詳しいことは今後の調査待ちであるが、厚生労働省の元局長だった村木
厚子さんの冤罪事件に関する報道について、次のような衝撃的なニュース
が流れた。
証拠品として押収されていたフロッピーディスクの日付が改竄されて
いたと言うのだ。このフロッピーディスクは裁判所には証拠品として
提出されなかったようであるが、提出されていようといまいと改竄が
あったとしたら重大な問題である。
何故、このような問題が生じたのか。私達のとうてい窺い知ることの
出来ない場所で行われた証拠隠滅事件である。このようなことが今までにも
行われてきたのか、あるいは今回だけの事なのか、それは分からない。
しかし、今までになかったとは言いきれない事件である。数々の冤罪
事件が生じ、罪もない人が罪人としての扱いを受け、罪人として獄に
つながれた人もいたはずで、かろうじて獄から逃れた人もいるのでは
なかろうか。
罪にはならなかったとは言え、社会的信用を著しく失墜したり、政治
生命を絶たれた人も少なくないのではなかろうか、そんなことが思われる
今回の事件である。
これは組織というものの中にあって本来はあってはならないことであるが
他の省庁と同じように功を焦るあまりのでっち上げ事件だと言えなくもない。
しかし、事は一般の省庁ではない。れっきとした三権分立の一方にある
厳正で中立的な立場でなければならない検察の中で生じたゆゆしき事件で
ある。私達庶民はいったい何を真実だと信じれば良いのだろうか。
そして、一方的に垂れ流される出所の明かでない報道にもさんざん
踊らされてきた。報道もまた厳正中立でなければならない。そしてその
記事を書いた人は責任を持たなければならない。きちんとした署名入り
の記事にするべきである。
視聴率だけを稼ぐための大衆を煽るような面白半分の報道は厳に慎む
べきである。報道関係者は、それぐらいの責任と気概を持って報道に
当たって貰いたい。出所の明かでないニュースは流すべきではない。
更に言うなら評論家も然りである。評論家の言葉によって妙に歪んだ
イメージを抱いた聴衆も少なくないはずである。
そして、ニュースを受け取る私達も真実を見極める目を持たなければ
ならない。事実無根の報道や事件に惑わされることなく、真実を見極める
目を持たなければならないと思うのである。
再び、小沢一郎氏の土地購入代金の入手先を巡って新たに編成された
検察審査会が小沢氏本人から事情聴取を行い審議を行っている。この事件
は小沢氏が購入したとされる土地登記の期日ズレを疑う検察庁が収賄容疑
として取り上げたものである。
一方、これは農地から宅地への書き換えに必要だった単なる期日ズレだと
一部では報道されている。真偽のほどは、いずれ明らかになるであろう。
東京地検はこの件に関しての小沢氏の関与に関しては、立件が不可能
として起訴を断念した。それにも関わらず検察審査会が何度も開かれる
という異常事態になっている。検察が立件できるだけの証拠がないと言う
ものを果たして厳正であるべき裁判で審理できるのであろうか。
また、検察審査会に、検察に対して裁判に持ち込めと言う権力が付与
されているのだろうか。検察審査会の任務を大きく逸脱しているように
思えてならないのである。
政治や経済、そして社会問題が私達の未来に暗い影を落としている。
その上に厳正中立であるべき司法までもが、犯罪を犯したとなれば世も
末である。戦前の逃げ場のない特高警察と同じような社会情勢が現実の
ものとなりつつあることに慄然とせざるを得ない。
村木問題に関しては最高検の内部調査を待ちたい。大阪地検は今回の
不祥事を認めると共に村木局長の控訴を断念した。そして当の主任検事
だった前田恒彦は逮捕された。
前田主任検事の逮捕だけでなく検察内部に組織的な問題があるのなら
この際、徹底的に原因を究明し内部浄化に努めて貰いたい。これは日本
国内だけの問題ではない。日本という国は、日本の司法は、この程度の
ものなのかと世界に笑われることになってしまう。そのことの方がよほど
恐ろしいことである。
今また、尖閣列島の問題が大きくクローズアップされている。この問題
もまた曖昧な決着ではなく、毅然たる態度で国民にも中国にも納得行く
ような解決を望みたい。今までの日本政府の態度は何事に寄らず曖昧で
あった。最早、この時代にあって自民党時代のような曖昧な態度は許され
ない。
私の住んでいる児島には中国から働きに来ている人がたくさんいる。
だからと言って誰一人、中国人に石を投げるような人はいない。こうした
事実も中国向けに報道すべきではなかろうか。それが成熟した社会であり
国際的なルールだと言うことを毅然として主張すべきである。あたら事態
