おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

続「歌舞伎鑑賞教室」。その3。「与話情浮名横櫛」。尾上菊五郎。坂東玉三郎。サンシャイン劇場。木更津。

2021-05-25 22:38:23 | お芝居

今回は、去年歩いた「房総往還」。その木更津にちなんで。

池袋に「サンシャイン劇場」が開場された頃の上演でちょっと古く、さらに観客の咳やくしゃみがけっこう気になる録画ですが、菊五郎も玉三郎もまだまだ若く、溌剌と演じています。

           

あらすじ

 江戸の大店伊豆屋の若旦那(じつは養子)の与三郎は故あって身を持ち崩し、木更津の親類に預けられていた。春の潮干狩りの時分、木更津の浜をぶらついていた与三郎はお富とすれ違い、互いに一目惚れしてしまう(序幕・木更津浜辺の場)。

                   
 ところがお富は、地元の親分赤間源左衛門の妾だった。その情事は露見し与三郎は源左衛門とその手下にめった斬りにされるが、源左衛門はこの与三郎をゆすりの種にしようと、簀巻きにして木更津の親類のもとへ担ぎ込もうとする。いっぽうその場を逃げ出したお富は赤間の子分の海松杭の松に追われ入水するが、木更津沖を船でたまたま通りかかった和泉屋の大番頭多左衛門に助けられる(二幕目・赤間別荘の場、木更津浜辺の場)。

                        

 そしてそれから三年。

与三郎はどうにか命を取り留めたものの家を勘当されて無頼漢となり、三十四箇所の刀傷の痕を売りものにする「向疵の与三」として悪名を馳せ、お富は多左衛門の妾となっていた。

                    


 或る日のこと。与三郎はごろつき仲間の蝙蝠(こうもり)安に連れられて、金をねだりに或る妾の家を訪れた。ところがそこに住む女の顔をよく見れば、なんとそれは三年前に別れたきりのお富である。片時もお富を忘れることのできなかった与三郎は、お富を見て驚くと同時に、またしても誰かの囲いものになったかと思うとなんとも肚が収まらない。
 やがて多左衛門が来て、そのとりなしで与三郎と安は金をもらって引き上げる。お富は、多左衛門には与三郎を兄だと言い繕ったのだったが、じつは多左衛門こそがお富の実の兄であり、多左衛門は全てを承知の上で二人の仲をとりもとうとしていたのである。このあと多左衛門はお店からの呼び出しを受けて再び出掛け、和泉屋の番頭籐八がお富を手篭めにしようとするのを与三郎が助けるが、籐八が海松杭の松の兄であったことから赤間一味の悪事を知り、復讐を誓う。与三郎が「命がありゃあ話せるなァ」とお富を引寄せるところで幕となる(三幕目・源氏店妾宅の場)。

            

                                     

名科白(三幕目「源氏店妾宅の場」より。)
与三郎:え、御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、
    いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ。
お 富:そういうお前は。
与三郎:与三郎だ。
お 富:えぇっ。
与三郎:お主(のし)ゃぁ、おれを見忘れたか。
お 富:えええ。
与三郎:しがねぇ恋の情けが仇(あだ)
    命の綱の切れたのを
    どう取り留めてか 木更津から
    めぐる月日も三年(みとせ)越し
    江戸の親にやぁ勘当うけ
    拠所(よんどころ)なく鎌倉の
    谷七郷(やつしちごう)は喰い詰めても
    面(つら)に受けたる看板の
    疵(きず)が勿怪(もっけ)の幸いに
    切られ与三と異名を取り
    押借(おしが)り強請(ゆす)りも習おうより
    慣れた時代(じでえ)の源氏店(げんやだな)
    その白化(しらば)けか黒塀(くろべえ)に
    格子造りの囲いもの
    死んだと思ったお富たぁ
    お釈迦さまでも気がつくめぇ
    よくまぁお主(のし)ゃぁ 達者でいたなぁ
    安やいこれじゃぁ一分(いちぶ)じゃぁ
    帰(けぇ)られめぇじゃねぇか。

                  


『与話情浮名横櫛』は、春日八郎の歌『お富さん』でも有名。 


山崎正 歌詞 渡久地正信 作曲

粋な黒塀 見越しの松に

仇な姿の 洗い髪

死んだはずだよ お富さん

生きていたとは お釈迦様でも

知らぬ仏の お富さん

エッサオー源氏店

(この項、「https://www.uta-net.com/movie/13850/」より)

当世の美男美女の取り合わせによるお芝居。

『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』といえば、通称「お富与三郎」「切られ与三」として親しまれている人気演目です。とりわけおなじみの場面は「ご新造さんへ、おかみさんへ、お富さんへ。いやさお富久しぶりだなあ」の名せりふで知られる「源氏店(げんじだな)」の場ですが、元々は史実の「玄冶店(げんやだな)」に由来しています。

 玄冶というのは三代将軍家光の時代に将軍お抱えの医者として名を馳せた岡本玄冶、その屋敷のあった所が玄冶店です。「冶(や)」の字を「治(じ)」に置き換えると「げんじ」となり、そこへ「源氏」という字を当てて芝居の舞台にしました。

とはいえ実際にあった有名な場所の上に言葉の響きが粋で、「玄冶店」はこのお芝居の代名詞ともなっています。
 人形町三丁目交差点付近には「玄冶店跡」の史蹟碑が建てられ、その歴史を今日に伝えています。

(「」HPより)

ところで、木更津には、「見染めの松」。

見染の松」解説板。

一帯は、松林になっています。
 歌舞伎狂言「与話情浮名横櫛」の主人公お富 と与三郎 が、この場で見染めて以来ここに来ては逢瀬を楽しみ、この松ヶ枝に袖をかけてはかない恋を語ったと伝えられ、袖掛けの松ともいわれたそうであります。
 かつては、ここに老松 がありましたが時の流れとともに風雨にさらされ、或は害虫に侵蝕されてしまいこれを再現したのがこの見染の松であります。

 駅近くの「光明寺」には「切られ与三郎」のモデルとなった男のお墓があります

                   


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