人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

発想の転換

2011-01-24 06:50:52 | Weblog
 確かに今の政治を見る限り八方ふさがりのような状況だ。期待して選んだ民主党も蓋を開ければ
自民党と何ら変わらない権力闘争の明け暮れである。

 検察の執拗なまでの金と政治の問題を権力闘争の道具にしているのが、菅さんを中心とする一派と
自民党を中心とする野党だ。これでは国民のための政治などと言っても誰も信用はしない。政治不信
は、ますます募るばかりである。

 日本は未曾有の経済不況にある。長引く経済不況は国家財政にも大きな影を落としている。どの政党
が政権の座に着こうとも、この状況から容易に抜け出せるものではない。だから自民党が政権を放り
出したとも言えるのではなかろうか。

 国は金がなければ何も出来ない、何もしようとしない。しかし、本当に金がなければ何も出来ない
のだろうか。国を家庭に置き換えて見ると、どのように見えてくるのだろう。どう考えてみても金回り
の良かった昔のようには行かないのは理の当然だ。

 だったらどうすればよいのか。何だかんだと言ってはみても身の丈にあった生活に戻らなければ
ならないのではなかろうか。結局、こんな世の中にしてきたのは、そんなことも判断できないような
政治家を選んできた私達にも責任がある。

 日本は、高度経済成長で浮かれ浮かれてにわか成金になりきっていた。家の中には有り余るほどの
あぶく銭があったものだから、家族みんな後先のことも考えず使い放題使ってきた。当の財布の紐を
締めなければならない一家の主婦(自民党)までもが、まるで放蕩息子の如く国家財政を食い物にして
きた。

 その後の尻拭いをしているのが民主党だが、これもまたバブル時代の感覚が抜けきっていない。
銀行や国民から借金をしてまでも、今までと同じような生活をしようとしている。今は緊縮財政に
切り替えて借金を返すべき時ではないのだろうか。

 それを国債という未来の重い付けにして、あぶく銭を増やしているに過ぎない。それは徳川幕府の
ように一両小判の質を落としてまで、一両を一両半に変えようとしているのと同じ事だ。その程度の
事しか考えられないのだろうか。

 国家百年の計がない。確たるビジョンが全くない。しっかりとした将来計画が示されれば増税も
許されようが、何もなくては判断のしようがない。これは政権交代の問題ではなく、発想の転換の
問題だ。今の発想の延長上に何ら解決策はない。

 既に医療保険も年金保険も制度的には破綻している。それを隠しながら政権維持の道具にするのは
辞めて貰いたい。現状をきちんと説明し、今後をどうしていくべきか問うのが政治家の仕事ではない
だろうか。納入すべき国民が受け取る国民に比較して圧倒的に減少している現実を考えれば、今まで
の制度を維持していくのは無理だろう。

 団塊の世代と言われる高齢者が増えている。少子化と言われて久しい今日、これら高齢者を今までの
ような制度の中で面倒を見ていくことは困難だ。だったら、どうすべきか。今から真剣に議論を重ねて
いかなければ遅すぎる。

 何もかも発想を変えなければ出来ないことばかりである。色んな問題を抱えながら時は慌ただしく
流れていく。
コメント
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