干ばつの年
とにかく暑い。そして雨が降らない。今年は例年より早い梅雨明け
であった。そして梅雨と言っても雨らしい雨が降ったのはわずか。
これでは完全に干ばつになりかねない年である。
幸いにして干ばつにならないのは農業用水の確保が出来ていること
と、稲作農家が激減したからに他ならない。私の住んでいるところでも
稲作を行っている農家は皆無となってしまった。と言うより農家その
ものがなくなってしまった。
使われることのなくなった溜め池だけが残されている。稲作農家が
ないのに溜め池だけが何故埋め立てられもせず残されているのだろうか。
考えてみれば不思議なことである。
ここ児島地域は山一つで高梁川水系から隔てられている。従って、
稲作を昔通り続けていたら、きっと水不足が生じていたに違いない。
溜め池には水が蓄えられているというのに、この水は回ってこない。
畑を作っている大半の人は、もともと水利権のない家庭菜園の人で
ある。しかも昔使われていた水路の大半は壊れてしまったり、目的
とは異なるただの排水溝になってしまったからだ。
従って、我が家の山畑も上流に立派な溜め池があるにも関わらず、
水道を使っている。農業用水さえあれば、どんなに便利で助かること
であろうか。
(このブログを書きかけの時、各地に被害をもたらしたというにわか
雨がほんの少し降った。お陰で涼しい夜を過ごす事が出来た。自然の
力はすごい。
孫の成長
先日、神戸へ嫁いだ娘のところへ行ってきた。団地横の坂を少し
上れば海が見えるような高台である。都会とは言え風が吹き我が家
よりよほど涼しい。背後には六甲山系が横たわっている。従って、
海風や山からの吹き下ろす風が常に吹いているからであろうか。
孫の玄は二歳七ヶ月、片言ながら話が出きるようになり母親となら
立派に意志疎通が出来る。いやなものはいやとはっきり言う。我が
儘にもなってきた。自己主張も出来るし、甘えどころも知っている。
私達夫婦(おじいちゃん、おばあちゃん)が行くと母親が叱らない
ことも分かっていて我が儘言い放題。巧みに母親の顔色を見て判断
する知恵も付いているようだ。実に子どもの成長は早い。
私達が訪れたとき、夏風邪と思われる微熱が続いていた。しかし、
私達の顔を見るとすっかり興奮してしまい、興奮は夜になっても
収まらず、夜中には何度も起きては寝言を繰り返していた。
その興奮も私達が帰った夜はすっかり収まってぐっすりと寝たとか。
やはり、久々におじいちゃんやおばあちゃんの顔を見てうれしかった
のだろうか。今は微熱の方も下がりすっかり元気になったとか。
久々に活弁を
さて、私達は青春十八切符を買って広島へ日帰り旅行をしてきた。
活弁士「佐々木亜希子」さんの活弁公演を見るために広島市映像文化
ライブラリーへ行って来た。昨年も同じ頃、予定していたのだが
息子達が帰ってくると言うことで果たせなかった事である。
この日、午後からの公演は子ども達のワークショップの発表と、
その後で佐々木さんの活弁公演があった。称して「夏休み活弁ワーク
ショップ」と「夏休み活弁シアター」。
中学生を含む子ども達の活弁は「ちびっ子ギャング」と「月世界旅行」
前日の脚本作りと練習の成果だと言うことだったが、なかなかどうして。
立派な出来映えであった。妙な気負いもなく淡々と語る語り口は先生
の佐々木亜希子流とでも言おうか。
聞けば昨日はなかなか台本が出来ず、半ばアドリブで行こうかと
考えていたとか。ところが役割を決め何度か繰り返し見ている内に
次第に形あるものになっていったのだとか。子ども達の頭の中には
すっかり映像が収まってしまい、無理なく自然体で台詞が作られて
いったとの事であった。子ども達の形にとらわれない集中力なので
あろうか。
昨年も参加した子が何人かいたようで、この面白さが分かって
くると大人でも活弁にはまってしまう。
さて、佐々木さんの公演は「伊豆の踊子」であった。この映画、
無声映画以外にも何度も映画化されている。この無声映画の主役は
田中絹代。若くして結婚をしていた頃の作品だというのに、女優の
何と初々しい事であろうか。
戦前の映画にも関わらず、愛する思いを隠そうともしない少女の
積極さ、古さを感じさせない演出である。決して控えめではなく、
好きは好きというその姿は清純でもあり清々しい。
また全体の演出も良く、これはこれで立派な映画であった。無声
映画の初期のものとは異なり、アップもあり低いアングルでの撮影
もあって、現代にも十分通用する立派な映画であった。大半が野外
ロケというのも良い。当時の伊豆を知る上で貴重な映像だ。
さて、佐々木亜希子さんの語りであるが、低い男性の声と愛くる
しい踊り子の声とのコントラストがすごく良い。佐々木さんの語りの
最大の特徴であり魅力ではないだろうか。
会場の大半は私より年輩者であったが、さぞ満足であったろう。
帰りには挿入歌を口ずさんでいる人もいたくらいである。活弁は
最初、弁士にばかり目がいくようであるが、次第に映画の中に引き
込まれていく。そして、終わってみれば一人の女性弁士が語って
いたと言うことになるわけで、この日の大方の感想もこのようで
あった。やはり弁士の語りの上手さと言うことになるのだろうか。
映画が終わって同センターの人と歓談をし、その後、佐々木さん達
一行三人と市内で少し早めの夕食を共にして別れた。八月は目が回る
ような忙しさとか。とにかく体を壊さないようにがんばって欲しい。
そして、11月4日(火)夕方の第4回児島活弁シネマライブには
元気な姿で出演して貰いたい。演ずる映画は「第七天国」(外国映画)
である。お楽しみに。
とにかく暑い。そして雨が降らない。今年は例年より早い梅雨明け
