人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

日本人拉致殺害

2008-08-30 06:27:10 | Weblog
 昨日までは、何となくはっきりしないお天気が続いていた。私達が
住んでいる地域だけが取り残されたように長く雨が降らなかった。
「晴れの国おかやま」を恨めしく思ったものだ。

 ところが一変して金曜日には滝のような雨が降った。雷もすごかった。
停電にもなった。時間にすれば数秒もの太い稲光があって雷鳴が部屋を
振るわせた。子育てサロン「プーさん」を開いている時だった。小さな
子どもは少しだけ怖がっていたようだ。

 そして土曜日も朝から振っていた。しとしとと大地を潤すような雨だ。
これで岡山県西部や香川県の水不足は解消されるだろうか。東海から
関東にかけては連日の豪雨で大きな被害が出ているようだ。誠に気の毒
なことである。

 何しろ自然の力は偉大である。ちょっとした気圧配置の関係だけで
汲み上げた太平洋の水を日本列島に一気に放出している。その水は
膨大な量である。とても人間の力の及ぶものではない。もっと人間は
自然の力に対し恐れを抱き敬うべきではなかろうか。

 からからに乾ききっていた山も少しは潤ったことであろう。乾燥
には比較的強いと思われる山の自然だが、さすがに木の一部は枯れ
始めていた。恐らく限界に近い状態だったのではあるまいか。

 木は体から水分が蒸発するのを抑えるために葉を落としながら自分
の命を守っている。けなげなものである。あの膨大な木々を擁する
山が一度に枯れてしまわないのは実に不思議である。そこには何か
木々同士がお互いに助け合う不思議な仕組みがあるに違いない。

 しかし、こうした中でも点々と赤く枯れた木が目立つ。ほとんどは
西日本に多い赤松である。大半の枯れ死は酸性雨によるものと思われる。
この枯れ死をなおもマツノザイセンチュウによるものだとして農薬の
散布をやめない人がいる。

 松は酸性雨が降るのを止めない限り絶対に生き残れない。害虫は
松が酸性雨で弱ったから簡単に入り込んでくるだけのことである。


 残念ながら最悪の結末を迎えてしまった。アフガニスタンで武装
グループに拉致された日本の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」
の伊藤和也さんが遺体で発見された。

 アフガンの復興に我が身をささげ、志半ばで命を絶たれた無念さは
いかばかりであろうか。私達も無念でならない。いつの時代でもこの
ような狭い了見にとらわれた人によって尊い命が絶たれることは少なく
ない。伊藤さんのような人は村人にとって神様のような存在であったに
違いない。

 こうした犠牲を払ってでも誰かのために身を捧げるというのは日本人
が古くから持っていた素晴らしい気質である。その気質は特攻隊員
として大空や大海原に散っていった若者達の気持ちに通ずるものがある。

 伊藤さんは現地に乗り込んだときから覚悟を決めていたのかも知れ
ない。心からご冥福をお祈りしたい。そして、この事件に恐れること
なく第二、第三の伊藤さんが出ることを願っている。

 第二次世界大戦後、日本人は色んな形で国際貢献をしてきた。政府
の行ってきたとかく批判の多いODAだが、この事業で長く海外に
滞在した日本人も少なくない。

 ODAの趣旨や中身はともかく、長く家族と離れ単身で現地に乗り
込み国際貢献をしてきた私達世代の人は実に多い。また、青年海外
協力隊の隊員として男女を問わず多くの若者が海外に進出している。
平和国家日本だから出来ることでもあるが、何よりも隊員一人一人の
尊い気持ちがあるからこそ出来ることである。

 今の時代、自分のことには一生懸命であっても「誰かのために」と
言うことは少ない。人は「誰かのために」と思うときほど大きな力を
発揮できるものである。どうかこの「誰かのために」と思う気持ちを
忘れないで欲しいと思う。

 かくゆう私も長く労組の役員として何の報酬もなく組合員のために
尽くしてきた。しかし、振り返ってみれば「誰かのために」は、実は
「自分のために」でもあったような気がする。

 「だれかのために」やってきたことが、実は自分自身の成長に繋がった
ような気がしている。「一人は万人のため、万人は一人のために」と
いう言葉を思い出す。

 

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