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臼杵城跡

2018-12-17 10:17:59 | 
 2018.11.23 今日最後の臼杵城に登城して来ました。



  臼杵城 正面(古橋口)。



  同上 帯曲輪、大門櫓(左)、畳櫓(右)。



  同上 古橋口と鐙坂。





  臼杵城跡 県指定史跡 続日本百名城

       臼杵川河口の島を利用した、海に浮かぶ天然の要塞であった。島の東を本丸、

       西を二の丸とし、南側には自然地形を利用した船着場を設けて

       万一の際の脱出口とした。



  現在の臼杵城周辺地図。



  臼杵城跡 縄張り図。(臼杵市パンフレットより)





  古橋口と鐙坂 

    大友時代から登城路として使われていた道で、外敵を防ぐため岩を掘り切って

    造った狭い道です。馬の鐙に似ているところから、「鐙坂」と呼ばれました。

    太田氏時代には内堀をまたぐ橋が架けられました。右は亭櫓台跡。



  鐙坂を上る。



  畳櫓  天保年間に再築された櫓で、1階と2階の床面積が同じ「重箱造り」という

      古式の構造をしています。左石垣上は井桜櫓台跡。



  大門櫓  平成12年(模擬復元建物)建築。

     17世紀初頭に場内の通行の利便を高めるために造られたと思われる櫓門。





  帯曲輪。





  二ノ丸跡。



  同上 西北にある会所櫓跡。



  同上  二ノ丸居館庭園跡。 臼杵護国神社境内は、延宝3年(1675)に城主居館が

      移された場所です。現在地上遺構は全く見当たりませんが、

      僅かにその庭園の一部が、残されています。





  国崩し(複製) 大友氏がポルトガルから天正4年(1576)に入手した。

      島津軍撃退に威力を示したといわれる。



  本丸(右)と二の丸(左)を隔てる空堀。手前右側石垣上には武具櫓がありました。



  鉄門枡形石垣跡  本丸入り口となる重要な場所です。





  本丸跡。



  北側空堀 大友時代からのもの、右側奥に天守台石垣が見える。





  天守台跡。





  天守台石垣  大正時代に上半4mほどが壊されてしまいましたが、もともとは7mの

         高さがあった石垣でした。臼杵城内に残る唯一の16世紀の石垣です。



  本丸よりの眺望  臼杵湾すぐそこに見えます。





  卯寅(うとの)口門櫓  寛永年間に再築された櫓で、鉄砲薬櫓とも呼ばれ、火薬庫と

         しても使われていたようです。



  17世紀初めに今橋口が整備され登城路は上ノ門東から空堀に至る区間に短縮されました。

    着見櫓跡、左奥が上ノ門跡。



  二ノ丸居館北石垣。 最大高さ約7mの、現存するもっとも大規模な石垣です。

    今日の宿泊地 別府温泉郷に向かいます。

    





       

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