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おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

中学校の部活動で・・・

2010-08-14 20:33:55 | つぶやき
 とある下町の公立中学校。その校長先生のお話し。
 うちの区も、小学校も中学校も学校選択制になっていますね。区内ならどこにでも通えるわけです。定員をオーバーして抽選の場合もありますが。
 選択の根拠でけっこう重視されるのは、部活動なんですね。次に、学校の雰囲気、落ち着いているかどうか。学力云々もないわけではありませんが、どこもほぼ同じようですから。
 生徒だけではなくて、親もけっこう部活を重視しますね、特にスポーツ系だとサッカーとかバスケットとかバレーとか。野球は硬式はダメですから、ホントにやりたい子は、中高一貫の私立に行くのかな、リトル・リーグで活躍している子なんか引き手あまたです。
 テニスなんかも、公立の中学校は軟式ですので、優秀な子は私立に行ったり、クラブチームに入っていきますね、学校ではやらずに。水泳とか体操は小さい頃からクラブに入って頑張っていますから、学校はもともとかかわっていけません。
 意外に熱心なのが、吹奏楽部。これも生徒には人気のクラブで、盛んにやっている学校の評判を聞いて、その学校を選択することもあるようです。
 都大会とか関東とか全国大会に出場するような中学校には、熱心に指導する先生のネットワークがあって、あそこの小学校には誰それがいる、ぜひうちの中学にとか、けっこうそういう情報が飛び交っていますね。
 一回でも全国大会を制覇でもすると、学校としてその後も頂点にいたい、好成績を続けさせたいと思う気持ちも分かりますが。何しろ、生徒は1年の春から3年の夏休みくらいまでが活動期間で、3年は引退。次々と生徒は入れ替わっていくわけです。一人でも力のある子供、即戦力の子供を取りたい、学校に入学してもらいたいわけです。
 親も子もそうした情報、親同士のネットワークで、どこには何々先生がいて熱心に指導してくれる、コーチもしっかりしている、ということなど、きちんとしっかり把握しているようです。
 ところが、ご承知のように、公立には異動がありますから、そう何年も同じ学校にいることが出来ません。その先生がいなくなったとたんに、低迷してしまうこともよくあります。時には部活そのものも、顧問や指導者がいなくなって、廃部ということにもなってしまいます。
 小学生の親はそこまでは把握できない場合も多くて、あてにして入学したら、その先生がいなくなった。スカウトされ、誘われて入学してみたものの、4月になったらその先生が他の学校へ転勤していた、なんていう話もあります。そうなると、学校への愛着心などもなくて、学校生活もうまくいかないケースもでてしまいますね。
 中には、ホントウに困ってしまいますが、先生が転勤することをあらかじめ部員達に話していて、その先生と一緒に転校してしまう、なんていうことも起こります。昔だったらそう簡単に転校なんかはできなかったと思いますが、今は選択制のせいなのか、何よりも親の意向を尊重するからなのか、レギュラークラスがごっそり転校していきます。
 そうすると、それまで一回戦で負けていたような学校が急に強くなって、都大会などにも出場していく。皆で喜んでいいはずなのに、あいつらよそから来て、と冷ややかな態度も出てしまうことも・・・。事実、たしかに指導者の力量によって子供達の力は大きく伸びたりしますから・・・。
 けれども、教員皆がスポーツの指導、それもバスケやバレー、吹奏楽にずば抜けているわけではないですし、当たり前のことですが、それでは偏ってしまいますしね。
 部活中心の生徒達は、残念ながら愛校心などいうものが欠けているような子供も目立ちます。顧問・コーチの言うことは聞くが、学校の言うことは聞かない、基本的な学習習慣とかが不充分な子供も出てきてしまいます。
 親たちも熱心なあまりでしょう、うちの子はいつまで球拾いなのかとか、あの子がレギュラーなのに、どうしてうちの子はレギュラーになれないのか、など無理難題をぶつけてくることも多いですね。バレーやバスケなどで目立ちますが。陸上のように個人種目中心なら問題も起こらないんですかね。
 高校では、全国制覇するような学校は、全国から子供を集めていますから、それに比べれば、区立はささやかなものですよね。
 競技スポーツ、何としても強くなっていくんだ、という勝利至上主義。朝練夜練、土日の対外試合・・・、実に献身的に私生活を捨てて、熱心に部活指導にあたっているのには、頭が下がります。ほとんど身銭を切っての活動ですから。
 一方で、あくまでも中学校という学習活動の場なのですから、そういった、何が何でもという部活動ではなく、教育活動の一環として子供の体を鍛えるだけではなく、心・徳育を重んじる「教育」的側面を気にかける方向もあっていいのではないか、とも思います。
 部活動だけでなく、入試結果など、何でもかんでも成果主義が横行する中では、まるっきり少数派ですが。
 
