人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

ゴミ問題を考える

2010-03-31 16:27:21 | Weblog
 私は今、倉敷市に於ける環境行政の一翼を担う「倉敷市環境基本政策策
定市民委員会」の一員として活動を続けている。仕事はボランティアであり
始まったばかりである。

 これは市民目線での今後の倉敷市の環境行政がどうあるべきかという
指針を作る仕事である。いわば、環境問題に関しては、将来はこうであって
欲しいという願望を絵に描き、それに道筋を付けるようなものであろうか。

 多くは素人の集まりである。従って専門的な知識を持ち合わせている
訳ではない。しかし、一市民として今の環境がどのような状況にあり
今後どのようにあるべきかという問題意識だけは持っている。

 そこで考えられるのは私達の生き方の問題である。私が環境問題を語る
とき、常に頭の片隅にあるのは私達の生き方を変えなければ抜本的な解決
にはならないと言うことである。

 世間では昔に戻れと言う。しかし、これほど便利な世の中を一度体験して
しまうと、これを捨てるのは容易なことではない。しかし、そうしなければ
解決できそうもないのも事実である。

 では、どうすべきか、ある程度のことは今の環境行政の中で解決できる
かも知れない。それは資源ゴミと呼ばれている空き瓶や空き缶や古紙の
回収である。

 しかし、日々出てくる家庭ゴミの多くは分別収集に向かないものである。
その一つが生ゴミであり、各種の包装材である。過剰とも思えるような
包装が、その日に消費してしまうようなものにまで使われている。衛生と
見た目の美しさであろうか。

 私達が幼い頃、冷蔵庫はなかった。あっても店や特別な家庭であった。
従って、余分なものを買い置きするような習慣がなかった。常に使いきり
が基本であった。

 お米も炊いたら一粒残らず食べていた。夏のことなら匂いがするような
ものでさえ熱い白湯をかけ、すすぎ洗いをしながら食べていた。更に残れば
洗濯糊の代わりになっていた。

 野菜や残り物は犬や猫、果てまた鶏の餌になっていた。生ゴミは残らない
ようになっていた。豆腐は駕籠を持って買いに行き、酒も量り売りを買って
いたし、みそは入れ物を醤油は一升瓶を持って買いに行っていた。

 近所にはスーパーなどと言うものはなく、全ては単品を売る店であった。
街中の商店が集まれば今のスーパーと同じ機能であった。店同士は互いに
売り買いの中で支え合って生きてきた。

 こうしたシステムの中に過剰包装の入る余地はなかったのである。包み
紙の主役は古新聞であった。古紙の回収などと言う手間は必要なかった。

 食事は薪や炭で作り、暖房も炭や後には練炭であり豆炭であった。これも
ほとんどは使い切りのものであった。炭駕籠は焚き火に使っていた。

 倉敷市のようにゴミの回収や焼却に70数億という費用など必要なかった
のである。むろん燃やさないからダイオキシンなどと言う心配もなかった。

 江戸の町の生活が窮屈な暗い生活だったろうか。描かれている浮世絵の
多くは大らかな人生讃歌である。暗さは微塵も感じられない。それどころか
季節季節に応じた行事が華やかに散りばめられ、人々は自然との共生を
大いに楽しんでいた。

 今の世に、そのような豊かさや大らかさがあるだろうか。ただただお金に
翻弄され日々汲々として追いまくられているだけではなかろうか。環境を
考えるとき、生活レベルは下げても質を落とそうと言うのではない。

 それなりの豊かさを感じつつ自然に優しい生き方をしていこうという
提言である。時あたかも「降りてゆく生き方」という映画が日本各地で
上映され続けている。この映画の中にこそこれからの生き方のヒントが
隠されているのではないだろうか。

 自然を壊す生き方ではなく、自然に寄り添うような生き方が求められて
いる。

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