人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

急がず焦らず

2010-08-19 06:15:35 | Weblog
 韓国も日本に負けず劣らず競争社会のようである。先日、NHK主催の
韓国と日本の若者の討論会を見ていた。その時のコメンテーターの一人
だったローソンの社長の言葉に何だか物足りなさを感じたのは私だけで
あったろうか。

 社長の言葉は、今は経済的な過渡期であり今後の行方を模索中である。
決して今までの経済のあり方が正しかった訳ではないと言いながらも
反省の言葉も今後のあり方についての具体的なコメントもなかった。

 この発言は過激な競争社会の中で韓国でも日本でも自殺者が非常に
多いということを踏まえての発言だったように思う。

 しかし、過激な経済競争のあり方に問題があるとしながらも、原因で
ある経済のあり方そのものには全く触れていなかった。本当に今までの
ような経済のあり方で良いのだろうか。

 先日も企業の第一線で活躍してきた同世代の人と話していて、彼も私と
同じようなことを考えていたので意外であった。いわゆる勝ち組としての
彼の歩んできた人生を振り返ってみても、今までの経済のあり方や今後の
経済のあり方については、大いなる疑問と懸念を抱いているようであった。

 地球は全ての点において有限である。各国の寄港地に立ち寄りながらも
わずか100日余りで一周出来るくらい地球は小さな天体である。この
小さな天体に60億人以上もの人が住んでいて、その上、開発途上国と
称する巨大国家、中国やインドは非常なスピードで経済発展を続けている。
未開発の資源はまだ残っているとは言いながらいずれ限界は来るはず
である。

 いつまでも今以上は続かないはずである。江戸時代の徳川300年間は
ほとんど経済発展らしきものはなかった。それでも人々は生きてきた。
坦々として変わらぬ日々を過ごしてきた。昨日より今日があった訳ではない。
昨日も今日も明日も変わらぬ同じ日々の繰り返しであった。

 何故、昨日より今日がなければならないのだろう。私たち世代が子ども
だった頃を思い出してみよう。大人達は生活に追われていたかも知れないが
子ども達は変わらぬ日々を坦々と過ごしていた。昨日より明日だ等と考えた
ことなどあったであろうか。

 本当はそれで良いのではないだろうか。平和に家族が健康で和気藹々と
日々を過ごすことが出来、寿命が尽きれば死んでいく。その繰り返しの日々
が人間という種の進化の歴史の大半を占めていた。今の方がよほど異常な
社会であることに気付くべきではないだろうか。

 競争社会の果てに何が待っていたのか。それが先進国と言われる国々が
それぞれに抱えている様々な問題ではなかろうか。こうした諸問題は政治
体制を変えただけでは変わらない。それは私たち自身の生き方、思想に
関わる問題だからである。

 政治も経済も問題は山積している。にも関わらずそれらの問題を置き
去りにしたまま、なおも今日よりは明日を目指している。

 環境問題もいよいよ終局を迎えつつあるような気がしてならない。
この夏の暑さを異常だと感じない人はいないだろう。ほんの十数年前まで
は30度を超したら猛暑だと報じていた。昨今は30度を超えただけでは
猛暑とは言わなくなってしまった。

 人間の体温を超えるような日々が続いている。私たちの進化のスピード
を遙かに超えたスピードで気象環境は変化している。モスクワで30度を
超す日々が続き、周辺の森林では火災が相次いでいる。

 大きな変化の見られなかった南極もやがて変化の時を迎えるのではない
かと言われている。氷は0度で凍るが少しでも0度を超えると急速に溶け
始める。その日が来るのも近いような気がしてならない。

 いつまでも変化のない同じ日々の繰り返しだった子どもの頃を懐かしく
思い出している。人生の終着点を目前にしながら、こんな時代に巡り合わせた
ことを何と考えれば良いのだろうか。
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