おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

茅野~上諏訪宿~下諏訪宿(中山道との合流地点)。その3。(甲州街道をゆく。第14日目。)

2017-12-13 20:54:48 | 甲州街道
                    新しい建物にも「雀おどり」が取り付けてあります。

 古仏群。

(12:13)しばらく進むと、旧国道に合流します。

                来た道を振り返って望む。

右手には「細武温泉共同浴場」。

 車の通行量も少なく、旧道らしい道筋の旧国道はしばらく進むと、国道20号線に合流します。
(12:22)国道20号線と合流。

旧国道を振り返る。

国道の左、崖下には旧道らしき道。

崖下の道。

 「清水1.2丁目交差点を過ぎると宿場らしい商店が続きます。
「丸二河西本店」。

藁製品を扱うお店。

                        

「染一染物店」。

 
                            和装小物「かねさ」。
「信州高原はちみつ 山田養蜂場」。

この先、元町交差点から酒造会社が五つ並ぶ通りになります。「諏訪五蔵」。
諏訪五蔵とは
「舞姫」「麗人」「本金」「横笛」「真澄」。諏訪市の甲州街道沿いには、わずか500mの間に5軒の酒蔵が立ち並びます。同じ霧ヶ峰の伏流水を仕込み水に使いながら、それぞれに特徴のある個性豊かな酒を醸し続けてきました。ライバル同士ではありますが、ご近所仲良く「酒の街・諏訪」を盛り上げていけたら。「諏訪五蔵」はそんな心意気で立ち上げた酒蔵グループです。(「諏訪五蔵」HPより)



       「真澄」。

真澄 蔵元宮坂醸造HPより

 真澄は寛文2(1662)年創業。清冽な水と冷涼な気候に恵まれた霧ヶ峰の山ふところ信州諏訪で、諏訪大社のご宝物「真澄の鏡」を酒名に冠した酒を醸してきました。優良な清酒酵母として現在でも全国の酒蔵で使われている「七号酵母」の発祥蔵であることは、私たちの誇りです。
・・・
 製造工程はいたってシンプル。
 熟練した製造スタッフによる「高度な手作業」を重んじています。
 「去年よりちょっと美味いと今年も思う」
 お客様からそんなお言葉をいただける酒蔵でありたいと、毎年品質向上の努力を続けています。
・・・
 真澄の創業は1662(寛文2)年。2012年には創業350周年を迎えました。
 今までの350年に賜ったご支援に改めて感謝申し上げますと共に、次の350年に向け新たな一歩を踏み出した真澄に、一層のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

蔵造りのお店。お茶の問屋さんのようです。

続いて「横笛」。伊東酒造さん。

 主要製品の清酒「横笛」は、『平家物語』の登場人物である建礼門院の雑仕女横笛の悲恋物語を耳にした信仰心深かった初代当主が「横笛」の名を後世に残すと同時に末長く菩薩を弔うことも含め、『大銘酒 横笛』と命名し醸造することとなりました。

「鍵の手」交差点。

                 

鍵の手=鈎型に道が屈折しているところ。宿場の入口にあたります。「かねんて」とも。

まだ青々とした杉玉のある「本金」酒造。


                         


 本金の文字には「本当の一番(金)の酒を醸す」という想いが込められています。また、左右対称の2文字から、「裏表のない商売」という意味も。「一番」の酒とは何か、日々の中で「本金の金」を追求しながら酒造りをしています。

 宝暦6年、創業者である宮坂伊三郎が酒株を譲り受け酒造業をはじめたのがはじまりです。屋号は志茂布屋(しもぬのや)。当時、上諏訪町(今の諏訪2丁目のあたり)には13軒の造り酒屋があり、その内の1軒でした。
 ご先祖は諏訪の町の文化、商売の発展にも尽力をしていたようで諏訪湖に川えび、しじみを放流したり諏訪旧蹟誌という書物をまとめたり、神社の神主をやるなど酒造業以外の活動も多かったようです。
 明治、大正、昭和と激動の中、屋号も志茂布屋から現在の酒布屋に改めます。そして、戦争の混乱の中で酒造蔵は国の政策で縮小され、廃業を迫られる蔵もでてきます。しかし本金は保有工場となり廃業の難を免れます。
 ちょうどその頃、現在の本金の酒造りの流れが形成されます。
 その当時はまだ地域に酒造りの技術者がおらず、本金では広島から杜氏を招いてお願いをしていました。その後その中で学んだ富士見乙事出身の三井氏が諏訪杜氏として本金を醸し、次いでやはり乙事出身の北原太一氏へとバトンが受け継がれていきました。北原氏は高校卒業後から本金へ蔵人で来るようになり、それから本金一筋。50年以上本金を醸し続けてくれました。そして杜氏として本金に初の全国新酒鑑評会金賞受賞の栄誉もあたえてくれました。この受賞は山田錦が多く賞を占める中、長野県産美山錦での受賞と意味のあるものでした。そんな北原太一杜氏の名前を頂いた「からくち太一」は本金の代名詞、看板商品として本金の主力となっています。
 平成の世に入り、現在本金の製造量は100石強の極小量、杜氏は平成20年より蔵元である宮坂恒太朗へと引き継ぎ、「本金」のブランドに込められた「本当の一番(金)の酒を醸す」ことを目指し努力を続けています。
(HPより)