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渋谷区立鍋島松濤公園

2010-08-12 22:08:06 | つぶやき
京王井の頭線神泉駅。渋谷から地下を通りちょっとだけ地上の顔を出した駅。この辺りは坂道が多いばかりか、一方通行やら細道やらでけっこう歩くのはしんどい。まして炎天下。辛いものがあります。でも、松濤町まで来ると、高級住宅街という雰囲気。大きな邸宅、それも趣のある建物が並んでいます。それでも、アップダウンのある道筋です。
 その入り口ともいうべきところにあるのが、鍋島松濤公園。ここは、湧水池を中心に、上り下りのある道を配置してその周囲には各種草花が彩っています。
 元々この辺りは、江戸時代には紀州徳川家の下屋敷があったところ。明治4年に佐賀の鍋島家に払い下げられました。「薩長土肥」と並び称せられているように、肥前(今の佐賀県)の人間達が明治維新実現の一翼を担い、新政府の中枢になっていったことにもよるのでしょう、徳川家の土地を貰い受けたということになるのか。
 鍋島家は当地に茶園を開き「松濤園」と名付け、「松濤」という名で茶の販売も行っていました。たしかにこの辺りの地形は、狭山辺りのような、丘陵地帯の面影を残している地形で、高い建物や家々がなければ、その雰囲気をしっかり感じることが出来るようです。
 お茶の栽培が行われていたのも肯け、公園の名前もそれに因んでいます。その後、茶園は廃止され、湧水池のある一角が公園として整備されました。写真の池は湧水池で、渋谷界隈でも数少ない湧き水のひとつとなっているようです。
 かつての武蔵野丘陵の面影を彷彿させるような静かな公園で、それにふさわしく水車も回っていました。小さくてもいいから、ちょっとした空き地でお茶を育てて昔の面影を偲ぶのもいいと・・・。美術館が二つもあって、文化の香りのする街でもあります。
 丘の上からしばらくだらだらと東に下りていくと、もうそこは賑やかな渋谷の街です。
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さてマスコミ、どうする?

2010-08-11 21:50:52 | つぶやき
元衆院議員で会社役員・浜田幸一容疑者、背任容疑で逮捕(朝日新聞) - goo ニュース
「いつかこうなると思った。やってることが政治家じゃない」「地元の住民として恥ずかしい。そういう議員を支持した人たちにも責任があると思う。はっきり言って悲しい」
 これは、木更津・地元民の言葉の一部。
 「ハマコー」。最近TVに出てこないと思ったら、逮捕報道で久々の登場。自民党議員時代からお騒がせ人間だったこの男。引退後も、TVではめっぽうもてはやされた。屈折した発想・思考による毒舌、暴論が受けたのか、マスコミもちやほや。顰蹙タレントの第一人者ではあった。
 保守層には受けたかどうか、反自民的立場には容赦ない言動を浴びせ、それを取り巻く低俗なタレントたち。
 さて、どうなるか?マスコミの報道は。警察発表に依拠し、お先棒をかつぐと、いっそうみっともなくなりますぞ。おそらくかつてのちやほやぶりには口をつぐみ、もてはやしたタレントと諸公もしっかり口をつぐんで、次のお笑い「俗悪」政治家を見つけ出すにちがいない。
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南千住コツ通り商店街

