今回から「房総往還」の旅に。
約3ヶ月ぶりの歩き。前回の歩き(「東金街道」最終日)で3万6千歩のせいなのか膝を痛め、しばらく中止していましたが・・・。
房総往還は、江戸時代に、江戸から内湾沿いに船橋(船橋)・寒川・浜野(千葉市)・八幡・五井(市原市)・桜井(木更津市)・市内の坂田・中野・貞元・下湯江を通り、佐貫・湊(富津市)を経て安房北条(館山)に至る街道です。
東海道など五街道の名称は幕府によって一定の規定が設けられていましたが、房総往還を始めとするその他の街道については特に定めはなく、街道沿いの人々や利用者等によって名称が付けられたため、地域によっては上総道や木更津道、房州道、鎌倉道とも呼ばれていました。
当時の街道は、道幅が狭く曲がりくねっていました。小糸川には橋がなく馬や舟を使って渡ったり、水が少ない時には歩いて渡ることもあり、大人数の時には、舟を横に並べ、その上に板を敷いて渡ったそうです。
房総往還は房総の主要道であり、それは参勤交代や外国船に対する江戸内湾の警備のためだけでなく、内房と外房を結ぶ道の発着点となる継場が並ぶ街道でもありました。
(「」より)
地図でも分かるように、ほぼ内房の海岸線沿いに進んでいた街道。現在はすでに遠く海岸線から離れ、また京葉工業地帯などや宅地開発などで大きく変化して、旧道の面影はかなり薄くなり、さらに旧道そのものが失われてしまっている箇所もあるようです。
船橋から千葉までは、現在の「千葉街道」(国道14号線)がその道筋となっています。
果たして無事に館山までたどりつけるかどうか。当面、千葉を目指す予定。
先達の記録を参考にしながら、・・・。
「大神宮下」駅前の市街図。
○が成田街道(佐倉街道)との分岐。→が「千葉街道」。旧道は一本左の道(←)。
1月13日(「成人の日」)。晴れ。汗ばむような日差しのもと。
「船橋大神宮」下。成人式で着飾った姿もまだ見かけない(9:25)。
その先を左折して進みます。
昔からある雰囲気のお宅。
この付近の今昔。(「歴史的農業環境閲覧システム」より。以下の写真・図版も同様。)
1880年代のようす。すぐ南は内海。
2010年代のようす。赤が「現千葉街道」。緑が「京葉道路」。
しばらく進み、(9:40)「船橋競馬場」駅付近で現「千葉街道」に合流、京成線沿いに進みます。
「千葉街道(国道14号線)」を少し戻ると、
「船橋競馬場」駅。「ららぽーとTOKYO-BAY」の最寄り駅。
千葉県船橋市浜町二丁目にある三井不動産商業マネジメントが経営するショッピングセンター。ららぽーと第一号店およびフラグシップ(旗艦店)に位置付けられ、ららぽーとの中で最大の店舗面積を持つ。店舗数は約440店舗とショッピングセンターの中では国内最大の規模であり、年間約2,500万人が訪れている。
1981年(昭和56年)4月2日、船橋ヘルスセンターの跡地に開業。三井不動産が初めて手掛けたショッピングセンターで、開業時の名称は「ららぽーと船橋ショッピングセンター」。2006年8月に「ららぽーとTOKYO-BAY」に変更した。当初から日本最大規模の大型ショッピングセンターであり、その先駆けだった。
かつて、この駅の名称は、「センター競馬場前」駅でした。その「センター」が「船橋ヘルスセンター」だったわけです。
「船橋ヘルスセンター」。懐かしい施設です。子供の頃に親に連れられて来たことが何回となく。
注:同駅は「花輪」→「京成花輪」→「船橋競馬場前」→「センター競馬場前」→「船橋競馬場」と4回、改称されたようです。
以下は「Wikipedia」を参考にして。
1955年11月3日オープン。「12万坪の海辺に1万坪の白亜の温泉デパート」をキャッチフレーズにした健康ランド的施設ではあるが、浴場のみならず大プールや遊戯施設、子会社経営で隣接する船橋サーキットなども含む大規模な総合レジャー施設である。入場料が当時の物価を鑑みても比較的安く、それでいて一度入場すれば使い放題になる無料施設(浴場や座敷など)の多さが特徴であった。
1962年に関東ローカルで放送されたテレビCM(横山隆一作画による老人のアニメと三木鶏郎作詞・作曲、楠トシエ歌唱によるCMソング)で多くの人々に知られるようになった。
全盛期にはザ・タイガースなど当時の人気歌手・グループによる「歌謡ショー」が屋外ステージで行われたほか、人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』(TBSテレビ)の公開放送も行われた。また、ローラースケート場はTBSが中継を行っていた国際プロレスの試合会場としても使用された。