「鍵の手」交差点を振り返る。

次は「麗人」。

                        

「水」の蔵
 フォッサマグナの上に所在し、諏訪湖、上諏訪温泉等、風光明媚な土地柄で知られる諏訪盆地に麗人酒造株式会社はあります。創業は寛政元年、建物内部には京都の松尾大社の銘が入っている当時の大黒柱が建ち、200年余り続く酒造りの歴史の長さを物語っています。
 もちろん、歴史が深いだけに止まらず、その技術も折り紙付きで、水には霧ケ峰高原の伏流水を自社井戸から汲み上げ、仕込みはもちろんの事、瓶の洗浄に至るまで使い続けています。また、諏訪杜氏の流れをくむ蔵人が和を持って、揺ぎの無い技術で酒造りを行うとともに、製造の最高責任者である杜氏は、年間を通じて製造のみならず、貯蔵、出荷に至るまで、一貫した管理を行っています。
 この20数年におよぶ安定した生産管理体制の結果、平成6年には第59回関東信越国税局酒類鑑評会で、最優秀賞(首席)を獲得します。関東信越290蔵の中から第1位に選ばれるという快挙は、蔵人の自信を生んだのでしょうか、現在でも酒造りにかんする強い意欲を感じさせる蔵です。
こだわり
 最近の日本酒は大きなタンクを使い大量に製造する、言わば機械の力、人の力で生産したお酒が多くなっています。麗人酒造では諏訪の美味しい水と、清酒醸造に適した気候や風土を最大限に活かして、自然の力(麹菌、酵母等)が一番いい条件で働いてくれるようにすることが本当に美味しい酒を醸す唯一の方法と考え、日夜酒造りに励んでいます。
おすすめの一本 純米吟醸 麗人
 長野県産酒造好適米を全量使用した純米吟醸。仕込水には自社井戸に湧き出る霧ヶ峰高原の伏流水を使用。フルーティーな香りと爽やかな味わいのお酒です。モンドセレクション金賞受賞。

最後に立派な蔵造りの店「舞姫」。

                         

 長野県諏訪市にある酒蔵です。
 酒造りは、伝統手法にもとづき、蔵人が愛情を込めて醸しております。水は美しい大自然が息づく霧ヶ峰高原を源とする清冽なる伏流水。特定名称酒は酒造好適米を使用し、甘・酸・渋・辛・苦の五味が程良く調和した、旨口の日本酒造りに日夜励んでおります。
信州舞姫 純米吟醸酒 扇ラベル


 私どもの蔵は、霧ヶ峰から流れ出る清涼な伏流水を汲み上げ、山田錦や美山錦などの酒造好適米や霧ヶ峰の伏流水を使用して醸造し た清酒を全国のご愛飲頂いております皆様にお届けして参ります。時代は刻々と変わり、清酒業界を取り巻く環境も大きく変化し、お客様の嗜好も変化を続けて おります。私どもは、“薫り高きふくらみのある味わい”を守りながらも、決して安住することなく、時代の求める美味しいお酒造りに果敢に取り組み、新たな 美味しいお酒を皆様にご提案して行く所存です。今後は特定名称酒に力を入れ、全国のファンの皆様のご期待にお応えするべく誠心誠意で酒造りして参ります。
・・・
米へのこだわり
 信州・長野県で酒造りに広く使われる酒造好適米のひとつが“美山錦”です。この酒造好適米は、昭和53年長野県農事試験場にて「北陸12号」を母、「東北25号」を父として誕生した比較的新しい酒造好適米で、醸した酒は、スッキリと軽快な味わいとなります。私たちは、信州にある蔵として、この美山錦を使った酒造りを行って参ります。美山錦に加え、兵庫県の“山田錦”、山田錦の親米である“雄町”、そして日本アルプスに囲まれた信州の大地で育った地元のお米を使い、私どもは、酒造りに取り組みます。
(HPより)

 何だかお酒の紹介におわってしまいました。

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