペイン 86.8%  フランス 81.1%

デンマーク 73.6%  ノルウェー 63.4%

オランダ 61.4%   スイス 53%

アイルランド 49%   ドイツ 45.9% 

英国 42.7%

以上。

この記事を見て、大変面白く感じた。

スペインとイタリアが経済的状況にも関わらず
人気があるのは、不思議である。

また、ドイツの国民は、退職後45.9% の人しか
自国で過ごしたいと思わないことには、びっくりである。


ところで、わたしは、この前、ケアリー・レイチエル
を調べながら、気づいたことだが、ハワイの温暖な気候
に、びっくりした。


       1月   2月  3月  4月   5月  6月  
最高気温(℃) 23.9  24.2  24.9  25.7  26.9  27.3  
最低気温(℃) 19.6  19.6  19.9  21.4  22.8  23.8  
降水量(mm)  90.1  57.1  55.6  39.2  35.1  12.8  


        7月   8月  9月   10月   11月  12月
最高気温(℃)  27.9  28.8  28.0   27.3   26.0  24.7
最低気温(℃)  24.1  24.4  24.6   24.0  22.8  20.8 
降水量(mm)   15.0  11.1  19.8   53.7  76.0  96.4


冬の最低気温が、19.6。夏の最高気温が、28.8 である。

この温暖な地域で、ぜひ生活してみたいものだという思いが
募ってやまない。

クーラーは、ほとんどいらない。
ヒーターはもちろんいらない。

こんな場所で過ごしてみたいものだ。

医療費の申請

2010-07-23 00:00:05 | 老後
午前中、父親の重度心身障害者医療費の
申請に出かけた。

書類を見ているうちに、わたの名前が、
扶養義務者になっているのに、気づいて
驚いてしまった。


実態からすると、経済的には、わたしの方が、
被扶養者になっているのだ。

なにしろ、病気の父親の家に同居しているし、
母親と一緒になって、父親の資産で生活
しているようなものだからだ。

実に複雑な気分である。

それにしても、わたしが病気の時には、この
わたしの扶養義務者がいないという事実を
意識させられ、つらい気分になる。

こんな時には、さすがに、独身であったことに
後悔の念がわいてしまう。

もと職場に、多くの独身がいたが、彼らも
何時の日か、この現実に戸惑うことがある
のだろうか。

なんて、いろいろと思うことがあった。

が、時はすでに遅しである。


英国の高齢独居男性100万人に新たな社会問題化

2009-12-27 09:04:45 | 老後
ヤフーのニュースである。

英国で60歳以上の高齢独居男性の数が初めて100万人に達したことが、老人福祉団体「ヘルプ・ザ・エイジド(Help the Aged、高齢者助成会)」の調べで明らかになった。

このうち半数の50万人が「寂しさや孤立を感じる」と答えており、英国では寂しいお年寄り男性の増加が新たな社会問題となりそうだ。

高齢男性は同世代の女性と比較して、地域社会や家族との関係維持に苦慮する傾向がみられる。

高齢女性がサークル活動などの社会参加を楽しいと感じているのに対し、男性はこうした場に溶け込みづらいと感じていると、「ヘルプ・ザ・エイジド」の政策担当エイミー・スワン氏は語る。

スワン氏は、こうしたサークルは女性を対象としたものが多く男性が少数派となることから、男性に参加をためらわせていると指摘する。

さらに、離婚の増加による家庭崩壊も、高齢男性の孤立化の一因となっている。「ヘルプ・ザ・エイジド」の調べでは、孫に半年間も会っていない高齢男性は高齢女性の2倍もいるという。

こうした状況を受け、イバン・ルイス保健相も「平均寿命が延びる一方で、高齢者の間では認知症や心臓疾患が多く健康状態は良好とはいえない」と指摘。

高齢者ケアは21世紀の英国における「新たな児童保護」問題だと述べ、高齢者問題への注視を呼び掛けた。



高齢者問題は、先進国の共通の課題なのかも知れない。

長生きのリスクがこんなにもあったなんてね。

誰も想定していなかったなんてね。

それこそ、合成の誤謬だ。