「海から47K」。
河川敷の茂みの中から甲高い鳴き声が。
キジ? 多摩川にもいるんですね。
振り返る。
右手には「佐川急便」。
「拝島橋」。
拝島の渡しに代わって、架けられたのが拝島橋です。現在の橋は二代目で、最初の橋完成までには様々な苦難がありました。
大正末期に上流の多摩橋、下流の日野橋が完成すると拝島村などで架橋運動が浮上しました。昭和12年(1937)12月に当時の東京府が拝島橋架橋を決定しました。
2年後にコンクリート橋として着工したものの、日中戦争や太平洋戦争の影響で昭和17年(1942)5月には中断してしまいました。この時点で橋脚12本が完成していました。
拝島の渡しが廃止された戦後は仮橋で対応していましたが、昭和25年(1950)12月に工事が再開され、昭和30年(1955)3月12日、竣功式が行われました。当時の拝島橋(8×526m)は、東洋一のゲルバ-式橋といわれ、誕生直後の昭島市には明るい出来事となりました。
現在の二代目、国道16号拝島橋は上り、下りに分かれて二本の橋があります。昭和62年(1987)3月に一本目が、平成4年(1992)4月に二本目が完成し、渡し舟をイメージしたモニュメントが両岸にあります。
歩行者専用道路。
サイクリングロードとも合流し、先に進みます。
土手のカワヅザクラは、すでに葉桜に。
河川敷に広いグランドが。
「海から45K」。その先に八高線の鉄橋。
※「拝島」・「小宮」間で多摩川を越します。
低~い! 頭がつかえそう!
※このブログには、始まってからなんと1年後から投稿しはじめました。それからあっという間の20年。
50代後半から70代後半と当方も年を取りました。このブロググと歩んできたようなものです。
はじめは日常の記事(政治、教育、世間・・・)でしたが、その後は旧東海道歩きを皮切りに「五街道」を歩き、水戸街道など東京、千葉エリアの旧道や都県境歩きなどその都度掲載してきました。
歩きや近所の庭園訪問はこれからも続けるつもりですが、さてどこにどうやって掲載するか、思案中です。
すべてチャラになる、のも・・・。
かといって、製本するには莫大な量だし、・・・、玉石混交だし・・・。
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