しかし、1970年代頃からレジャーの多様化によって来場者数が減少し始めたうえ、1971年には地盤沈下を抑制するために温泉やガスの汲み上げを差し止められたことが致命的となり、1977年5月5日で閉園して21年半の歴史に幕を閉じた。
その後、施設は撤去され、跡地には商業複合施設「ららぽーと船橋ショッピングセンター」(現・ららぽーとTOKYO-BAY)」が建設され、1981年4月2日にオープンした。
施設として
・巨大温泉(ローマ風呂)・岩風呂・牛乳風呂・子供風呂・家族風呂
・舞台付きの宴会場
・人工ビーチ(ゴールデン・ビーチ)
・海水プール
・劇場
・ゴルフ場
・ボウリング場
などがありました。
大きなお風呂に入って、宴会場で歌謡ショーを観た記憶があります。
船橋ヘルスセンターは、昭和30(1955)年11月3日に開場し、高度成長期の終わりを追うように昭和52(1977)年5月に営業を閉じました。経済白書で「もはや戦後ではない」と発表されたのが、昭和31(1956)年。日本経済が日々発展していった時代に船橋ヘルスセンターは、瞬く間に庶民の心をつかみ、当時「東洋一」といわれたほどの大娯楽施設に発展しました。レジャーの多様化による来場者数低下等により昭和52(1977)年に惜しまれながら閉園し、現在その跡地は、船橋を代表する大規模商業施設「ららぽーとTOKYO-BAY」となっています。
(この項、「」公式HPより)
2010年代のようす。 1970年代のようす。「船橋ヘルスセンター」があった頃。
注:現在は中央に見える「オートレース場」はなくなっています。
駅名のもとになっている「船橋競馬場」にはまったく縁がありませんが。
船橋競馬場
千葉県船橋市(一部施設が習志野市にまたがる)に所在する地方競馬の競馬場。広報などでの表記は「船橋ケイバ」。
競馬の主催者は千葉県競馬組合(千葉県、船橋市、習志野市からなる一部事務組合)で、土地・施設は株式会社よみうりランドから賃借している。
大井競馬場、浦和競馬場、川崎競馬場と共に南関東公営競馬を構成する。(「Wikipedia」より)
(「船橋競馬場」HPより)
注:上が南。
海岸線に走る京成線(津田沼~千葉)は、海水浴や遊園地などレジャー施設があって、遠足や潮干狩りなどによく出かけました。
駅名もそのころから変わっている駅もあります。子供の頃の印象と比較しながら歩くのも楽しみです。
(9:50)「千葉街道」の標示。
約3ヶ月ぶりの歩き。前回の歩き(「東金街道」最終日)で3万6千歩のせいなのか膝を痛め、しばらく中止していましたが・・・。
房総往還は、江戸時代に、江戸から内湾沿いに船橋(船橋)・寒川・浜野(千葉市)・八幡・五井(市原市)・桜井(木更津市)・市内の坂田・中野・貞元・下湯江を通り、佐貫・湊(富津市)を経て安房北条(館山)に至る街道です。
東海道など五街道の名称は幕府によって一定の規定が設けられていましたが、房総往還を始めとするその他の街道については特に定めはなく、街道沿いの人々や利用者等によって名称が付けられたため、地域によっては上総道や木更津道、房州道、鎌倉道とも呼ばれていました。
当時の街道は、道幅が狭く曲がりくねっていました。小糸川には橋がなく馬や舟を使って渡ったり、水が少ない時には歩いて渡ることもあり、大人数の時には、舟を横に並べ、その上に板を敷いて渡ったそうです。
房総往還は房総の主要道であり、それは参勤交代や外国船に対する江戸内湾の警備のためだけでなく、内房と外房を結ぶ道の発着点となる継場が並ぶ街道でもありました。
(「」より)
地図でも分かるように、ほぼ内房の海岸線沿いに進んでいた街道。現在はすでに遠く海岸線から離れ、また京葉工業地帯などや宅地開発などで大きく変化して、旧道の面影はかなり薄くなり、さらに旧道そのものが失われてしまっている箇所もあるようです。
船橋から千葉までは、現在の「千葉街道」(国道14号線)がその道筋となっています。
果たして無事に館山までたどりつけるかどうか。当面、千葉を目指す予定。
先達の記録を参考にしながら、・・・。
「大神宮下」駅前の市街図。
○が成田街道(佐倉街道)との分岐。→が「千葉街道」。旧道は一本左の道(←)。
1月13日(「成人の日」)。晴れ。汗ばむような日差しのもと。
「船橋大神宮」下。成人式で着飾った姿もまだ見かけない(9:25)。
その先を左折して進みます。
昔からある雰囲気のお宅。
この付近の今昔。(「歴史的農業環境閲覧システム」より。以下の写真・図版も同様。)
1880年代のようす。すぐ南は内海。
2010年代のようす。赤が「現千葉街道」。緑が「京葉道路」。
しばらく進み、(9:40)「船橋競馬場」駅付近で現「千葉街道」に合流、京成線沿いに進みます。
「千葉街道(国道14号線)」を少し戻ると、
「船橋競馬場」駅。「ららぽーとTOKYO-BAY」の最寄り駅。
