お爺さんは山へ柴刈りに

東鳩会の開催概況

山形市内をぶらり・・・伊賀忍者が住んでいた?

2013年10月14日 17時08分48秒 | Weblog

 平成25年10月14日(月)は願ってもない秋晴れ、かねてから鑑賞しようと思っていた‘第2回花の会山形写真展’へ散歩がてら出掛けました。会場のナナビーンズまでは40分の道のりです。

 花の会山形の写真展を鑑賞しようと思ったのは、会長のススムくんが昔の職場の同僚でその当時から写真を愛好し、40年ほど歳月を経て活動著しいものがあります。

 これがススムくんの作品ヤマボウシとヤマユリです。「花の写真は優しいようで難しいんだ」とお客さんが評しています。

 写真展を観賞し終わりましたが天気は好し、時間はたっぷりあります。それではと街をぶらりとします。

 昨日‘よしあき祭’で賑った御殿堰は静かです。御殿堰は江戸時代斯波兼頼が整備した五堰のうちの一つです。これらの五堰は戦後過ぎまで農業用水のみに非ずして、生活用水としても住民にはなくてはならない水路として利用されたのです。

 帰路の道すがら宮町の小路に入ると‘旧四日町’の道標が眼に入ります。「ここが四日市だったのかー」と納得しながら道路を挟んだはす向かいを見ると同じような道標に‘旧伊賀町’記されております。脇のプレートを見ると『ここに伊賀の人を住ませ、城主最上義光が火消しの大役を任せていた』とあります。長い間山形に住んでいたのに‘伊賀町’を初めて知ります。

 この社には‘伊賀町豊栄稲荷神社’の扁額が掲げられています。一旦火事ぶれが起こると奥方に火打石を叩かれ、この神社に手を合わせ現場に駆け付けたことでしょう。最上義光は白鳥十郎を謀殺するなど狡猾な印象を強くしていましたが、伊賀忍者の身軽さに着目して火消しの役に付けていたとは知将ですなー「お主!なかなかやるな~」

 市内をブラブラすること2時間。今日は時あたかも‘体育の日’です。