ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

奥多摩湖南岸の散歩道 4/4 ――― 歩き慣れているいこいの路の東半分から小河内ダムへ

2015年10月15日 | ハイキング/奥多摩

2015/9/21  いこいの広場を後にして、小河内ダムまでのラストスパートです。と言っても、まだ今日の行程の半分近く残っているのです。ただ、ここからは京道沢や天神沢や水窪沢など、遡行したことのある沢がありますし、清八新道は尾根歩きの際にもよく活用させてもらっていますから、旧知の路です。


▲ギンリョウソウ。でも、普段見慣れている花とは少し違いますね。花が空を向いて真っすぐに伸びています。よく見ると、花ではなく、実になっていますから、実になるときは上を向くのですね。14:04ころ。


▲この辺りも路肩が弱いみたいですね。200m先には工事現場もあるようです。そこが理由でしばらく奥多摩湖いこいの路は通行止めだったのでしょうか? 14:06ころ。


▲この沢筋が工事現場でした。工事はほぼ終了しているようでしたから、最初にどこが崩れていたのかは分かりませんが、けっこう大量の土砂が崩れたみたいですね。14:09ころ。

この沢の堰堤のプレートや工事看板にもこの沢が「蛇沢」だと記してあります。奥多摩湖いこいの路の案内看板にも「蛇沢」と記してあります。
しかし、宮内敏雄氏の『奥多摩』から分かるのですが、蛇沢川は奥多摩湖の湖底に沈んでしまっています。蛇沢川はこの沢とこの先にある京道沢と天神沢が合流した流れの名前だからです。そして、その蛇沢川が多摩川本流に流れ込んでいたのです。
ですから、この沢の名前は「カルギ沢」。蛇沢川の支流です。公式にはこの沢の名前は「蛇沢」になったのでしょうか? 蛇沢の名前を残したかったのでしょうか? 勝手に名前は変えるべきでないと思います。
もちろん、これは宮内敏雄氏の意見を前提としたものなのですが。


▲左下には沢の流れが見えます。すぐ先には橋が。14:22ころ。


▲橋から上流を眺めました。小さな沢ですが、遡行対象にはなると言えばなる、そんな程度の沢でしょう。沢の名前は京道沢。でも、奥多摩湖いこいの路の案内看板には「手沢」と記されています。でも、これは間違いだと思います。宮内敏雄氏の『奥多摩』によると、手沢は京道沢の源流部の名前です。京道沢の方が名前の格調もありますし、名前の由来も「経蔵(きょうぞう)」だという言い伝えもあるようなのです。その言い伝えについては京道沢の右岸尾根である真光寺尾根を歩いた日に記したいと思います。14:23ころ。

2009年9月にK嶋さんとK美さんとの3人で京道沢の死人沢を遡行しています。その際の記憶では小滝すらない沢だったように思います。でも、小石のような土砂に埋め尽くされていたようでしたから、6年たって小滝などが出現しているかもしれません。まあ、楽観的希望ですけれど。
なおその際に、二人には死人沢という支流の名前を教えませんでした。そんな名前の沢に行くのは嫌ですものね。


▲奥多摩湖いこいの路から分かれて尾根を登って行く山道がありました。どうやら真光寺尾根の取付きのようです。いつか、この尾根を歩いてみたいと思います。14:27ころ。


▲200mおきに出てくる里程標式の上にホウノキの実が置いてありました。14:28ころ。


▲天神沢を渡る橋が出て来ました。14:29ころ。

この橋から上流を見ても金属製の堰堤があるだけです。でも、この沢へは2回行ったことがあります。2005年5月に天神沢中俣へS子と登っています。天神沢にはすぐに滝沢が右岸から合流します。その上流で三俣状になりますから、右俣、中俣、左俣と名付けました。宮内敏雄氏によれば中俣はハギ沢かと思います。4級+程度のグレードの小滝が二つ三つあって、楽しめる沢でした。
2007年9月にはw島さんを含めた3人で右俣を遡行しています。中俣ほどではなかったように記憶しています。宮内氏によると真光寺沢との名前のようです。
いつか天神沢左俣や滝沢にも入渓したいと思っています。


▲宮内敏雄氏の『奥多摩』にも名前の記載がない小沢もあります。14:32ころ。


▲また小沢があります。地形図から見ても短い沢のはずですが、水の流れがあります。14:34ころ。


▲橋から上流を眺めました。短い沢でも流水域に広葉樹が多いのだと思います。14:34ころ。


▲"締め殺し”でしょうか? 14:45ころ。


▲岬の突端にベンチが設置されていました。奥多摩湖いこいの路は残り3.1km。15:04ころ。


▲清八新道の登り口です。この尾根(登山道)は何かと利用価値のある尾根で、僕もよく使わせてもらっています。15:07ころ。


▲左下を流れる沢は水窪沢。奥多摩湖いこいの路の案内看板では水久保沢になっています。以前の昭文社エアリアマップには「ヘビ沢」と記されていて、山と渓谷社発行の『奥多摩の谷123ルート』にも「ヘビ沢(水久保沢)」という名前で取り上げられています。
橋の手前で山へ登って行く山道が見えています。この山道も清八新道です。小河内峠へ出る山道。15:21ころ。

2008年9月にA野さんとU田君とでここを遡行しています。途中にある10mほどの滝の巻きが嫌らしかったくらいにしか記憶はありません。下山はシダクラ沢を下降していますね。


▲山道が終了して林道に出て来ました。15:24ころ。


▲アケビの実が落ちていました。もちろん中身は消えています。15:24ころ。


▲こんな感じの林道。15:26ころ。


▲沢水が林道に流れ込んでいて、長い距離、道が泥んこになっていました。15:36ころ。


▲奥多摩湖の夕景は僕は好きです。まだ夕方というほどの時間ではありませんが、趣きが出て来ています。遠くの山は大寺山950mとそれから連なる鹿倉(ししくら)山1288.2m。15:42ころ。


▲鏡のような湖面に山や雲が映っています。15:47ころ。


▲中央の濃い緑の尾根が清八新道のある尾根です。右の山は月夜見山1147.0mだと思います。15:50ころ。


▲小河内ダムに近づいて来ました。右の山はトオノクボかな? と思います。谷の奥は稜線に雲がかかっていて見えませんが、石尾根ですね。15:51ころ。


▲ここが奥多摩湖いこいの路の入り口(終点)です。15:53ころ。


▲小河内ダムの上をバス停へ向かいます。トオノクボのピークとその右へ続くハンノ木尾根が見えています。15:53ころ。


▲奥多摩湖バス停です。16:22のバスに余裕で間に合いました。16:07ころ。

奥多摩駅前の天益には久し振りに訪れました。一ヶ月以上たっています。いつも通りの感じで飲み食いします。ただ、この日は珍しいキノコ料理を食べさせていただきました。どうやら「毒キノコの会」に所属する方からいただいたというキノコを食べさせてもらえたのです。美味しかったですよ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 奥多摩湖南岸の散歩道 3/4 ――... | トップ | 腰痛回復度チェック山行もこ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ハイキング/奥多摩」カテゴリの最新記事