先日、田舎暮らしを選んだ若い人の話を聞いた。一年間の生活費用が
僅かに30万円だという。その生活はどのような生活なのだろう。むろん
彼は独身のようであって、彼以外に生活費を必要とするような家族は
いないようである。
聞けばほとんどが自給自足であり、使う道具類の手入れは全て自分の
手でするのだと話していた。彼にあるのはお金ではなく、有り余るほどの
時間である。その時間の全ては自分のために使うことが出来る時間である。
会社勤めをしていたのでは、こうはいかない。睡眠時間以外の半分以上
は仕事に拘束されている。自分の時間と言えば実に僅かな時間しかない。
それも大半は雑用に追われる時間であって、趣味など自分が好き勝手に
使える時間は皆無に近いのではなかろうか。
日本人は実に勤勉な国民である。仕事が趣味のような人もいるし、仕事
に生きがいを感じている人も少なくない。それはそれで良いだろう。
しかし、仕事の成果がなかなか見えにくい時代である。従って、一般的
に仕事に生きがいを見出すことは難しい。
今日、成果が見える仕事と言えば、唯一、第一次産業である農林業かも
知れない。畑や田んぼと言った身近な仕事場で間近に作物の成長を眺める
のは実に楽しいものである。
ましてや実った作物を目の当たりにすることほど喜びに満ちたものは
ない。時間は自分のために使っているようなものである。
私は定年になって初めて自分の自由に出来る時間を手にすることが
出来た。在職中の半分以上を労組の執行委員として過ごしてきたから
現役時代は一人で二役をこなしてきた。とても時間的な余裕などなかった。
実はそのはずなのだが、執行委員という立場もあって、残業はほとんど
しなかったし、有給休暇も完全消化をしてきた。だから趣味もほどほどに
楽しめたのかも知れない。
それでも一日の大半は会社に拘束されていたのだから、時間は自分の
ものではなかった。こうして定年後も5年を経過してみると、時間の全ては
自分のために使っているわけで、どんなに忙しくても充実している。
忙しいのは誰かから命じられているのではなく、自分自身の裁量の中で
そのようにしてきたものである。今はある意味、会社勤務時代より忙しい
かも知れない。
文化活動、環境活動、趣味の農作業、そして近年始めた活動弁士などが
ある。月初めには空白の多かったカレンダーも瞬く間に埋まってしまう
ような状況が続いている。これも夫婦ともに健康であればこそ出来ること
だと日頃から感謝している。
さて、その時間であるがお金には代えがたいものである。お金を選ぶか
時間を選ぶかは個々人の考えによるものではあるが、もう一度、初めに
紹介した青年に戻って考えたい。
人間の一生は誰もが同じである。金持ちや社会的に地位が上の人だけに
持ち時間が多いわけではない。
昨今、仕事や人間関係に疲れて精神的に病む人が少なくない。誰のため
の人生だろうか。もっと自由に生きてみるのも選択肢の中に入れても良い
のではなかろうか。
私の実体験を通して考えてみれば、どのように生きても人の一生は一生
である。だったら、もっと自由に生きてみるのも、もう一つの選択ではない
だろうか。
その選択は東京のような大都会にはない。日本中のありふれた田舎に
こそ残っている。田舎へ帰ろう。田舎に帰って自分自身の人生を生きて
みよう。これが人生の先輩からの経験的に言えるアドバイスである。
人には二物を同時に得ることは出来ない。同時に二つの人生を生きる
ことは出来ない。そして、一つが充実すれば一つは捨てることになる。
みんなが手にすることが出来るもの、それは誰しもが同じだと言うこと
である。
僅かに30万円だという。その生活はどのような生活なのだろう。むろん
彼は独身のようであって、彼以外に生活費を必要とするような家族は
いないようである。
聞けばほとんどが自給自足であり、使う道具類の手入れは全て自分の
