2015.11.18 桜島からおおすみ弥五郎伝説の里により飫肥城に着いたのは13:30過ぎでした。
飫肥城(おびじょう) 市指定史跡 日本百名城 シラス台地に残る群郭型の古城。
周囲2.7kmの城内に本丸、松尾の丸、中の城等の郭を配した平城である。
伊藤藩五万一千石の飫肥城跡。
案内図
大手門通りの緩やかな坂を上ると大手門に着きます。
外堀跡。
大手門 明治4年(1871)に取り壊された大手門を昭和53年(1978)に樹齢
100年の飫肥杉を使用して復元した。渡り櫓二階建て高さ12.3m。
同上 門をくぐると内枡形になっている。
枡型を通過し石段を上がると本丸の石垣塀が目の前に聳える。
西側虎口より本丸跡を目指す。右側本丸跡、左側松尾の丸石垣。
本丸跡 現在は飫肥小学校になっている。
旧本丸虎口跡 貞享年間(1684~1687)の改修以前の本丸の枡形虎口。
石垣は飫肥石を使った切込接。
旧本丸跡 石垣が残り、飫肥杉が茂っている。
同上 北門 旧本丸北虎口の門(薬医門)。
松尾の丸に昭和54年(1979)に松尾の丸(御殿)が復元された。
同上 御座の間と御寝所。
飫肥城歴史資料館 飫肥藩ゆかりの資料、甲冑、刀剣、武具、古文書等が展示されている。
本丸東側虎口を出る。
本丸東側 隅櫓跡。
九州の小京都 重要伝統的建造物群保存地区。苔むした城壁、飫肥杉の緑に包まれた
武家屋敷、時代を超えた四百年の昔にタイムスリップ。
豫章館(よしょうかん) 明治2年(1869)、飫肥藩主伊藤祐帰が飫肥藩知事に任じられて
城内よりこの屋敷に移った。
四半的射場(しはんまといば) 日南市無形文化財。
飫肥藩に伝わる半弓で、射場から的まで四間半、弓矢とも四尺五寸、的が四寸五分で、
すべて四半であることから四半的と呼ぶ。座って射る。
見学終了後今日の宿泊地宮崎市に向かって15:30頃出発する。
風光明媚な日南海岸をドライブ。 道の駅フェニックスに立ち寄ろ。
今晩は宮崎地鶏の焼鳥、元祖、丸万焼鳥本店を探して、もも焼き(食べやすく切ってもらいました)
を注文、鳥刺しも新鮮で、お酒も美味しく頂きました。
飫肥城(おびじょう) 市指定史跡 日本百名城 シラス台地に残る群郭型の古城。
周囲2.7kmの城内に本丸、松尾の丸、中の城等の郭を配した平城である。
伊藤藩五万一千石の飫肥城跡。
案内図
大手門通りの緩やかな坂を上ると大手門に着きます。
外堀跡。
大手門 明治4年(1871)に取り壊された大手門を昭和53年(1978)に樹齢
100年の飫肥杉を使用して復元した。渡り櫓二階建て高さ12.3m。
同上 門をくぐると内枡形になっている。
枡型を通過し石段を上がると本丸の石垣塀が目の前に聳える。
西側虎口より本丸跡を目指す。右側本丸跡、左側松尾の丸石垣。
本丸跡 現在は飫肥小学校になっている。
旧本丸虎口跡 貞享年間(1684~1687)の改修以前の本丸の枡形虎口。
石垣は飫肥石を使った切込接。
旧本丸跡 石垣が残り、飫肥杉が茂っている。
同上 北門 旧本丸北虎口の門(薬医門)。
松尾の丸に昭和54年(1979)に松尾の丸(御殿)が復元された。
同上 御座の間と御寝所。
飫肥城歴史資料館 飫肥藩ゆかりの資料、甲冑、刀剣、武具、古文書等が展示されている。
本丸東側虎口を出る。
本丸東側 隅櫓跡。
九州の小京都 重要伝統的建造物群保存地区。苔むした城壁、飫肥杉の緑に包まれた
武家屋敷、時代を超えた四百年の昔にタイムスリップ。
豫章館(よしょうかん) 明治2年(1869)、飫肥藩主伊藤祐帰が飫肥藩知事に任じられて
城内よりこの屋敷に移った。
四半的射場(しはんまといば) 日南市無形文化財。
飫肥藩に伝わる半弓で、射場から的まで四間半、弓矢とも四尺五寸、的が四寸五分で、
すべて四半であることから四半的と呼ぶ。座って射る。
見学終了後今日の宿泊地宮崎市に向かって15:30頃出発する。
風光明媚な日南海岸をドライブ。 道の駅フェニックスに立ち寄ろ。
今晩は宮崎地鶏の焼鳥、元祖、丸万焼鳥本店を探して、もも焼き(食べやすく切ってもらいました)
を注文、鳥刺しも新鮮で、お酒も美味しく頂きました。