ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

雪の平ヶ岳を諦めて、新緑の奥多摩へ。八丁尾根から鷹ノ巣尾根を登りました

2012年05月10日 | ハイキング/奥多摩

2012/5/5  今年のGW後半は天候に翻弄され続けました。最初、5月2~5日の3泊4日(6日は予備日)で尾瀬の鳩待峠から平ヶ岳を計画していました。メンバーの都合で3~6日(予備日なし)となったのは致し方ありませんが、そのうち、3日の悪天候が確定的となり、4~6日で平ヶ岳となりました。まあ、2泊3日でも平ヶ岳へは十分行くことが可能です。

でもさらに、天気予報は悪化の一途をたどります。ついに4日スタートも諦めざるを得なくなり、つまり、平ヶ岳は断念。代わりに、鳩待峠~アヤメ平~尾瀬沼を計画しました。5~6日の天気はまずまずの予報が続いていたのですが、近づくにつれ、6日の天気が「晴、時々曇り、大気は不安定」から「晴のち雨、雷雨あり」へと変わって行きました。しかも、5日の尾瀬付近山岳部の天気も芳しくありません。

とうとう5日だけの日帰りハイキングに落ち着いてしまいました。

今回、1年振り以上に一緒に山へ行けることになったY根君も本当は北アルプス槍ヶ岳へ行く予定だったのです。4月28日の土曜日に出発していれば可能だったのかもしれませんが、1日出発が遅れたために、悪天候につかまることとなり、結局出発しなかったのだそうです。

知り合いの山岳ガイド氏も穂高岳は中止、剱岳も伊豆でのクライミングへと変更せざるを得なかったのだそうです。

それほどにたくさんの山仲間を悩ませ、山行中止に追い込んだ悪天候であったにもかかわらず、北アルプスでは多くの登山者が気象遭難で亡くなりました。こんな予報の中、3000m級の山岳へ出かける感覚が僕には理解できません。

結局僕たちは5月5日の子供の日に奥多摩の新緑ハイキングへと出かけたのです。

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▲中央の岩峰が稲村岩。その右の小さなピークが八丁山で、尾根は巳ノ戸尾根です。今日はこの尾根を歩きます。9:39ころ。

僕がこの尾根を初めて歩いたのは2001年6月のこと。その後、所謂“バリエーション・ルート”とやらのブームでよく歩かれるようになっているようです。

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▲昔の人はこんな山奥でも暮らしていたのですね。家の敷地の土台が残っていました。10:11ころ。

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▲家の跡地にはかつての生活の痕跡が。釜、甕、ストーブ・・・・

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▲先ほどの家の住人でしょうか? 慶応二年の文字が・・・・

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▲熊カメラが2台設置されていました。カメラを覗き込んだY根君は映ってしまったのでしょうか? 11:05ころ。

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▲今日はGW唯一の快晴。陽光が思いのほか強く、気温はちょうどの暖かさです。鮮やかに輝く新緑は1年の中でいちばん美しい季節だと思います。11:18ころ。

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▲ちょっとした岩場が現れました。こういう岩場からは樹々に邪魔されないパノラマを見ることができますし、ピリッとしたスパイスになりますから、大歓迎です。11:35ころ。

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▲さらに岩稜は続きます。右も左も急斜面ですから、嬉しい緊張も続きます。11:37ころ。

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▲八丁山山頂の山名標識。11:47ころ。11年前に訪れた際にはまったく無かった赤テープの目印が多数付けられていました。一本尾根なのに、なぜ必要なのか僕には理解不能です。

地形図片手に不安や新しい出会いへの期待を胸に歩いたものでした。そんな最初の時と同じ感動を味わえる山はそこにはありません。所謂“バリエーション・ルート”を歩くブームのせいで、奥多摩にはそのような感動は期待すら出来なくなっているのが現状です。

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▲ミツバツツジがちょうど満開でした。ヤマザクラもところどころで咲いています。11:58ころ。

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▲八丁山の先では、ときおり痩せ尾根が現れました。12:12ころ。

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▲お伊勢山山頂の山名標識。この奥多摩とは縁がなさそうなお伊勢山という名前の由来ですが、宮内敏雄氏の『奥多摩』には次のように記されています。「伐採の斧始めに最初に伐った木材を、伊勢神宮にお納めする――感謝の意味を罩めたあの床しい風習があったからである」

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▲鞘口のクビレに到着。昔はここを一般登山道が通っていたのです。右は巳ノ戸ノ大クビレ、左は日原へと行けたのです。

僕は何度も利用したことがあります。石尾根を雲取山方面から下って来てこの登山道を利用すると、バス停まで早く、楽に着くことができたのです。沢登りをするようになると、巳ノ戸谷の源流部からも鞘口のクビレに出ることが容易でした。この登山道をよく利用したものです。

ところが、どれほど前のことだったでしょうか? 20年前後以前だとは思いますが、S子とM田さんとで巳ノ戸谷遡行後、いつものように鞘口のクビレへ向かいました。すると、途中の斜面が大きく崩壊しています。目の前で落石がしょっちゅう発生しています。上方に目を光らせながら、その合間を縫うように、ハンマーで足場を掘りながら突破しました。それ以降、鞘口のクビレ~巳ノ戸ノ大クビレ間の登山道は危険で通行禁止になっています。

鞘口のクビレ~日原間は巳ノ戸沢(巳ノ戸谷とは別。巳ノ戸尾根と鷹ノ巣尾根と稲村岩尾根に囲まれた沢のこと)左岸をほとんど通っていますが、途中少しだけ不明瞭になる他は問題なく歩ける山道です。

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▲鷹ノ巣尾根を登ります。S子とK嶋さんの両横にあるのは枯死した笹です。鹿が主に餌の乏しい冬の時期に笹の葉を食べ、枯らしてしまったのです。鹿が増えすぎた結果でしょう。

11年前に初めてこの尾根を歩いた時は、まだ笹が青々と茂っていました。獣道を選びながら、腰をかがめて歩きました。2箇所ばかりにまだ温かい熊の糞があって、すごく緊張したことを覚えています。

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▲ヒルメシクイノタワに到着しました。13:58ころ。本当はこれから鷹ノ巣山へ登って、榧ノ木尾根~ノボリ尾根を下降するつもりだったのですが、のんびりと歩き過ぎました。ここから稲村岩尾根を下ることにします。

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▲「これってなんの写真?」と怪訝に思っておられるでしょ? この写真をクリックして拡大して見て下さい。どこかに何か動物が写っていますよ。本当はその全身が中央に写っていたはずなのですが、シャッターを押す寸前に逃げてしまったのです。でも、体のほんの一部だけが写っていました。15:27ころ。

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▲下山して、東日原のバス停から写した新緑です。16:48ころ。GW後半ではただ1日の快晴でした。ヤマザクラも咲いていますね。

17:20過ぎのバスに乗って、奥多摩駅の「天益」へと直行しました。結局、今年のGWは2回とも「天益」でした。今回はゆっくりと座敷で過ごすことができました。隣りのテーブルでは山岳救助隊の方々がくつろいで飲んでいます。今年のGWは目立った事故もなく終了したよう。マーフィーは救助隊の中の一人の胡坐の上でリラックスしていました。珍しいことです。