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延岡城跡

2018-12-14 15:30:04 | 
 2018.11.23 千人殺しの石垣が有名な延岡城跡に登城して来ました。



  延岡城跡 北大手門 平成5年(1993)復元。



  同上 本丸跡 左方に最後の城主内藤政挙の銅像が建つ。



  同上 通称「千人殺しの石垣」。高さ約19mの石垣。



  有馬家中延岡城下屋敷月絵図(1670~1683年)。





  延岡城跡 続日本百名城 市指定史跡。

       延岡城は五ヶ瀬町に源を発する五ヶ瀬川と延岡市内で分岐する大瀬川に挟まれた

       標高約53mの山丘に築かれた平山城です。



  案内図  上部が北方向。



  北大手門の前を塞ぐように見える、千人殺しの石垣。







  千人殺しの石垣 九州でも有数の高石垣で、その高さは約19m、法長は約22m。

      石垣は自然石を積み上げた野面積で築城時の構築です。



  本丸へ上る石段上より千人石垣を眺める。



  二階門前 枡形虎口。



  本丸より見た 二階門跡。



  同上  二ノ丸跡。「千人殺しの石垣」の前に広がる二ノ丸跡は延岡城内最大の曲輪です。



  本丸 南西隅をまもる二階櫓台の石垣。



  天守台跡。



  同上にある 二代目、城山の鐘。 初代のの鐘は、明暦2年(1656)に当時の

        延岡藩主.有馬康純が今山八幡宮に寄進したもので、現在は内藤記念館に

        展示されている。 現在の鐘は今でも一日6回、鐘守の手で市民に時を知らせている。





  天守台より眺めた景色。日向灘を望む。



  三階櫓台跡。天守閣を持たなかった延岡城の中で最も大きい建造物(天守代用)、

        明暦元年(1655)に完成し、27年後に焼失、以後以後再建されず。



  三ノ丸跡。



  三ノ丸跡、東面の石垣。 この左奥に石御門跡がある。





  若山牧水の歌碑 「なつかしき 城山の鐘鳴りいでぬ をさなかりし日 聞きしごとくに」

         昭和2年(1927)に詠んだ歌碑です。





  内藤家墓所 市指定有形文化財 

    内藤家歴代当主や家族の墓碑24基と供養塔21基が建立されている。



  北櫓の石垣 北側の堀に面して突出する櫓台。野面積で築城時の様相を残す。

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