
「岩淵水門」。
「解説板」。
増水時に、荒川の水が隅田川に流入することを防ぎます。
岩淵水門は、大正13年(1924)に完成した旧岩淵水門の老朽化、地盤沈下による高さの不足のため、昭和57年(1982)に旧水門の下流300mに建設されました。平常時は、水門を開放し船の航行を確保するとともに、隅田川の水質を浄化するために荒川の水を流下させています。増水時には水門を閉めて隅田川への流入をくい止め、首都東京を水害から守る大切な役割を担っています。

銘板。
「岩淵水門門扉」。
この水門が2019年秋「台風19号」の直撃による洪水防止のために閉鎖されました。以下はその時の記事です。
平常時。
閉鎖時。
2019年10月12日夜、東京の荒川は台風19号の直撃を受けていた。首都圏初となる大雨特別警報が発令される中、怒濤(どとう)が逆巻き、水位は上がり続けた。
緊迫の度が極まった午後9時17分。東京都北区にある「岩淵水門」が閉鎖された。1枚214トンもある青いゲートが3枚、ゆっくりと沈み、押し寄せる濁流を遮っていく。閉門は12年ぶりのことだった。
岩淵水門は隅田川が始まる場所だ。荒川はここで2つに分水され、片方が「隅田川」に名を変える。荒川の洪水時は水門を閉じ、より流路が狭い隅田川側への流量を抑えることで、東京下町での氾濫発生を防ぐ。
台風19号では荒川の水位は7.17メートルに達した。一方、隅田川の堤防高は6.9メートルどまり。水門を閉じなければ氾濫していたとみられる。(この項、「日本経済新聞」より)
あれから一年半。まだ所々に被害の爪痕が残り、改修工事が進められています。
「隅田川」(右手「新河岸川」)を望む。
旧水門を望む。
サイクリングや散歩の中継地としてけっこう人が集まってきています。景観もいいので、じっくりと散策したい場所です。
上流側からの岩淵水門。
旧水門へ向かいます。
「解説板」。
旧岩淵水門のあらまし
昔、荒川の下流部分は現在の隅田川の部分を流れていましたが、川幅がせまく、堤防も低かったので大雨や台風の洪水被害をたびたび受けていました。そこで明治44年(1911)から昭和5年(1930)にかけて新しく過去までの約22㎞の区間に人工的に掘られた川(放水路)を造り、流水をこの幅の広い放水路(現在の荒川)から流すことにしました。現在の荒川と隅田川の分かれる地点に、大正5年(1916)から大正13年にかけて造られたのがこの旧岩淵水門(赤水門)です。その後旧岩淵水門の老朽化などにともない、昭和50年(1975)から新しい水門(旧岩淵水門の下流に造られた青い水門)の工事が進められ、昭和57年に完成し、旧岩淵水門の役割は新しい岩淵水門(青水門)に引き継がれました。永年、流域の人々を洪水から守り、地元の人たちに親しまれた旧岩淵水門は現在子どもたちの学習の場や、人々の憩いの場として保存されています。
平成20年(2008)度には、「国土の安全を高め、都市生活や産業発展の礎となった治水・防砂の歩みを物語る「近代化産業遺産」として認定されています。

(付)今朝の墨堤通り・河津桜。
満開。
青空に映える。
「オオカンザクラ」。
この桜は3月中旬頃から見頃だそうですが、すでに5分咲き。








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