2010-08-10 21:37:28 | つぶやき
 この「コツ」とはかつて処刑場のあった小塚原(こづかっぱら)にちなんだ命名と思います。今の南千住の東、JR貨物駅の墨田川駅あたりか。明治通りには「泪橋」という交差点があり、ここで処刑される囚人と別れたとか。
 ここも、再開発が進み、様変わりしています。駅前も高層ビルやしゃれた建物ができ、ロータリーも。駅の東側は、もっと開発が進み、高層住宅が何棟も建っています。
 けれども、商店街はさびれる一方のようすで、ガードをくぐっていく広い通りは西は日光街道、東は浅草へと続く道で、車はひっきりなしに通りますが、アーケードのある商店街も人の行き来は、ほとんどない有様。
 糸ヘン関連の中小企業・工場があって、人の出入りも盛んだった地域も、まったく廃れた感じです。それでも、「コツ」というネーミングも捨てずに、何とか頑張っていることに驚きました。一歩路地に入ると、家が建ち並ぶ下町の風情ですが。
 山手線の日暮里駅が舎人ライナーや再開発で賑やかな街並みになったのに比べて、ちょっと残念な気がします。友人と立ち寄ろうにも駅前にファミレスがあるだけで、通りには何もない! 
 西地域が今後の再開発でどれほど元気を取り戻せるか。地域の、下町としての心意気にかかっていると思います。
シャッター通りと化しています。
東側をのぞむ。
駅北東の高層マンション群。
常磐線の電車の屋根にちょっと頭を出しているスカイツリー。
 
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読書114「アンティゴネーの主張」(ジュディス・バトラー)青土社

2010-08-09 22:47:53 | つぶやき
 子殺しや親殺し、子捨て、親捨てと時代状況は、かつての家族制度に依拠した倫理観や責任の所在があいまい、さらには崩壊しつつある現実を如実に示している。親族関係が因習的な過去の存在となってしまっているかのように。親子関係、きょうだい関係・・・。
 一方で、家族関係、親族関係は人の法的位置(存在)を厳密に深く関わっている。法治国家としての根幹とも云うべき法による「家族」支配・個人支配。不文律的なものも含めて、厳然と人の生活、生き方を規定している。それは当然、性別による差異として存在している。もしかしたら観念として。
 その桎梏を打破しようとする動きもまた活発だ。また、その動きを押しとどめようとする動きも顕著。夫婦別姓、ジェンダーなどへの反発も含めて・・・。双方が、ともに観念的かもしれないが。
 ギリシャ悲劇の一つ、ソフォクレスの「アンティゴネー」。ここには、家族を巡る言説の危うさを浮き彫りにさせる内容が込められている。オイディプスを父として誕生したアンティゴネー。しかし、父は知らなかったとはいえ、実の父を殺し、その妻(母)と結婚する。その間に生まれたのが、アンティゴネーの兄弟たち。すなわち、父は兄でもあり、母は祖母でもある。兄弟は甥でもある。ここに見られる家族関係には、実に複雑な多義性、多価値性を有している。さらには、人類最大のタブたる近親姦の存在も・・・。
 紀元前4世紀、仮面劇として演じられたこうした劇的構成、言辞が、何を、今我々に指し示しているのだろうか。
 夫婦同姓で実態は別姓。親子関係の無効化、きょうだい関係の崩壊・・・、行き着く先は、個々の独立と自由であろうか、はたまた?
 それは、現代の崩壊した家族関係、一方では何とか再構築しようとする関係。法的言語ではどうにもならない(観念的家族観ではどうにもならない)現実を体現化したものとも言える。
 アンティゴネーは、法的に許されない兄を埋葬するという科で死に赴くのだが。そのアンティゴネーが今の我々に主張することは、家族という法的存在よりも自らの主体的な生き方の大切さか、それとも死をもっても償わねばならない家族制度(法)の重さなのか。
あわせて、丹下和彦著「ギリシャ悲劇」(中公新書)。ギリシャ悲劇の入門書として最適。あらすじとその意味するもの(当時のギリシャの精神史と重ね合わせて)を分かりやすく説いている。
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読書113「顰蹙文学カフェ」(高橋源一郎・山田詠美)講談社

