メイン通り。
昭和初期に流行した「看板建築」といわれる建物。木造2階建てで、屋号を冠し、古代ギリシャ風の柱頭飾りなど重厚な外観などが特徴です。
「水戸街道」歩きの際、「府中(石岡)」宿で、現在まで残るいくつかの商家を見ました。
「森戸文四郎商店」(石岡)。
昭和5年頃に建てられた木造2階建て看板建築。2階部分がアールデコ調の外観となっている。
ここでお目にかかるとは思いませんでした。
こんなところにも工夫が。
(12:49)「諏訪一丁目」交差点を右折。
その角にあるのが、「すわっていいよ」(諏訪っていいよ)という表示と木製ベンチ。そこで、小休止。
右手からの道を合わせ、左折。
曲がってすぐ右手にあるのが「喫茶店 石の花」。古い門に古い民家。明治初期に建てられた建物を改造。
緩やかな上り坂が続く旧道。
(12:58)「吉田のマツ」。樹齢約300年。
クロマツ。樹齢は300年余り。
高島藩士吉田式部彦衛門が元禄3年(1690)から享保8年(1723)藩主忠虎の大阪城守備に随行したとき持ち帰ったものと伝えられる。代々吉田家の庭に育てられたものを、昭和の始め旧甲州街道沿いに移植したものであり、市内の最年長樹である。・・・
その先、左手に52里目の「一里塚跡」碑。
・・・ここに一里塚ができたのは慶長15年(1610)頃と言われている。この塚は江戸から52里で西は下諏訪町富部の五十三里塚、東は四賀神戸の五十一里塚へと続いている。
残り、あと一つ。
右手は高台。住宅が広がっているようす。
このあたりからぼつぼつ温泉民宿が出てきます。
民家には、温泉のタンクが設置されています。
Y字路になります。右の坂を上れば、「温泉寺」。
丘の中腹を巻くように上っていきます。
このあたりのおうちには温泉タンクがけっこう目立つ。
(13:15)右手に杉の森。「先宮神社」。
「散策の小道」案内図。
左手下り坂の向こうに「諏訪湖」が見え隠れ。
「雀おどり」。
立派な「雀おどり」のあるおうち。
左手にかなり古い大木のケヤキ、木の元には「甲州街道」の標識。裏に回ると、すっかり空洞になっています。
その先、家並みの向こうに諏訪湖が大きく広がって見えてきます。
(13:25)上部の欠けた「常夜燈」。
昭和初期に流行した「看板建築」といわれる建物。木造2階建てで、屋号を冠し、古代ギリシャ風の柱頭飾りなど重厚な外観などが特徴です。
「水戸街道」歩きの際、「府中(石岡)」宿で、現在まで残るいくつかの商家を見ました。
「森戸文四郎商店」(石岡)。
昭和5年頃に建てられた木造2階建て看板建築。2階部分がアールデコ調の外観となっている。
ここでお目にかかるとは思いませんでした。
こんなところにも工夫が。
(12:49)「諏訪一丁目」交差点を右折。
その角にあるのが、「すわっていいよ」(諏訪っていいよ)という表示と木製ベンチ。そこで、小休止。
右手からの道を合わせ、左折。
曲がってすぐ右手にあるのが「喫茶店 石の花」。古い門に古い民家。明治初期に建てられた建物を改造。
緩やかな上り坂が続く旧道。
(12:58)「吉田のマツ」。樹齢約300年。
クロマツ。樹齢は300年余り。
高島藩士吉田式部彦衛門が元禄3年(1690)から享保8年(1723)藩主忠虎の大阪城守備に随行したとき持ち帰ったものと伝えられる。代々吉田家の庭に育てられたものを、昭和の始め旧甲州街道沿いに移植したものであり、市内の最年長樹である。・・・
その先、左手に52里目の「一里塚跡」碑。
・・・ここに一里塚ができたのは慶長15年(1610)頃と言われている。この塚は江戸から52里で西は下諏訪町富部の五十三里塚、東は四賀神戸の五十一里塚へと続いている。
残り、あと一つ。
右手は高台。住宅が広がっているようす。
このあたりからぼつぼつ温泉民宿が出てきます。
民家には、温泉のタンクが設置されています。
Y字路になります。右の坂を上れば、「温泉寺」。
丘の中腹を巻くように上っていきます。
このあたりのおうちには温泉タンクがけっこう目立つ。
(13:15)右手に杉の森。「先宮神社」。
「散策の小道」案内図。
左手下り坂の向こうに「諏訪湖」が見え隠れ。
「雀おどり」。
立派な「雀おどり」のあるおうち。
左手にかなり古い大木のケヤキ、木の元には「甲州街道」の標識。裏に回ると、すっかり空洞になっています。
その先、家並みの向こうに諏訪湖が大きく広がって見えてきます。
(13:25)上部の欠けた「常夜燈」。
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