手でするのだと話していた。彼にあるのはお金ではなく、有り余るほどの
時間である。その時間の全ては自分のために使うことが出来る時間である。
会社勤めをしていたのでは、こうはいかない。睡眠時間以外の半分以上
は仕事に拘束されている。自分の時間と言えば実に僅かな時間しかない。
それも大半は雑用に追われる時間であって、趣味など自分が好き勝手に
使える時間は皆無に近いのではなかろうか。
日本人は実に勤勉な国民である。仕事が趣味のような人もいるし、仕事
に生きがいを感じている人も少なくない。それはそれで良いだろう。
しかし、仕事の成果がなかなか見えにくい時代である。従って、一般的
に仕事に生きがいを見出すことは難しい。
今日、成果が見える仕事と言えば、唯一、第一次産業である農林業かも
知れない。畑や田んぼと言った身近な仕事場で間近に作物の成長を眺める
のは実に楽しいものである。
ましてや実った作物を目の当たりにすることほど喜びに満ちたものは
ない。時間は自分のために使っているようなものである。
私は定年になって初めて自分の自由に出来る時間を手にすることが
出来た。在職中の半分以上を労組の執行委員として過ごしてきたから
現役時代は一人で二役をこなしてきた。とても時間的な余裕などなかった。
実はそのはずなのだが、執行委員という立場もあって、残業はほとんど
しなかったし、有給休暇も完全消化をしてきた。だから趣味もほどほどに
楽しめたのかも知れない。
それでも一日の大半は会社に拘束されていたのだから、時間は自分の
ものではなかった。こうして定年後も5年を経過してみると、時間の全ては
自分のために使っているわけで、どんなに忙しくても充実している。
忙しいのは誰かから命じられているのではなく、自分自身の裁量の中で
そのようにしてきたものである。今はある意味、会社勤務時代より忙しい
かも知れない。
文化活動、環境活動、趣味の農作業、そして近年始めた活動弁士などが
ある。月初めには空白の多かったカレンダーも瞬く間に埋まってしまう
ような状況が続いている。これも夫婦ともに健康であればこそ出来ること
だと日頃から感謝している。
さて、その時間であるがお金には代えがたいものである。お金を選ぶか
時間を選ぶかは個々人の考えによるものではあるが、もう一度、初めに
紹介した青年に戻って考えたい。
人間の一生は誰もが同じである。金持ちや社会的に地位が上の人だけに
持ち時間が多いわけではない。
昨今、仕事や人間関係に疲れて精神的に病む人が少なくない。誰のため
の人生だろうか。もっと自由に生きてみるのも選択肢の中に入れても良い
のではなかろうか。
私の実体験を通して考えてみれば、どのように生きても人の一生は一生
である。だったら、もっと自由に生きてみるのも、もう一つの選択ではない
だろうか。
その選択は東京のような大都会にはない。日本中のありふれた田舎に
こそ残っている。田舎へ帰ろう。田舎に帰って自分自身の人生を生きて
みよう。これが人生の先輩からの経験的に言えるアドバイスである。
人には二物を同時に得ることは出来ない。同時に二つの人生を生きる
ことは出来ない。そして、一つが充実すれば一つは捨てることになる。
みんなが手にすることが出来るもの、それは誰しもが同じだと言うこと
である。
実は私も47回クルーズに乗船していて、
今日たまたまこのHPを拝見させて頂きました。
懐かしい思い出が蘇って、また明日から頑張ろうと思えました。ありがとうございます。
(アップされた画像の中に私の姿もあって笑ってしまいました!)
とか。懐かしいですね。差し支えなければ
メール下さいませんか。
私達夫婦の人生を変えたのも47回クルーズ
でした。思い出深い旅行でした。そして、今も
多くの方々との交流が続いています。
今後も引き続きご愛読をお願いいたします。
楽しめたのかも知れない。
とても心に響く文章だったので、涙が零れてしまいました。
死ねばいいのに。