2010-08-08 22:44:17 | 読書無限
 ちょっと気楽な読み物を。高橋源一郎さんも山田詠美さんも好きな作家の人たち。小説の内容、どちらもちょっととんで(跳んで)(富んで)いておもしろい。自らの作品も、それを創作する原動力としての生き方?も。顰蹙を買っているだろう、文学(界)では、と自負するところが、愛すべきか。
 なんてたって、その斜に構えた姿勢がちょっと受ける(かな)。もちろん、世間(一般ピープル)には、顰蹙の前にあなた誰?という人たちだろうが。
 私的には、庄野頼子さんがその代表だと(文学という俗世間では)思っていたが、ここにもまだいるのを忘れていた。特に、山田詠美さんのデビュー作はびっくりた。それに高橋さんのも(こちらは題名の捻り方が)・・・。
 そんな二人が好きな作家仲間を呼んでの対談集です。実に楽屋話風が楽しい。興味のない方には、何これ?というだけだが。
 古井由吉、瀬戸内寂聴というすでに顰蹙を通り越して崇められる(寂聴さんに語らせると拝まれる存在)と化した方々からほぼ同世代の人たちが登場している。
 島田雅彦、中原昌也、車谷長吉。中でも中原さんはおもしろかった。島田、車谷さんの作品は読む機会があったが、今度は中原さんの作品を読んでみよう。
 芥川賞など文学賞の内輪話など、今やそれなりのオーソリティーが語る話は、ちょっといい気になるなよ、って感じさせる。またそこが、読者に顰蹙を買わせるというオチになっているのですな。
 高橋さん流のネーミングに騙されて、この本を手に取った方、お二人の手玉に見事に乗せられるかどうか。
 
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読書112「小川洋子の偏愛短編箱」(小川洋子編著)河出書房新社

2010-08-07 20:54:28 | 読書無限
 外に出たら暑い。で、家にいてもやっぱり暑い。実に風通しの悪い構造なのです。クーラーをかけて昼寝半分、読書半分。といっても、この暑さ、活字に集中できません。そこで、軽い短編集でもと・・・。
 小川洋子さん。「博士の愛した数式」を読んだことがあるくらい。その小説も博士とお手伝いさん(その子供)との奇妙な関わりを描いたもの。ずいぶんとこだわりのある描き方ですね、という印象でした。その小川さんが選んだ、古今の(といっても明治以降)独特の味わいを持つ作品を集めたものが、これです。
 暑い夏のひとときを、ちょっと軽い気持ちで読んでみようと・・・。ところが、名の如く「偏愛」そのもの。作家的まなざしで、取り上げた作品への思いを記している。それを読めば、まさに編者のこだわりのありようが、眠気を覚ます感じでした。なにしろ前書きで、小学生の頃だったのでしょうか、自分の爪とかさぶたを大事にコレクションしていたことが書かれていて、まずちょっと引いてしまいそう。
 「奇」「幻」「凄」「彗」と部立てされて、内田百の「件」(牛の姿になってしまった男の話)から吉田知子の「お供え」(自分が知らず知らずのうちに住民から崇められる存在になっていく話)まで、まさに編者の偏愛ぶりを思わせる趣。
 その一つ一つが、読者の「腑に落ちる」ものになっています(私はとてもおもしろく読みました)。ま、ちょっと敬遠する方もいるかと思いますが・・・。
 作品の後のエッセイが、編者の人となり、人格形成、もっといえば、作家としての形成の原型を語っているようです。
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遠くの親類より近くの他人

2010-08-06 20:11:38 | つぶやき
 足立の件以来、高齢者を巡る話題が・・・。何しろ行方不明から年金支給まで。家族関係、役所の給付関係、次々と実態が明らかに。こと、年金支給に関わる事柄だけに、慎重かつ厳格に調査する要あり。足立の件では、報道される直前に、銀行(郵便局?)から高額なお金が引きだされた、とか。他にも、「私は知らない」「弟が」「次女は」という具合に、責任のなすりつけまで。警察では、誰かが嘘をついている、と。
 ただ高齢者が実はそこにいなかった!というだけではなく、年金(遺族年金)にからむから、複雑。年二百万でも10年なら二千万、20年なら・・・、考えたら相当巨額のお金が支払われ、縁者(かどうかもわからない)に受け取られていた。これは、年金制度の根幹にも関わるゆゆしき事態。原資になっているのは、今、年金を払っている人から取ったもの。
この世にすでにいない人の世話をさせられて、一方で黙って受け取っている人がいる。
 銀行(郵便局)、国の通帳管理はどうなっているのだろう。親などが死んだら、即座にその人の名義の口座は閉鎖される、相続の遺産管理上から。あてにしていた葬式費用までも封鎖。それは実にすばやく行われるのに、どうも鷹揚な対応ではなかったか。
 さらに、年齢からすると、当時の男性は、ほとんどが軍隊に行っていたはず。その軍人恩給。バカにならないほどたくさん支給される。その人が亡くなったら、その妻(遺族)が引き継いで、遺族年金というかたちで支給される。これも、実はけっこうなお金。
 こうしたお金、双方とも死ねば、すっかりぱーになるはずのものが、届け出ないことで、今も引き続いて支給され、誰かが、口座から引き落としている。これは、高齢化社会、世界一の長寿国、という名の下での人心の荒廃ではないか。
 マスコミでは、そういう「犯罪」まがいの行為に対して、論点をずらし、社会のあり方、家族のあり方など、孤独社会とか社会の絆の欠如などに視点を移している。本質は、違うのではないか。
 昨日の日めくり「遠くの親類より近くの他人」。今は、頼りにならない「近くの他人」よりも、もうすでに遠く、黄泉の国に行ったことを隠したままにすれば、「遠くの親」の方が頼りになるという、お金を巡る、世も末の話になっている。
 