千葉県船橋市浜町二丁目にある三井不動産商業マネジメントが経営するショッピングセンター。ららぽーと第一号店およびフラグシップ(旗艦店)に位置付けられ、ららぽーとの中で最大の店舗面積を持つ。店舗数は約440店舗とショッピングセンターの中では国内最大の規模であり、年間約2,500万人が訪れている。
1981年(昭和56年)4月2日、船橋ヘルスセンターの跡地に開業。三井不動産が初めて手掛けたショッピングセンターで、開業時の名称は「ららぽーと船橋ショッピングセンター」。2006年8月に「ららぽーとTOKYO-BAY」に変更した。当初から日本最大規模の大型ショッピングセンターであり、その先駆けだった。
かつて、この駅の名称は、「センター競馬場前」駅でした。その「センター」が「船橋ヘルスセンター」だったわけです。
「船橋ヘルスセンター」。懐かしい施設です。子供の頃に親に連れられて来たことが何回となく。
注:同駅は「花輪」→「京成花輪」→「船橋競馬場前」→「センター競馬場前」→「船橋競馬場」と4回、改称されたようです。
以下は「Wikipedia」を参考にして。
1955年11月3日オープン。「12万坪の海辺に1万坪の白亜の温泉デパート」をキャッチフレーズにした健康ランド的施設ではあるが、浴場のみならず大プールや遊戯施設、子会社経営で隣接する船橋サーキットなども含む大規模な総合レジャー施設である。入場料が当時の物価を鑑みても比較的安く、それでいて一度入場すれば使い放題になる無料施設(浴場や座敷など)の多さが特徴であった。
1962年に関東ローカルで放送されたテレビCM(横山隆一作画による老人のアニメと三木鶏郎作詞・作曲、楠トシエ歌唱によるCMソング)で多くの人々に知られるようになった。
全盛期にはザ・タイガースなど当時の人気歌手・グループによる「歌謡ショー」が屋外ステージで行われたほか、人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』(TBSテレビ)の公開放送も行われた。また、ローラースケート場はTBSが中継を行っていた国際プロレスの試合会場としても使用された。
しかし、1970年代頃からレジャーの多様化によって来場者数が減少し始めたうえ、1971年には地盤沈下を抑制するために温泉やガスの汲み上げを差し止められたことが致命的となり、1977年5月5日で閉園して21年半の歴史に幕を閉じた。
その後、施設は撤去され、跡地には商業複合施設「ららぽーと船橋ショッピングセンター」(現・ららぽーとTOKYO-BAY)」が建設され、1981年4月2日にオープンした。
施設として
・巨大温泉(ローマ風呂)・岩風呂・牛乳風呂・子供風呂・家族風呂
・舞台付きの宴会場
・人工ビーチ(ゴールデン・ビーチ)
・海水プール
・劇場
・ゴルフ場
・ボウリング場
などがありました。
大きなお風呂に入って、宴会場で歌謡ショーを観た記憶があります。
船橋ヘルスセンターは、昭和30(1955)年11月3日に開場し、高度成長期の終わりを追うように昭和52(1977)年5月に営業を閉じました。経済白書で「もはや戦後ではない」と発表されたのが、昭和31(1956)年。日本経済が日々発展していった時代に船橋ヘルスセンターは、瞬く間に庶民の心をつかみ、当時「東洋一」といわれたほどの大娯楽施設に発展しました。レジャーの多様化による来場者数低下等により昭和52(1977)年に惜しまれながら閉園し、現在その跡地は、船橋を代表する大規模商業施設「ららぽーとTOKYO-BAY」となっています。
(この項、「」公式HPより)
2010年代のようす。 1970年代のようす。「船橋ヘルスセンター」があった頃。
注:現在は中央に見える「オートレース場」はなくなっています。
駅名のもとになっている「船橋競馬場」にはまったく縁がありませんが。
船橋競馬場
千葉県船橋市(一部施設が習志野市にまたがる)に所在する地方競馬の競馬場。広報などでの表記は「船橋ケイバ」。
競馬の主催者は千葉県競馬組合(千葉県、船橋市、習志野市からなる一部事務組合)で、土地・施設は株式会社よみうりランドから賃借している。
大井競馬場、浦和競馬場、川崎競馬場と共に南関東公営競馬を構成する。(「Wikipedia」より)
(「船橋競馬場」HPより)
注:上が南。
海岸線に走る京成線(津田沼~千葉)は、海水浴や遊園地などレジャー施設があって、遠足や潮干狩りなどによく出かけました。
駅名もそのころから変わっている駅もあります。子供の頃の印象と比較しながら歩くのも楽しみです。
(9:50)「千葉街道」の標示。
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