であった。そして梅雨と言っても雨らしい雨が降ったのはわずか。
これでは完全に干ばつになりかねない年である。
幸いにして干ばつにならないのは農業用水の確保が出来ていること
と、稲作農家が激減したからに他ならない。私の住んでいるところでも
稲作を行っている農家は皆無となってしまった。と言うより農家その
ものがなくなってしまった。
使われることのなくなった溜め池だけが残されている。稲作農家が
ないのに溜め池だけが何故埋め立てられもせず残されているのだろうか。
考えてみれば不思議なことである。
ここ児島地域は山一つで高梁川水系から隔てられている。従って、
稲作を昔通り続けていたら、きっと水不足が生じていたに違いない。
溜め池には水が蓄えられているというのに、この水は回ってこない。
畑を作っている大半の人は、もともと水利権のない家庭菜園の人で
ある。しかも昔使われていた水路の大半は壊れてしまったり、目的
とは異なるただの排水溝になってしまったからだ。
従って、我が家の山畑も上流に立派な溜め池があるにも関わらず、
水道を使っている。農業用水さえあれば、どんなに便利で助かること
であろうか。
(このブログを書きかけの時、各地に被害をもたらしたというにわか
雨がほんの少し降った。お陰で涼しい夜を過ごす事が出来た。自然の
力はすごい。
孫の成長
先日、神戸へ嫁いだ娘のところへ行ってきた。団地横の坂を少し
上れば海が見えるような高台である。都会とは言え風が吹き我が家
よりよほど涼しい。背後には六甲山系が横たわっている。従って、
海風や山からの吹き下ろす風が常に吹いているからであろうか。
孫の玄は二歳七ヶ月、片言ながら話が出きるようになり母親となら
立派に意志疎通が出来る。いやなものはいやとはっきり言う。我が
儘にもなってきた。自己主張も出来るし、甘えどころも知っている。
私達夫婦(おじいちゃん、おばあちゃん)が行くと母親が叱らない
ことも分かっていて我が儘言い放題。巧みに母親の顔色を見て判断
する知恵も付いているようだ。実に子どもの成長は早い。
私達が訪れたとき、夏風邪と思われる微熱が続いていた。しかし、
私達の顔を見るとすっかり興奮してしまい、興奮は夜になっても
収まらず、夜中には何度も起きては寝言を繰り返していた。
その興奮も私達が帰った夜はすっかり収まってぐっすりと寝たとか。
やはり、久々におじいちゃんやおばあちゃんの顔を見てうれしかった
のだろうか。今は微熱の方も下がりすっかり元気になったとか。
久々に活弁を
さて、私達は青春十八切符を買って広島へ日帰り旅行をしてきた。
活弁士「佐々木亜希子」さんの活弁公演を見るために広島市映像文化
ライブラリーへ行って来た。昨年も同じ頃、予定していたのだが
息子達が帰ってくると言うことで果たせなかった事である。
この日、午後からの公演は子ども達のワークショップの発表と、
その後で佐々木さんの活弁公演があった。称して「夏休み活弁ワーク
ショップ」と「夏休み活弁シアター」。
中学生を含む子ども達の活弁は「ちびっ子ギャング」と「月世界旅行」
前日の脚本作りと練習の成果だと言うことだったが、なかなかどうして。
立派な出来映えであった。妙な気負いもなく淡々と語る語り口は先生
の佐々木亜希子流とでも言おうか。
聞けば昨日はなかなか台本が出来ず、半ばアドリブで行こうかと
考えていたとか。ところが役割を決め何度か繰り返し見ている内に
次第に形あるものになっていったのだとか。子ども達の頭の中には
すっかり映像が収まってしまい、無理なく自然体で台詞が作られて
いったとの事であった。子ども達の形にとらわれない集中力なので
あろうか。
昨年も参加した子が何人かいたようで、この面白さが分かって
くると大人でも活弁にはまってしまう。
さて、佐々木さんの公演は「伊豆の踊子」であった。この映画、
無声映画以外にも何度も映画化されている。この無声映画の主役は
田中絹代。若くして結婚をしていた頃の作品だというのに、女優の
何と初々しい事であろうか。
戦前の映画にも関わらず、愛する思いを隠そうともしない少女の
積極さ、古さを感じさせない演出である。決して控えめではなく、
好きは好きというその姿は清純でもあり清々しい。
また全体の演出も良く、これはこれで立派な映画であった。無声
映画の初期のものとは異なり、アップもあり低いアングルでの撮影
もあって、現代にも十分通用する立派な映画であった。大半が野外
ロケというのも良い。当時の伊豆を知る上で貴重な映像だ。
さて、佐々木亜希子さんの語りであるが、低い男性の声と愛くる
しい踊り子の声とのコントラストがすごく良い。佐々木さんの語りの
最大の特徴であり魅力ではないだろうか。
会場の大半は私より年輩者であったが、さぞ満足であったろう。
帰りには挿入歌を口ずさんでいる人もいたくらいである。活弁は
最初、弁士にばかり目がいくようであるが、次第に映画の中に引き
込まれていく。そして、終わってみれば一人の女性弁士が語って
いたと言うことになるわけで、この日の大方の感想もこのようで
あった。やはり弁士の語りの上手さと言うことになるのだろうか。
映画が終わって同センターの人と歓談をし、その後、佐々木さん達
一行三人と市内で少し早めの夕食を共にして別れた。八月は目が回る
ような忙しさとか。とにかく体を壊さないようにがんばって欲しい。
そして、11月4日(火)夕方の第4回児島活弁シネマライブには
元気な姿で出演して貰いたい。演ずる映画は「第七天国」(外国映画)
である。お楽しみに。
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