の拡大を恐れる余り主張すべき事まで差し控えるのは良くない。
厚子さんの冤罪事件に関する報道について、次のような衝撃的なニュース
が流れた。
証拠品として押収されていたフロッピーディスクの日付が改竄されて
いたと言うのだ。このフロッピーディスクは裁判所には証拠品として
提出されなかったようであるが、提出されていようといまいと改竄が
あったとしたら重大な問題である。
何故、このような問題が生じたのか。私達のとうてい窺い知ることの
出来ない場所で行われた証拠隠滅事件である。このようなことが今までにも
行われてきたのか、あるいは今回だけの事なのか、それは分からない。
しかし、今までになかったとは言いきれない事件である。数々の冤罪
事件が生じ、罪もない人が罪人としての扱いを受け、罪人として獄に
つながれた人もいたはずで、かろうじて獄から逃れた人もいるのでは
なかろうか。
罪にはならなかったとは言え、社会的信用を著しく失墜したり、政治
生命を絶たれた人も少なくないのではなかろうか、そんなことが思われる
今回の事件である。
これは組織というものの中にあって本来はあってはならないことであるが
他の省庁と同じように功を焦るあまりのでっち上げ事件だと言えなくもない。
しかし、事は一般の省庁ではない。れっきとした三権分立の一方にある
厳正で中立的な立場でなければならない検察の中で生じたゆゆしき事件で
ある。私達庶民はいったい何を真実だと信じれば良いのだろうか。
そして、一方的に垂れ流される出所の明かでない報道にもさんざん
踊らされてきた。報道もまた厳正中立でなければならない。そしてその
記事を書いた人は責任を持たなければならない。きちんとした署名入り
の記事にするべきである。
視聴率だけを稼ぐための大衆を煽るような面白半分の報道は厳に慎む
べきである。報道関係者は、それぐらいの責任と気概を持って報道に
当たって貰いたい。出所の明かでないニュースは流すべきではない。
更に言うなら評論家も然りである。評論家の言葉によって妙に歪んだ
イメージを抱いた聴衆も少なくないはずである。
そして、ニュースを受け取る私達も真実を見極める目を持たなければ
ならない。事実無根の報道や事件に惑わされることなく、真実を見極める
目を持たなければならないと思うのである。
再び、小沢一郎氏の土地購入代金の入手先を巡って新たに編成された
検察審査会が小沢氏本人から事情聴取を行い審議を行っている。この事件
は小沢氏が購入したとされる土地登記の期日ズレを疑う検察庁が収賄容疑
として取り上げたものである。
一方、これは農地から宅地への書き換えに必要だった単なる期日ズレだと
一部では報道されている。真偽のほどは、いずれ明らかになるであろう。
東京地検はこの件に関しての小沢氏の関与に関しては、立件が不可能
として起訴を断念した。それにも関わらず検察審査会が何度も開かれる
という異常事態になっている。検察が立件できるだけの証拠がないと言う
ものを果たして厳正であるべき裁判で審理できるのであろうか。
また、検察審査会に、検察に対して裁判に持ち込めと言う権力が付与
されているのだろうか。検察審査会の任務を大きく逸脱しているように
思えてならないのである。
政治や経済、そして社会問題が私達の未来に暗い影を落としている。
その上に厳正中立であるべき司法までもが、犯罪を犯したとなれば世も
末である。戦前の逃げ場のない特高警察と同じような社会情勢が現実の
ものとなりつつあることに慄然とせざるを得ない。
村木問題に関しては最高検の内部調査を待ちたい。大阪地検は今回の
不祥事を認めると共に村木局長の控訴を断念した。そして当の主任検事
だった前田恒彦は逮捕された。
前田主任検事の逮捕だけでなく検察内部に組織的な問題があるのなら
この際、徹底的に原因を究明し内部浄化に努めて貰いたい。これは日本
国内だけの問題ではない。日本という国は、日本の司法は、この程度の
ものなのかと世界に笑われることになってしまう。そのことの方がよほど
恐ろしいことである。
今また、尖閣列島の問題が大きくクローズアップされている。この問題
もまた曖昧な決着ではなく、毅然たる態度で国民にも中国にも納得行く
ような解決を望みたい。今までの日本政府の態度は何事に寄らず曖昧で
あった。最早、この時代にあって自民党時代のような曖昧な態度は許され
ない。
私の住んでいる児島には中国から働きに来ている人がたくさんいる。
だからと言って誰一人、中国人に石を投げるような人はいない。こうした
事実も中国向けに報道すべきではなかろうか。それが成熟した社会であり
国際的なルールだと言うことを毅然として主張すべきである。あたら事態
の拡大を恐れる余り主張すべき事まで差し控えるのは良くない。