  
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東武牛田駅付近貨物線跡

2010-08-04 21:46:44 | 鉄道遺跡
 久々に牛田駅に降りました。京成線は関屋という駅名。暑い中、北千住に用事あって出かけた帰りです。貨物線の跡を再び確認に行ったというわけです。歩道脇にまだ線路が埋もれたまま残っていました。ここは、岡田商事という鉄骨解体業者の敷地。かつては、このあたり、隅田川の海運と一体化して工場があったところです。
 今、再開発でマンションが建ち並んでいます。墨堤通りを横切っていたの本線からの貨物の引き込み線も、その痕跡はわずかになりました。写真は、岡田商事の敷地内に残っている線路です。左から右へかつてのままに2本しっかりと残っています。
ここから先は立ち入り禁止。車の向こうに廃線が続きます。
線路は、敷地内に入っていきます。
埋もれた線路の上を作業車がひっきりなしに動いています。
隅田川との境目。ここに来ると、中の廃線の様子は残念ながら分かりません。
すっかり整備された隅田川。見える橋は、汐入橋。右手が南千住方面。
左の京成のガードをくぐっていた線路。右は、道路でした。
線路は、写真の手前で、左右に分かれて一つは、西側の工場へ倉庫へ。右は直進して埠頭へ。正面が隅田川河畔。

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8月3日午後3時

2010-08-03 23:40:43 | つぶやき
 暑い一日です。うだるような熱波が押し寄せてきます。コンクリートの照り返し。新宿の高層ビル街も暑さにのぼせている感じです。都庁通りの夏・午後。空はますます青く、雲が行き交っています。風は生暖かく、そしてパソコンの調子も悪い。漢字変換ももたもた、画像もなかなか出てこない。今日は何もかも暑さで狂ってしまったようです。



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見物車が路駐

2010-08-02 20:58:56 | つぶやき
 昨日夕方、浅草通りから曳舟川通りに向かう。本所吾妻橋の信号を左折するのに最近は横断歩道を通る人が多くてなかなか曲がれない、そのうち信号が変わってしまう。通るのは、スカイツリー見物の人々。何もない頃には、横断する人も少なくすぐに左折できた。
 仕方がないので、そのまま東に向かうと、途中から路駐の車が何台も、左折レーンに駐めてある。左折すると、そこにも路駐の車がハザードランプをつけたまま、停まっている。お目当ては、400㍍を超えたスカイツリー。それを見上げ、記念写真を撮って、しばらく見学。その車の列。曳舟川通りにも駐車(この道には、パーキングエリアがあるから少しはまし)。都外のナンバーの車も目立つ。
 たしかに観光?名所にはなってきた。この辺り、ひなびた駅(かつては浅草に向かう東武の終点駅だったが)があるだけで、あとは東武の本社ビル。その向こうは、操車場と大きなセメント工場があるだけの土地。乗降客も、橋の上を通行する人も、多くはなかった。
 それが様変わり。連日たくさんの人々が訪れるようになった。それはそれでいいのだが、駐車やトイレなど、地元にとってはやっかいなこともできているようだ。
 特に駐車問題はこれから対策が必要になってきそうだ。できたら、仮でもいいから、駐車場設備をつくってもらいたのだが。
 そうした人々の狂騒を見下ろしながら、スカイツリーはどんどん高くなっていく。
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